⑤ コア、偽想刻殻、真犯人、真相――姿なき復讐者

 犯人が息を潜めていたのは、大家氏の塔の真下にほど近い、地下シェルター街の中でも一際大きな空間で、大型の商業施設の中だった。暗闇の中、安楽椅子に揺られて天井を眺めている。太腿の上には一冊の本。最後の標的がやって来るのを待っていた。


 その時だった。施設内の照明が光を放った。まだ、この建物の中には前時代の技術が息づいていた。何者かが電源を作動させたのだ。電灯は大いに破損、喪失し、疎らな明かり、その中を靴音が確かに近づいて来る。


 今回の事件は、以下のような内容、展開だった。


①犯人に殺害されたのは栄秀平氏、森盛夫氏、大家正文氏の三名。森氏を除く二人と難を逃れた明石氏が殺害予告の届いた標的だった。


②犯人はまず一人目の標的、栄氏を殺害。栄氏は書斎の壁際、暦の傍で仰向けに倒れていた。傷は致命傷となった一つだけ。凶器は彼の体はおろか壁まで貫通していた。


③森氏の殺害は、犯人が業者に依頼して行わせた。現場には生々しい血痕と彼らが何かを持ち去ろうとした形跡のみが残っていた。


④二人目の標的、大家氏が予告日の前日に殺害された。塔に火が放たれ、彼の腕が自警団の拠点に投げ込まれた。


⑤三人目の標的、明石氏は犯人を突き止め、犯行を阻止することに成功したために無事だった。


 それに対して私は以下のように推理した。


⑥犯人は大家美央氏である。動機は逢坂氏と自警団の掌握及び人身売買の安全性の確保。彼女は自身の歪んだ上昇志向と悍ましい商魂を白の媒介者につけ込まれた。


⑦第一の犯行、栄氏の殺害では、白の媒介者の操る津田さんが姿を消す技を用いて屋敷に潜入、背後から刺殺した。


⑧森氏は口封じのために業者に殺害させた。彼は大家美央氏に唆されて妻を毒殺しており、その件で彼女に脅され、私とウェールスに毒を盛った。


⑨大家氏の殺害では、大家美央氏は夫と逢坂氏の盟友である河原寺氏を共に葬ろうと考えていた。ところが私とウェールスが大家氏の護衛につくことになり、犯行の失敗を恐れた彼女は、予告を破って前日に夫を殺害した。


⑩明石氏の殺害は、大家美央氏が二つの方法――手勢もしくは自警団員に成りすまし、明石氏に近づく。地下シェルターを使って明石氏の屋敷に向かい、襲撃する――のいずれかを選んで行おうとしている。


 事件の内容で五つ、推理で五つ、計十項目を挙げた。私の推理は嘘だった。殺害予告は河原寺氏にも届いていたから、事実の方にも見落としがあったわけだ。では、真相はどのようなものだったのか。


 それは、各五項目から一つづつ除いた全てが間違っている、というものだった。


 事件の発端は、栄秀秋氏が大家氏の元にいる小山さんを手に入れたいと、大家美央氏に接近したことにある。彼は大家美央氏の歓心を買うために、彼女が求めるままに毒物を横流しし、それが森氏の妻の殺害に用いられた。関係を深め、いよいよ栄氏は大家美央氏に本題を持ち掛ける。小山さんを売って欲しい。彼女にすれば、小山さんは目障りな存在だ。邪魔者を排除して、金まで入るなら、拒む理由は無かった。


 ここで大家美央氏の商魂が発揮されてしまう。栄氏が求めたのは、小山さんを寄越すことだ。しかし、彼女はそれにかこつけて一挙両得を企てた。夫、大家正文氏の殺害だ。彼女が欲しいのは夫ではなくその財産だ。小山さんを排除できても、夫が生きている限り、同じようなことは起こりうる。ならば、今、協力者がいるうちに始末してしまおう。彼女は毒を仕込んだ食べ物を大家氏の塔に送った。


 ところがこの企てが他ならぬ彼女自身の首を閉めることになる。毒殺を仕掛けて数日後、大家氏の塔に行ってきたと話す逢坂氏の様子はいつもと変わらない。毒殺が失敗に終わったのだ。彼女は次の手を思案した。だが、そこに一通の手紙が届く。差出人は小山さんだ。


――ケーキはこちらにあります。


 貴女のやろうとしたことは全て分かっている。そう告げる文面には、印の付けられた地下シェルター街の地図が同封されていた。その場所に着くと非常用の電話があった。彼女がやって来たのをどこかで見ているかのように突如、鳴り出した。恐る恐る、受話器を取る。聞こえてきたのは夫、大家氏の声だ。混乱する彼女を笑いながら、


