③ 慌てるルーチェ、急ぐ叶子、幸運を喚ぶ女――河原時我聞の正体
二十二時まで後三分を切った。周囲の緊張がいよいよ極限に達したのを感じて、明石氏が滑稽そうに笑った。
「そう案ずるな。犯人が並の覚醒者なら私とて遅れは取らん」
傍の槍を取り、床板の前に立つ。顎でしゃくってそれを指す。
「犯人が来るとしたらそこか、玄関からしかあるまい。出てきたところを槍で突いて屠ってやろう」
壁掛け時計の長針が天を指し、鐘の音が部屋に響く。と、勢いよく床板が跳ね上がった。見えた人影、瞬時に明石氏に槍を突きつける。
「おまえは」
「電話を貸して」
ウェールスが電話をかけた相手、課長は津田さんの家から帰る途中だった。
「ごめんなさい」
津田さんの妻君、幸さんがしょんぼりとした様子で謝罪する。本来、今日訪ねる予定は無かった。それがこうなったのは、
――清さんが倒れたんです。
泣きながら慌てふためく幸さんの電話があったからだ。急いで来て事情を聞けば、回復祈願で買った壺の値段を知って卒倒した、というものだった。
「まったく人騒がせな」
車を走らせながら、一人呆れ混じりに微笑む。ちょうどその時、車載電話が鳴った。
「誰よ、こんな時間に」受話器を取り、「はい、砂上」一言二言交わすと、さっと表情が真剣に変わる。「なんですって」
ウェールスが課長に現状を説明し、部屋にいた明石氏、逢坂氏も聞いていた。
――確認するわ。開道君は大家美央が犯人だと言い、現場に向かう道を地下と地上の二つに絞った。アンタが地上、開道君が地下。時間になっても大家は出てこず、地下を選んだと考えたアンタは大家の家に突入。確かに大家の姿は無かった。事前の取り決め通り、開道君が迎え撃ってるはずの場所に行った。ところが誰もいなかった。ここまでは合ってる。
受話器越しの声に頷き、
「合ってる」
背後で明石氏が状況を整理し、推理を口にする。
「犯人は二つの手段のいずれも選ばず、予告の時刻を過ぎてもまだ私の前に現れていない。単純に考えれば、三つのことが言えよう。犯人は大家美央でない。開道は現時点で真犯人と対峙している。彼奴は最初からそれを目論んで、嘘の推理と対応策を共有した」
ウェールスは彼女を一瞥し、発言内容を課長に伝える。
――開道君じゃコアには勝てないんでしょ。
「うん」
――それを敢えてやりたがるなんてただの自殺行為じゃない。
課長が吐き捨てた言葉に一瞬視界が揺れる。被りを強く振って、
「だけど、何の勝算も無しにこんなことをする人じゃないと思う。何かはあるんだ」
泣き出しそうになりながら言った言葉に課長が笑う。
――そんなことは私の方がよく知ってる。付き合い長いんだから。とにかく、開道君を探しましょう。私も後で合流する。
「分かった」
通話を終えて受話器を置くと、課長はハンドルを握り直した。車が元来た道を速度を上げて引き返す。合流する場所を決めることなく電話を切ったが、問題は無かった。ウェールスの位置を把握することができるからだ。彼女にお礼と言って渡した金貨は発信機の機能がついた偽(・)物(・)だった。
「開道の居場所だが。私に思うところがある」
明石氏は言うと座卓に地下と地上、二つの地図を並べて、
「大家の家から私の家まで、おまえは目印を頼りに来た。大家がつけたと思っていた目印を。ところが犯人は大家でない。目印は大家を犯人に仕立て上げるために真犯人がつけたわけだ」
「うん」
地図を覗き込みながらウェールスが首肯する。
「であれば、この間の全ての犯行と連続性を持たせようとするはずだ。つまり、これは真犯人自身が地下シェルター街を移動する際に利用してきた手法の転用ではないか。となると、どうなる」
「僕が通ってきた道に合流するための目印があるかもしれない、他の道にも」
「左様だ。もしそうなら、それを辿ることが真犯人、伴って開道に辿り着く有力な手がかりになるだろう。だが、それだけでは心許ない。目印は犯人の犯行履歴だ。無批判に従えば、過去の事件現場に出るだけに終わるやもしれん。そこでもう一つの手がかり、開道の行動とその意図だ」
「炯がどうして嘘をついたかってこと。犯人を一人で追いかけるため」違うのというふうに尋ねる。
「推論の解像度が低いな、探偵殿。重要なことは、嘘をつくことでどうしてそれが実現可能になるのか、だ。開道は嘘の推理と計画でおまえを地上に、自分を地下に配することに成功した。おまえが持ち場についてから騙されたと気づくまでの時間、それが開道の得たものであり、欲したものだ」
そう言って、明石氏は鉄扇で地下の地図をなぞり始める。
「地下シェルター街の構造は、地上から進入するための道を省けば、同心円の弧のように大きな通路が配置され、これらを不規則に配置された小さな通路が繋ぐという形状だ。都合、大通りを移る際に、それも何本も向こうに移動する際に、最も時間がかかる。時間がかかる。必要だ」
「炯は大通りを何本も越えたかった。犯人がそこにいるから」
ウェールスの答に明石氏が頷く。
「今回の事件と関係がある建物の中で大通りを何本も渡った先にあるのは」
「大家さんの塔」
「大家は既に殺されただろう。もう一つある」
「もう一つ」
ウェールスが首を傾げる。明石氏が逢坂氏を一瞥し、鉄扇がある一点で止まった。
「自警団の拠点。私は、そう見る」
