十一日目

① 前哨戦、最後の捜査、炯の揺さぶり、怯えるルーチェ――大家美央との対峙

 翌日の昼過ぎ、私たちは大家美央氏の元へ向かった。例によって例のごとく、逢坂氏に連絡した上での訪問だ。彼には犯人が誰なのかを話すことはできない。しかし、それに見当がついたこと、クローバーでないことを告げると諒解してくれた。逢坂氏によれば、大家美央氏に幾つかの変化が起きている。


「第一に、彼女は手勢の数名を解雇し、新たに雇い入れている。また、現在も募集をかけているそうだ。第二、つまり彼女は手勢を強化しているわけだが、自分を自警団に守らせている。第三、では彼女の手勢はというと、自警団と行動を共にしている。なんでも明石氏の護衛に協力したいと申し出たらしい」


 隣で話を咀嚼しながら相槌を打つウェールス。ぱっとこちらを向いて、


「明石さんのが第四かな」

「ああ。付け忘れてしまった」

「どういうことだろうね。犯人なら自分の手下に邪魔させるかな」

「あるいは、そうすることが明石氏の殺害に必要か」

「手下に殺させるってこと」

「可能性は色々とあるんだろう。これ自体は犯行を支えるものではなく、別の目的を見越したものということも有り得る」

「別の目的」

「大家美央氏が犯人であれば、当座の目的は自警団の私物化だ。手勢と自警団の境界を曖昧にしたがっているのかもしれない」

「おっかない人だね」

「そう言ったろう」


 大家美央氏の家に着く。前回、門の前にいた二人の男の姿がない。ウェールスが心なしか安堵の表情を浮かべる。


「自警団の人たち、外にはいないんだね」

「あまり人数を割きたくないんだろう。家の中に数人いるくらいだと思う」


 それどころではないということもあるが、そもそも誰もやりたがらないのだろう。彼女は持ち前の放縦さと依存心に磨きをかけており、団員を家人のように扱うために不満が上がっていると逢坂氏が嘆いていた。


「そっか。よし、行こう」


 彼女の号令を受けて呼び鈴に指を伸ばす。傍の郵便受けに手紙が差し込まれているのに気づいた。


「せっかくだ。使うとしよう」

「どうするの」

「届けるだけさ。ここにいた大男の代わりにね」


 自警団員は家の中に四人――栄氏の事件に居合わせた四人のみだった。彼らは大家氏への殺害予告が届いた際に大家美央氏を護衛する班に入っていた。雪辱を晴らすために志願したそうだ。大家氏が予告の前日に殺害されるという事態を迎えてからは他の団員が撤収する中、殿としてここに残っている。出迎えてくれた二人に、


「体の具合はどうですか」

「とっくに元通り、なんなら前より良くなってる」


 力自慢の稲田氏が答える。野太い笑い声が廊下に響いた。杉村氏が慌てて、


「声が大きいんですって」

「ああ。すまん」


 肩を竦めて謝る稲田氏の表情から彼らの苦労が見てとれた。


「大家さんはどちらに」


 尋ねると二人は顔を顰めて、


「自警団の詰所ですよ」

「団長の椅子に我が物顔で座ってる」

はしばみさんと檜山くんはそこに」


 稲田氏が被りを振って、


「いや、アイツらは掃除と洗濯だ」二人同時に深いため息を吐く。

「先生、気をつけてくださいよ。あの人ちょっとのことでぶち切れ散らかすんですから」


 杉村氏が人差し指を頭の上に乗せて注意を促す。


「忠告ありがとう」


 礼を言って私たちは大家美央氏の元へと向かった。


「頭おかしいんじゃないの」


 部屋が歪んだかと思うほどの怒気と声量で、大家美央氏が叫んだ。傍に付き従っていた四人の手勢の男たちが顔を顰める。一人が苛立たしげに私から手紙を奪い取り主人に渡した。彼女は机に肘を突き、前に立つ私たちを鋭く睨みつけている。私は淡々と、


「殺害予告かもしれませんから」

「差出人が書いてあったでしょう」

「あまり見ないよう心がけました。失礼になってはいけないと」

「黙れ。汚い異人が」背もたれに寄りかかり、嘲りに満ちた笑みを作る。「口だけは達者なのね。大家を守れなかった役立たずが」


 一日前倒しで起きたからという言い訳を彼女が待っているのが分かる。


「申し訳ありません。だからこそ奥様に何か」


 取り合わずに殊勝な物言いに徹する私を、首を掻きむしりながら遮る。


「ああ。虫唾が走る」立ち上がり、私たちの前に来て机に寄りかかる。「私、ずっと引っかかってることがあるの。どうして逢坂は私でなく大家を守ろうとしたのか」表情一つ変えない私では嗜虐心が満たせなくなり、憐れ、隣のウェールスに標的を移した。値踏みするように全身を眺め、「おまえ」

「へっ」


 びくりと体を震わせ、怯えきった声が漏れる。その態度に大家氏の妻は顔を歪め、鼻を鳴らした。


「おまえに聞くのだけど。どう思う」ウェールスが縋るような目で私を見る。それをすぐさま見咎めた。「男の顔を見るな。私が、おまえに、聞いてる。答えなさい」


 恐怖と緊張で鈍る思考を必死に回し、出した答えが、


「優先順位」


 青ざめた顔でおずおずと言う。彼女の顔はみるみる赤くなっていく。


「潰すぞ」絶叫した。まだ上の声量があったのかと驚く。荒い息を雑に整え、胸を反らす。猫撫で声で、「良いわよねえ、おまえみたいなのは。顔と体以外に何も無くても男がなんとでもしてくれる。美しいと言ってるんじゃない。醜いのよ。ただ男を喜ばせる形をしてるってだけ。ガキのくせに媚び方だけ覚えやがって。いい。美しいってのは、私みたいのを言うのよ。その私に、この私に。中身空っぽのバカ女が偉そうな口を叩くな」


