④ 明石の嫉妬、先輩と後輩、逢坂のらしさ――渦巻き誘う悲劇

「アンタ誰よ。ここはどこなのよ。答えなさい」


 大家美央氏が椅子に縛られたまま体をバタバタと動かして叫んだ。暗い空間に響く不快な声に額に手を添えため息を吐く。課長は詰られながら拘束を解き、


「按察官よ」


 立ち上がろうとした肩を押さえて椅子に留まらせた。はっと自分を見上げた相手に青筋の浮かぶ笑顔で、


「話、聞かせてもらえる。答えるのはアンタなのよ」


 明石氏は床に空いたままの地下シェルター街への入口を眺めていた。


(禁製品のコアが学府に持ち込まれているとはな、開道め)


  心の中で呟く。隣に逢坂氏の姿は無い。河原寺氏、もといクローバーの言った通り、彼は地下シェルター街に飛び込んだ。


「そう睨むなよ。河原寺が犯人だと言っているのではない。犯人には別の標的がいるのではないかと考えたのだ。おまえと自警団にとって最も重要なのは誰か。おまえがここにいる理由、それが答えだよ」


 ウェールスが自警団の拠点を目指して地下を駆けていた間のことだ。ソファに腰掛け、険しい表情で押し黙る逢坂氏に明石氏がそう微笑みかけた。しかし、その言葉は彼の耳に入っていないようで、勢いよく立ち上がると、


「電話を借ります」


 かけた先は自警団の拠点だ。


「我聞が、いない」絶句する。

「河原寺が犯人だったか。おまえの覚悟に救われたようだ」


 背後から明石氏が言葉をかける。逢坂氏は振り向いて、彼女の傍に歩み寄ると、


「すみません。俺も地下に行きます」


 こういう時、この男の目には己の意志以外、何も映りはしないことを彼女はよく知っていた。


「構わんよ。ここはもう大丈夫だろう。そも、今この屋敷にいる連中が束になったところで私にすら勝てん。おまえは当事者であり続ける義務がある。それこそ私の望みだ」


 明石氏は、息せき切らせて地下を駆ける逢坂氏に思いを馳せて、ほくそ笑んだ。


(逢坂、これは罰だ。開道を選び、私を蚊帳の外に置いた、な)


 だが、明石氏の理解とは裏腹に逢坂氏は自警団の拠点に向かってはいなかった。彼は真っ直ぐに大家氏の塔を目指していた。彼の心は、河原寺氏への違和感と私の行動、明石氏の発言を結びつけて一つの閃きを得ていた。犯人は河原寺氏を本当の標的とし、彼にも殺害予告を送っていた。指定の場所に一人で来いという内容だ。明石氏の護衛に反対しなかったのは、行動の自由を得るため。


 その閃きの本質は、河原寺氏を絶対に犯人ではないとする信念の上に諸々の情報を恣意的に塗り固めたものに他ならない。しかし、それこそが彼を正解の方へと導いた。時に、推論を手に歩くよりも、信念を胸に飛躍する方が真実に近づくことはある。飛び越えたが故の過程の欠落が、悲劇を呼ぶとしても。


「副代表をフーマニットが、それも合成人間モデルが。私たちのころは踏み入ってはならない谷でした。本当に製造されただなんて」


 クローバーがにこやかにそう語るのをウェールスは俯きがちに聞いていた。


「呼びされた場所に行ったけど、誰も来なかった」

「ええ」

「ほんとに」

「これを」


 差し出された封筒の中には、印の付けられた地図と、


「二十二時に指定された場所に来なかった場合、逢坂未来を殺害する。団長さんの殺害予告」


 彼女は犯人ではなかった。誤解だと分かって心底安堵したものの、自分の威嚇が気恥ずかしい。今は、彼女のはだけた胸元に触れて、回路とその状態を把握しようとしていた。ウェールスは自身の瀝青を消費して、フーマニットに応急処置を施すことができた。


「大分、傷んでるね。よく今まで動いてたよ」


 思わず驚く。クローバーの内部はそれほどに壊れていた。


「未来のおかげです。あの子の力が私に瀝青を供給してくれていたんです」

「団長さんの覚醒能力」

「ええ。あの子の声には力があるんです。あ、通信が回復しました」

「そうだね」


 通信が回復したことで、W.S.から瀝青が供給されるようになった。損傷の自動回復が始まったのを確認して手を放す。


「アップデートもしておこう」

「分かりました」


 クローバーは視界に現れた所要時間の表示に感嘆の声を漏らした。


「一分。学府からの回線は細いはずなのに。時代は随分と変わっていたのですね」


 しみじみと言う傍で、ウェールスはふっと湧いた疑問をそのまま口にした。


「あのさ。姿を変えてまで団長さんの傍に居たのに、どうして突然姿を消したの」


 すると彼女はどこか憂いのある微笑みを浮かべて、


「私の筐体を触って何か思ったことは無いですか。それが答えです」ぱっと声色を変えて、「さあ。アップデートが終わりました。急ぎましょう」


 ウェールスの言葉を待たずに走り出す。


「待ってよ」慌てて後を追いかける。


 小休止を終えて先を急ぐ両者に、いよいよ通路の複雑さが立ちはだかり始める。これまでは一つの大通り自体は一本道だったが、隔壁が現れるようになった。越えるためには一つ大通りを移り、そちらを進んで元の大通りに戻る必要がある。


 そのような煩雑さに併行して、地下シェルター街の様相にも変化が見られた。それまで地下室と通路という趣だったのが、大通りと大通りの間に(すなわち二つを繋ぐ道の途中に)二階建ての建物のような構造物が見られるようになった。地下空間と小さな街だ。


 その街を一つ越えて、再び大通りに入ったところで、


「犯人は誰なんだろう」


 と、疑問を口にする。隣を走るクローバーが前を見据えたまま、


「地下の存在を知っている者は限られます。その中で直近、挙動を把握していない者となれば」


 俄かに信じられないというふうに横を見て尋ねる。


「小山さんってこと」

「いいえ。もう一人います」

「えっ」


 ウェールスのまじまじと見つめる視線を横顔に感じながら、


「二人目の犠牲者の姿を私たちは確認していません」


 巨大な空間に切り結ぶ音が響き渡る。私の視線の先にいるのは、殺されたはずの大家氏だった。

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