――私です、奥様。


――小山。


――ええ。私、力に目覚めたんです。よくできているでしょう。


 狼狽える彼女を夫の声で嘲笑う。


――何が狙いなの。


 何を要求されるのか戦々恐々とする彼女に小山さんは、


――もし良かったら、奥様の代わりに旦那様を殺してあげましょうか。


 殺人の代行を申し出たのだ。提案は、自分が大家氏を殺す代わりに、彼の財産を幾らか寄越せというものだった。大家美央氏にすれば、我が身の破滅を恐れていたところだ。多少の損はするものの、目的を達成できるのだから、断るはずもない。大家美央氏は小山さんと協力関係を結んだ。


 まさか夫の毒殺に成功していたなどとは夢にも思わずに。


「犯人の直接的な動機は逢坂氏ではなく、大家美央氏への復讐だ」


 逢坂氏がその復讐に関連づけられたのは、大家美央氏が大家氏を殺害した動機が彼だったからだ。間仕切りの向こうに声をかける。


「そうだろう。小山さん」

「ええ。そうですよ」


 答えて姿を現す。その声も姿も殺された大家正文氏そのもの――偽想刻殻だ。


 復讐は実に巧妙で屈折したものだった。小山さんは大家美央氏を殺害するのではなく、破滅させることを選んだ。殺害予告の標的は、その目的を中心に据えつつ、周辺的な事情を加味して選ばれた。栄秀平氏――逢坂氏の養父であり、自警団最大の支援者でもあるこの人は、彼女を凌辱した栄秀秋氏の実父でもあった。


 第一の標的、栄秀平氏の殺害。これを実行したのは津田さんではなかった。小山さん自身の手による犯行だ。地下シェルター街を使って栄氏の屋敷まで行き、彼を刺殺した。壁越しに。入口があったのは中庭、故山水に架けられた橋の下だ。だが、覚醒能力を用いた透視など彼女にはできない。たとえできたとしても、そこに栄氏がいなければ、犯行は不可能だ。この課題を彼女は実に古典的な手法で克服した。信仰心の篤い栄氏には、何か気がかりなことがあると神棚の下で願掛けをする習慣があった。そのことを知っている者であれば、逆手にとって彼をあの壁際に立たせることができる。殺害予告の効用はこの点にあったのだ。


 第二の標的、大家正文氏。しかし、彼を殺したのは大家美央氏だ。小山さんが行ったのは死体の損壊と塔への放火だ。損壊と言っても、彼の右腕を切り落として自警団の拠点に投げ込んだことではない。大家氏は写本を行う人だ。それ故に利き手の右手にはペンだこがあった。だが、投げ込まれた右手にはそれが無かった。あの腕は偽物だった。第二の事件の意義は、大家氏殺害を栄氏殺害と関連づけて理解させるための演出であり、同時に、大家氏の遺体を彼の大切な塔と共に葬る葬儀だった。


 第三の標的、明石前途氏。小山さんは彼女を殺すつもりはなかった。彼女の役割は二つ。河原時氏ことクローバーを破壊する間の囮。大家美央氏に、貴族を殺そうとした罪を着せるための名目上の被害者。小山さんに失敗があるとしたらこの人選だろう。明石氏は、彼女が思うほど弱くもなければ愚かでもなく、まともでもなかった。


 さて。この間、共犯者を務めた大家美央氏は何を担ったのか。大きくは四つだ。一つは栄氏殺害後、捜査に乗り出した私とウェールスを足止めすること。一つは第二の事件で標的は自分だと主張し、自警団を撹乱すること。一つはそれに関連して、河原寺氏を大家氏の塔の護衛につかせること(当初は大家氏の塔で河原時氏を殺害する計画だった)。最後の一つは明石氏の護衛に自分の手勢を拠出すること。


 大家美央氏は、自分が殺した夫をもう一度殺すために、自分を破滅させる計画に協力していた。ここに計画の構造上の欠陥がある。主犯である小山さんと共犯である大家美央氏の目的が対極にあるのだ。それ故に小山さんの意図と相反する行動を大家美央氏がとってしまう。