 矢継ぎ早に繰り出された怨嗟の言葉は息継ぎが無かったらしい。最後は叫んだところで力無くへたり込み、机の端を掴んで体を支えた。


「大丈夫ですか」

うるさい」


 私が声をかけるとまたも叫び、腕を力無く横に振るった。地鳴りのような音をたてながら深呼吸する。黙って見ていると、程なくして呼吸が落ち着いた。面(おもて)を上げる。疲労を湛える顔の中で、目だけが爛々と輝いている。


「それで。逢坂は犯人が分かったと言っていたけど」

「犯人像は分かっています。犯人は覚醒者で変装の名手です」

「変装」その目がすっと横に動いた。

「ええ、心当たりでも」


 彼女は上体を起こし、胸に手を当て息を整えた。微笑んで、


「まさか。私は覚醒者ではないからどんなことができるかも知らないわ」

「見破ることの難しい精巧な変装です。最大の特徴は存在しないはずの人間になることを得意としている点です」

「知らないって言ってるでしょ。私が犯人だとでも言いたいの」


 大声を張るが、先ほどと打って変わって迫力に乏しい。私は柔和な笑みを浮かべながら、机に視線を向ける。


「いいえ。その手紙、私は殺害予告だと考えたから届けたんです。犯人に殺害予告が届きますか」


 彼女もそれを見てぽつりと、


「届かないわね」一度、息を吐き、楽しそうに笑い出す。「とんだ肩透かしね。犯人が誰と言えるわけじゃない。分かったとは言えないわ」

「言えば良いんですか。誰が何のために、何をして、何が起きたか。その時は全員をここに呼んで言うことになります。もちろん逢坂氏も」


 真っ直ぐ見つめて問いかける。たちまち表情が強張った。


「言えるの」

「答えませんよ」

「おまえ」私を睨みつけ唸るように言う。

「犯人にはまだ標的がいます。私たちとしては迂闊な行動で犠牲者が増えるのは避けたい。大丈夫ですよ。犯人は動くしかありません。直に全て分かります」と、今思い出したというふうに懐から金貨を取り出す。「ああ、すみません。これを廊下で拾ったんですが」


 彼女は男を一瞥し、顎をしゃくって受け取れと指示する。その男が伸ばした手をかわして尋ねる。


「彼に受け取らせて良いんですか」

「何が言いたい」

「彼は信頼できるのかと訊いているんです。とても上等な代物です。それも新しい。何か大きな取引の前にまとめて用意されていたような」彼女を見据えて、「知られるとまずいお金というのもあるでしょう」


 書斎を出た私たちを自警団の四人が玄関で待っていた。開口一番、杉村氏が声を押し殺して、


「何やってんすか」

「郵便受けに入っていた手紙を届けたら怒られたんです」

「ああっ、届けちゃダメなんすよ。言っときゃ良かったなあ」

「殺害予告かもしれないと思ったものですから」

「大家さんのはどっちか分からない代物だったんだろ。二人とも殺す気ならその一つでどっちもやるぞ。俺ならな」と、察しの良いことを言ったのは榛氏。「二、三日前から様子がおかしくなった。それまでは手紙を持っていかないと怒られてたんだ」

「その日を境に今度は持っていくと激昂するようになったわけですね」


 榛氏が首肯する。そこに檜山くんが自信なさげに口を開いた。


「多分、僕が届けた手紙がきっかけだと思います」

「差出人の書かれていない白い封筒だったのかい」

「いえ。差出人は書かれていたと思います。ただ、すみません。誰だったかは思い出せないんです」

「だとすると、きっかけだと思う理由は何だろう」


 その問いに檜山くんは少し言い淀んでから、


「雰囲気です。手紙から何かいやな感じがしたんです。すみません。曖昧なことしか言えなくて」

「いや。ありがとう」

「案外、他の男からだったりしてな。金でもせびられてるんじゃねえか」


 稲田氏が笑い飛ばす。慌てて杉村氏が、


「だから声が大きいんすよ」

「すまん」

「あの、大丈夫」檜山くんがウェールスに声をかけた。

「大丈夫、ありがとう」


 顔を上げて笑ってみせるが力無い。人の情念の威力に圧倒され、すっかりくたびれている。


「帰ったら橘さんに何か甘いものでも作ってもらおう」

「うん」


 私の気休めにしおらしく頷いた。


「ダメっすよ。こんな女の子をあんな猛獣のところに連れて行ったら。檻に入ってないんすよ」

「声が爪になるんじゃ檻も役に立たないけどな」


 杉村氏の注意に榛氏がげんなりした様子で嘆く。その時、天井の装置が大きな音を鳴らした。途端に四人が色を失う。


「これは」尋ねると、

「ひい、呼ばれてる」

「奥さんからの呼び出しだ」

「急がねえと」


 杉村氏、榛氏、稲田氏が口々に答える。


「私たちはこれで」

「はい。先生、事件のことよろしくお願いします」


 頭を下げる檜山くんを三人が急かし、書斎に駆けていく。四人の背中を見送って、


「よし」

「うん」

「調べるとしよう」


 声を合わせる。地下シェルター街の有無を求めて家捜しに取り掛かった。

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