⑦ 圧倒的な力の差、巡らす計略と糸、死闘――炯と枝葉のコアの戦い

「これが力、これが踏み躙るということ。分かる、分かるわ。この昂ぶりがけだものどもを図に乗らす」


 大きく空いた穴から見下ろして、小山さんが歓喜の声を上げた。対する私はその視線の先、一階にできた瓦礫の山から彼女を見上げる。一撃で全ての床を抜き、五階から叩き落とされた格好だ。愛用の眼鏡がどこかに行ってしまった。


 もうどれほど殴られたかしれない。彼女は一貫して単純な打撃に終始していた。栄氏殺害の凶器となった刀剣は見ていない。瀝青の規模から察するに打撃とは一線を画す威力を持つはずだ。その代わり、消耗の激しさも比ではないだろう。使わないのは使いこなせないからか、使うまでもないからか。どちらもあろう。より絶望的なのは防御力の方だ。事象抵抗性が極めて高い。一度でも攻撃を受けるとその攻撃への強力な適応を構築し、効率的に威力の減弱と損傷の回復を行う。同程度の出力では同じ攻撃を二度続けるだけで手応えが嘆かわしいほど虚しくなる。ただ、コアにも遷移位相せんいいそうの概念はあるらしい。


「結構」ほくそ笑む。


 小山さんが顔を顰め、刹那、風と共に私の前に迫る。顔面目掛けて伸びてきた右手を取って腹に蹴りを入れる。大きく飛んで後方の柱に体を打ちつけた。すかさず追撃を仕掛けて三度目の攻撃に衝動弾を放つ。一旦後ろに飛び退いて距離を取る。


「どういうこと」私を睨みつけながら訝る。

「今度はこちらの番だ」


 私の挑発に激昂し、彼女は大家氏の声で雄叫びを上げる。瀝青化が一段と進み、更に強大な力を得て、突進してくる。躱して背後に回って飛び蹴りを放つ。私の蹴りよりは、自身の勢いのためにつんのめって床を転がる。獣のように床に吸い付き向きを変え、四つ足で地面を駆けて跳躍する。


よるとばり


 直進する彼女の前に陰影を触媒にした黒い幕を創り出す。物理的な攻撃を防ぎ、瀝青を吸収することで威力を低下させる、攻防いずれの起点にもなる技だ。彼女が彼我を遮るその幕に突っ込む。力技で幕が左右に分かたれた。二階に跳び上がり、


降星織機こうせいしょっき


 左右の幕に無数の銀の杭を浮かべて、彼女目掛けて撃ち込んだ。それらのうちの二本のみが腕と脚を貫く。彼女が力を迸らせると杭はたちまち砕け散り、傷は癒えた。私を見上げ、


「これで終わりかしら」嘲るように尋ねる。

「あと一つある」


 そう答えると、一瞬で顔を怒りに歪め、


「だったら」瀝青を噴き出して叫ぶ。「さっさと出せ」


 彼女が床を力強く蹴り、既に私の真上を飛んでいた。振り上げた左手が剣のように変形している。銀の杭で受け流し、二度、三度と切り結ぶ。刻一刻と摩耗する杭に瀝青を供給し続けながら鍔迫り合いを演じる。


「ようやくか」

「何が」

「栄氏を刺殺した、得物を使ってこない」

「使い慣れてないから、ね」


 剣で押され後方に退く。すぐに彼女の姿が見えなくなる。弾性効果だ。莫大な瀝青を消費している証拠、彼女が本気になった。私は指を組み、


「夜の帳」


 今度は足元にそれを作り出す。彼女の声だけが聞こえる。


「それが最後の一つ。さっき見たけど」

「であれば、これではないというわけだ」


 駆ける足音が早く大きくなり、彼女が姿を現した。構えた銀の杭ごと私を力一杯、蹴飛ばす。吹き抜けの直上、宙を舞いながら、


「降星織機」


 彼女の足元から無数の杭を放つ。彼女は飛び退き、躱し、叩き落とした。この間に向こうに着地した私は、一気に複数の幕を展開し、再び攻撃を加える。距離を詰めようとする彼女の行手を、数の暴力で阻む。銀糸の尾を与えられた杭は、彼女を追い回しながら互いの糸で網を成し、場所によっては密度が上がって布のようになる。それらが周囲の瀝青を利用して、新たな夜の帳を形成し、無数の星を浮かべる。無論、彼女に向けて放たれる銀の杭だ。それでもなお、彼女は私に辿り着く。振るわれた剣を受け流して、すぐに距離を取る。


「逃げるな」

「君が有利でいられる条件に、私が付き合う道理はない」


 答えるが早いか杭を撃ち、彼女がそれを斬り払う。網は既に蜘蛛の巣のようになっていた。それも足場にしながら縦横に移動し、距離を保ちながら攻撃し続ける。五階に駆け上がる私を蜘蛛の巣が網を広げて通すと、すかさず目を密にして後を追う敵には星を降らせる。彼女が怒りの雄叫びを上げてそれを断ち切ったところに、衝動弾を撃ち込んで一階に叩き落とす。今度は私が穴から階下を見下ろし、