 その最たる例がウェールスの毒殺未遂と森氏殺害だ。小山さんにとって、私とウェールスは排除したい不確実要素だ。だからこそ、白の媒介者は津田さんと共に私たちを襲撃してきた。その際、小山さんは大家美央氏にも襲撃を容易にするための足止めを要請した。私たちは確かに日没後に帰宅した。大家美央氏がそれに応えたからだ。問題は応えすぎたことにある。彼女は森氏を脅して私たちを毒殺するよう指示し、その後、森氏を業者に命じて殺させた。これによって殺害予告の標的とその死という単純な構図は破綻し、その手法の統一性は失われた。にもかかわらず、一連の事件に間違いなく関係がある殺人が起きた。この一件で大家美央氏と栄秀秋氏の関係、毒殺という常套手段の存在、人身売買事件との関連、何よりも小山過という女性の重要性が明らかになってしまった。大家美央氏は、時間稼ぎさえすれば良かったのではない。それ以外してはならなかったのだ。


 大家氏の塔に河原寺氏でなく私とウェールスが来ることになったのもこの欠陥が少なからず影響している。大家氏の殺害が目的である大家美央氏には、河原寺氏を何としても塔に向かわせなければならない理由は無い。彼女は逢坂氏の色気の前にあっさりと折れ、こちらの要求が通った。仮に、本当に大家氏の殺害が予告の日に行われるのであれば、私とウェールスが護衛につくとしても計画を強行したかもしれない。しかし、彼女がやらねばならないことは演出と葬儀だった。私たちが傍にいる状況でその二つを達成することは困難と考えたから、予告を破らねばならなかった。


 大家氏の死により、小山さんと大家美央氏の協力関係は解消される。本来はそうなるはずだ。大家美央氏が当初知らされていた計画は、栄氏と大家氏の殺害だけだった。後は報酬の受け渡しが残るだけだ。大家美央氏の屋敷にあった偽の兌換券、あれこそが小山さんに渡すために用意した報酬だった。ところが自警団に投げ込まれた右手に明石氏への殺害予告が括り付けられていた。彼女の強烈な上昇志向は、権威の威力への盲信と表裏一体だ。貴族を標的にした新たな殺害予告に彼女は動揺した。そこにすかさず手紙が届く。差出人はもちろん小山さんだ。


――どういうつもり。


 受話器を握り締め、金切り声で質す大家美央氏。向こうでは小山さんが大家氏の声で楽しそうに笑っている。


――報酬の受け渡しを安全に行うためです。今から言うことをやってください。


 指示の内容は手勢を新たに募集すること、こちらから送る一人の男を採用すること、明石氏の護衛にその男を除いた全員を向かわせること。


――当日はその男に貴女を案内させます。


――どこに。


――地下です。報酬の受け渡しをそこでやります。誰にも知られずに来てください。絶対に。


 そう告げて電話は切れた。大家美央氏の情緒が混沌としたのはこの命令のためだった。そのような状態の彼女を私とウェールスは訪ねたのだ。


「犯人は覚醒者で変装の名手です」


 彼女の脳裏に一つの疑念が浮かび上がった。力に目覚めたと言う小山さんは大家氏の声で話していた。声色を変える小細工でもできるようになったのだろうと思っていたが。


――おやすみ、美央さん。


 受話器を持つ手が震える。その背後には小山さんが送った男。ウェールスの匂いに昂奮していた手勢の一人に、


「どうしたよ」


 と、尋ねたあの男が立っていた。受話器を置く。


「さあ。行きましょうか」


 声をかけられ振り向く。報酬の受け渡しと言うのに男は手ぶら、用意した兌換券はあの箱に収められたままだ。大家美央氏は彼と共に地下シェルター街に降り、意識を失った。その後、課長が降ってきた弾みで目を覚ました。


 先に挙げた十項目の内、正しかったのは②と⑧ということになる。


「どうして分かったのかしら」


 小山さんが好奇心のままに尋ねてきた。


「最初に違和感を覚えたのは栄氏が殺された後、君を訪ねに塔に行った時だ。大家氏の机が気になった。筆立ては右手側にあるのに、ペンは左手のすぐ近くにあった」

「そんなことで。ええ。旦那様は右利き、私は左利きよ」

「それだけで断言できるものではないが、漠然とそう思いながらいるとその後のことも上に重なっていく。犯人が塔を燃やした理由は、そこに犯人を示す決定的な証拠があるからではないか。大家氏が物を書く姿を見なくなったと逢坂氏が言っていたが、その理由は、書いているところを見せられないからではないか」


 そう言って笑う。


「だが、急所は第二の事件だった。投げ込んだ腕が偽物だったことは、何故、本人の腕を切り落とさなかったのかと考える機会を与えてしまう」

「あの女が森さんを殺したことではなくて」

「ああ。あれで分かったのはあくまで多くの周辺的事情だ。核心はやはり君のやらなかったこと、いや、君が君である限り、決してできないことが見えた第二の事件だ」


 私がそう答えると小山さんはどこか遠くを見つめて、


「私は、旦那様が」言って言葉を飲み込む。「あの男が」

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