課長がウェールスに渡した金貨型の発信機は、彼女の姉、砂上祷子が覚醒能力を用いて作ったもので、性能は秀抜だ。覚醒能力を使用し、発信機の位置を捉える。C級街の一角だ。大通りから細い道に速度そのままに突っ込み、走っていく。着いた先は、
「ここ、どこ」
なだらかな坂道に密集する破棄された民家、その中の一軒だった。窮屈な内部は木の腐った臭いが立ち込めている。ほとんど枠だけの襖を開けようとすると、ジャリッとした感触がして、カビ臭い埃がぼんやり目を覚ましたようにはっと舞った。気にせず、いつもの調子でばんと開けると、大騒ぎをしだす。
「なんなのよここ。本当にいるの」
発信機からの信号は確かにこの真下から発せられている。気になることがあった。位置が動かないのだ。ウェールスは地下を移動しているはずにもかかわらず。課長は発信機との同調を強めてより多くの情報を得ようと試みる。
(やっぱり持主に動きはない。一人きり。ひとまず安全ってことかしら。結構広い空間ね。四方の壁のうち二つに出入口がある。通路の傾斜から一つはより深く潜る、シェルター街とやらに向かう道ね。もう一つは同じような空間に繋がってる。入口は)
「へっ」
突如、床が抜け、そのまま下に落ちた。ぽっかり空いた穴を恨めしそうに見つめ、
「そこだったかあ」
と、すぐ近くから悲鳴が聞こえた。
「びっくりした。私もよ」言いながら首だけ動かし、目を見開いた。「アンタ」
そこにいたのは、大家美央氏だった。
ウェールスは地下シェルター街を駆け抜けながら私の言葉を思い返した。先ほどとは意味が違う。明石氏の言った通り、見落としていた目印を見つけたからだ。
(だから、あんなこと言ったんだ。焦った僕が脇目も振らずに通り過ぎるように)
その新たな目印を頼りに進み、分岐点に行きついた。異なる目的地へと導くそれらの中に、明石氏の推理の通り、自警団の拠点の方を指すものがあった。それを選び、駆けていく。
ふと、結局、犯人は誰なのだろうと思った。彼女が思わぬ人物と遭遇したのはまさにその時だった。ばっと急停止して声をかける。
「河原寺さん」
予期していなかったのは河原寺氏も同様で、目を見開いて、
「異人の。おまえ、犯人はどうなった」
「それを追いかけてるんだ。河原寺さんはどうしてこんなところに」
「別件だ。団員が殺された事件を調べてる。場所によっては地上を行くよりここを通った方が早い。時間短縮だ」そう答えてはっとする。「この道は俺たちの根城の方だ」
「そうだよ。真犯人は自警団の拠点に向かってるんだ」
「俺はその拠点から来たんだぞ。そんなヤツとは会ってない」
「ええっ。どういうこと」
「どうもこうもないだろう。そもそも、犯人がどうしてこっちに来ると思ったんだ」
「犯人がっていうか、炯が向かってるのはこっちだって」
そう言って、明石氏の推理をかい摘んで説明する。河原寺氏は舌打ちして、
「あの貴族め。あの女は俺を犯人だと踏んだんだ。まずいことになった。逢坂サンはあの女と二人でいるんだろ」
「そのはずだけど」
「急いで始末をつけるぞ、逢坂サンが地下に来ちまう」
「急ぐったってどこに」
「てめえの推理を忘れたのか。こっちじゃないならどっちだ」
「大家さんの塔」
「近道を知ってる。ついてこい」
河原時氏の後を追い、地下シェルター街を急ぐ。
「こっちだ」
ウェールスは次第に方向が曖昧になり、迷路の中を連れ回されているような感覚に陥った。
「こっちだ」
何度目かのその台詞を河原寺氏が言ったとき、ウェールスははっとして立ち止まった。
「待って。どうして知ってるの」
その背中に今更の問いをぶつける。河原時氏は振り向いて、
「俺もクローバーの日記を読んだことがある。地図で見た」
「ここは真っ暗で似たような道ばっかりだ。地図で見たら、目印も無しにこれだって分かるの」
「さっきも言っただろ。地下を行った方が早いことがある。よく通るんだ」
その言葉には取り合わず、ウェールスは先ほどから心を掻き乱す一つの推理を紡ぎ始めた。
「さっきから考えてたんだ。どうして炯は僕に嘘をついたのか。どうして一人で犯人と向き合うことにしたのか。最初は言葉通りの理由だと思った。彼は死に場所を求めてる。でも、慌てて、目印を見落として。それが狙いなんじゃないかって思うようになってから、別のことを考えるようになった。炯は僕を犯人から遠ざけたい。犯人の正体を知られたくないんじゃないか」
――仮に犯人がクローバーなら、学府の人々全体を守るため、その手段であるW.S.を守るため事件を起こしたことになる。目的への冷徹な従順さから行なったわけだ。その点はどうも釈然としない。
――言ってなかったからね。
――逢坂のやろうとしていることを止めるためだ。
――犯人はフーマニットかもしれない。
ウェールスの体から瀝青が迸る。
「もう一回訊くよ。どうして君はそんなに地下シェルター街のことをよく知ってるの」
凄む彼女を見て、河原時氏は一瞬面食らったような顔をした。今までその顔で見せたことの無いような柔和な笑みを浮かべ、
「ルーチェ・グラックス・ウェールス。なるほど、そういうことですか」女の声だった。「気づくのが遅かった」
表面を覆っていた河原寺我聞の姿がはらはらと剥がれ、瀝青になり、消えていく。現れたのは緑色の髪をしたフーマニット。河原寺我聞こそが、クローバーだった。
「炯はどうした」
ウェールスの怒声が暗いシェルターにこだました。
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