「案外、どうにかなるものだ」


 彼女が立ち上がり、私を憎々しげに睨みつけた。その目には力で圧倒している相手に翻弄されていることへの激しい苛立ちが見てとれる。どうしてこうなっているのかが分からないのだ。その理由は、勿論、実は私が強いからなどというものではない。


 私の攻撃は銀の杭による刺突、夜の帳による衝突と力の略奪、衝動弾による破壊、更に徒手空拳による打撃、と異なる種類の事象を組み合わせたものとなっている。彼女の事象抵抗性はそれら全ての威力を凄まじい早さで殺している。だが、ここに遷移位相せんいいそうという概念が入ってくる。


 覚醒能力は複数の下位の能力によって構成される。事象抵抗性もその一つだ。各能力は個別に発達度を持っており、覚醒能力はこれらの総体で理解される。喩えるなら、それぞれの点数をプロットしたレーダーチャートの面積が覚醒能力となるわけだ。遷移位相とは、覚醒者が置かれた状況によって、一時的にこの下位の能力の発達度が揺らぐことを言う(逆に平常時の能力分布を回帰位相かいきいそうと呼ぶ)。瀝青の消費が激しくなると、生成能力が一時的に向上するといった具合だ。重要なのは、面積は変わらないということだ。向上する能力がある一方で、低下する能力がある。攻撃を組み合わせるのは、遷移位相を利用して攻撃を通しやすくするためだ。もっとも、私が彼女から逃げ回っているのは、抵抗性が打撃に適応しているからではない。そんなものはすっ飛ばして当たれば死ぬからだ。力とはそういうものだ。


 嫌な予感がしていた。今まで何度も味わった予感だ。私の計画が呆気なく崩れる音が、遠くの方で聞こえている。


(私は、何を焦っているんだ)


 果たすべき復讐は果たせず、自死を選ぶ筋合いも無い。その私に唯一残された道。それは善い行いのために死力を尽くし、力及ばす命を落とす。そう、戦って死ぬことだ。ルーチェ・グラックス・ウェールスは、二度とは訪れない絶対の好機だ。彼女の命を守り、三好さんを救う余地を残し、人機の破局的対立を回避する。これほどのものは二度と無い。忌々しい全てが死によって正義と善に統合される。私は、この主体的で創造的な実践を達成せねばならないのだ。


 小山さんが吠えた。こちら目掛けて跳ぶ。私は飛び降りて、迫る彼女をもう一度、墜落させ、降り立つ。彼女がそろりと立ち上がり、相対する。一階から五階まで、大きな穴で貫かれた広い空間は、今や、蜘蛛の巣と黒い布で敷き詰められた。それらの遮蔽物は、私たちの間に明らかにただ一本の道を作っている。


――ここを通るがいい。


 そう言わんばかりの通路を、彼女が真っ直ぐに駆けてくる。


夜天回廊やてんかいろう


 彼女を覆い囲うように、漆黒の壁と天井が現れる。夥しい数の星が浮かび、激しい光を放ちながら降り注ぐ。中を通る彼女を、上下左右から焼いていく。並の覚醒者ならば、消滅する攻撃を、彼女は絶叫を上げながら駆け抜けた。苦痛が終わることを信じているかのようだ。だが、明けない夜があることを、私はよく知っている。


 回廊を抜けた彼女の体は全身を瀝青化させ、真っ赤に焼け爛れていた。その彼女に向けて伸ばす私の右腕も赤く焼けていた。それこそが最後の一つ、ウェールスの技の模倣、触れたものを使用者もろとも破壊する技。


(人よ、神よ。善と正義。私は、死に遂げる)


相釈化腕そうしゃくかわん


 振り下ろされた拳を躱し、彼女の頭を掴む。空間に、断末魔が鳴り響いた。


「早くしないと間に合わないよ」


 隔壁と入り組んだ道に、ウェールスは次第に焦りを募らせていた。破壊して通ることは難しかった。理由は二つ。一つは単純に能力の問題。ウェールスもクローバーも目の前の一つを破壊することは容易い。だが、全ての壁をその都度破壊するとなると、両者異なる機序メカニズムで不可能だった。もう一つは理念上の理由。これは特にクローバーに顕著で、人類の被造物である地下シェルターを、フーマニットである自分たちが破壊することは許されないというものだ。


 つまり、状況は一つのことを示していた。優れた覚醒能力を持ち、倫理的制約に自由な人間が、この問題を打破できることを。


 小山さんに私という誤算があったように、私にも誤算があった。本来、彼女はもっと後に来るはずだった。全てが終わった後に現れて、生きながらえたウェールスを見つける。彼女が持っている拳銃から私の意図を察して彼女を受け入れる。新たにこの二人で、三好さんを救うべく行動する。そのような算段は全て崩れ去った。


――どこぞの誰かが壺なんぞを買ったばかりに。


「何」


 愚直に道を進む二人が地響きを聞いた。狼狽えて立ち止まるウェールス。音が早々(はやばや)と大きくなっていく。それはもはや壁を破壊してこちらに向かってきているのだとはっきり分かった。


 また額が裂けた。だが、どうということはなかった。流れる血はすぐに止まり、傷口は癒える。消費したばかりの瀝青はすぐさま回復した。また壁が現れた、雄叫びを上げて突進する。


 立ちはだかる全てをぶち抜いて、砂上叶子が現れた。

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