③ 犯人の思惑、別れの予感、偽造通貨と無名の匠――偽物の中の「本物」

「大家さんの奥さん、強烈な人だとは思ったけど。でも、逢坂さんを恨んでるようにはとても見えないよ」


 犯人は逢坂氏への報復のために自警団を攻撃している。確かに、それが当初の見立てだった。


「私たちは大きな勘違いをしていたんだ。今回の事件は彼の信頼する人物を排除し、自分への依存度を高めようという企てなんだ」

「動機は恨みじゃなかったってこと。むしろ」と言って口籠もる。当惑の滲む表情で、「あの、愛ってそういうものなの。攻撃的と言うか、支配的と言うか」

「愛の本性とやらは私にも分からないが。そもそも、彼女は明確な目的を持って逢坂氏に近づいたんだろう」

「明確な目的」

「一つは自警団の内部情報だ。栄秀秋氏と協力できてしまうあたり、彼女は小山さんの一件以前から後ろ暗い商売に手を出していたと見て良い。それをより安全に行うために彼らの動向が知りたかった。もう一つは自身の社会的地位の向上。夫の財産で逢坂氏に接近、彼を籠絡して自警団の主導的立場を手に入れる。彼らは大きな勢力だ。貴族に接近できる可能性も出てくる」


 ウェールスが下手物げてものでも見たかのように表情を曇らせる。


「他人の命でお金を稼いで、他人の力で成り上がろうってこと」

「ある種のわらしべ長者だ」

「あんな恥も外聞も無い振る舞いしてたのに。悪魔みたいな裏の顔があるなんて」

「人の内心は分からないと言うことさ。ともあれ、彼女は目的をより速やかに、高度に達成するために今回の事件を起こした」

「白の媒介者はその野心に目をつけたんだね」

「ああ。コアを手に入れたことで彼女は他人の力に依らず、自力で邪魔者を排除できるようになった。そうした以上、彼女はいずれ消え去るが、白の媒介者にとってはどうでも良い。彼女は手段と引き換えに目的を永遠に失うわけだ」

「なるほど」こくりと頷いて、「あの人が犯人だったら全部できそうだね。栄さんは津田さんが殺したわけだし。大家さんの殺害予告は奥さんの住んでる家に届いたわけだから、自分で作ればわけないし。そう言えば、河原寺さんを大家さんの護衛にって言ってたっけ」

「大家氏と併せて河原寺氏を葬ることができれば、彼女の狙いは大きく前進したはずだ。ところが予期せぬ事態が起きた」

「河原寺さんも団長さんと一緒に奥さんの護衛になった」

「私と君が現れたことによってね」

「だから、大家さんを予告していた前日に殺した。でも、仮に計画通りに進んだとしても、逢坂さんや自警団の人たちは傍にいるはずでしょ。どうするつもりだったんだろう」

「クローバーの日記によれば。大家美央氏の家にも地下シェルター街の入口があるらしい」

「そうなの」

「例えば、予め睡眠薬を用意しておく。それを使って自警団の面々を眠らせ、地下シェルターを通って大家氏の塔に行く。彼を殺害した後、家に戻って隣で寝たふりでもすれば」

「団長さんは自分たちと一緒に被害に遭ったと勘違いする」

「と言うわけだ」

「そっか」思案顔で一度頷く。独り言つように、「大家さんの奥さんが犯人だとして。白の媒介者はどうするつもりだろう」

「そちらは気にしなくて良いと思う。彼女の目的は犯人のそれとは別のところにある。犯人にコアを渡し、手駒である津田さんを使役して協力することまではした。最初からそこで線を引いていたんだろう。もし、まだ関与する余地があったのなら、犯人が予告を破って前日に大家氏を殺害する必要はなかったはずだ」

「あ、そっか。だったら大家さんの奥さんに専念すれば良いんだね」うーんと唸って、「この推理が合ってるのか確かめないといけないし、もっと相手のことを知りたいよね。地下シェルター街の入口はどこにあるのか、明石さんをどうやって襲うつもりなのか」

「乗り込んで調べるとしよう」

「調べるついでに突いてみる」悪戯を企む子供のような笑顔で問う。

「気をつけないといけない。彼女は森氏と同じく有力な市民であり、彼以上に逢坂氏に近い。構図上、彼女は事件で夫を殺された妻の立場だ。迂闊に追い詰めれば、事態が混沌としかねない。君も分かっていると思うが、この事件は犯人を言い当てれば終わるわけじゃない。戦い、勝利し、コアを破壊して終わりだ」


 ウェールスがそこはかとなく不満げな表情で訝る。


「なんだかすごく念を押してない」

「やらかしの前科があるからね」揶揄い混じりに答えると、

「うっ。じゃあそれが明日だね」


 そっぽを向いてそう言った。


 礼拝堂を出て、散歩は帰路に入った。太陽はいましもその巨体を暗い空の水底に沈めつつある。今日最後の陽光が街に炎の赤を流し込むが、辺りは既に夜の闇に靡いていた。光はむしろ闇の影のように延びて、閑散とした広い道と私たちを照らしている。二人と一匹の足音と息遣い。冷たい風が吹き、金木犀の香りがした。


「君の送別会をしないといけないな」

「送別会」


 ウェールスはきょとんとした顔で繰り返した。


「君はこの戦いから十中八九帰って来れないだろう」前を向いたまま答える。

「そりゃあそうだけど。大袈裟だよ」


 彼女は苦笑いを私に向けた。


「そんなことはない。必要なことさ」

「意外だね。君ってそういうところ、さっぱりしてる人だと思ってた」

「私については否定しないよ。だが、もう一人いるだろう」


 少しの間、思案してはっとする。


「マスター」ぽつりと呟く。

「橘さんからすれば、数日後、君は突然帰って来なくなるわけだ。君がそうしろと言うなら後々、私から適当な説明をするでも構わない。しかし、君はこういうことを大切にする方だと思っていた。意外だな」

「ごめん。意趣返しにしてはひどく胸が痛いよ。意地悪」

「私は極悪だよ」


 すっかり消沈する彼女を笑う。


「ウェールス、君が何者であろうと。この数日、君がした体験は人間の体験だ。君と出会った誰かが君との間で繰り広げたのは人間との体験だ。人間として出会い、人間として過ごした。だから、人間として別れるんだ。君がフーマニットだとしても」

「ありがとう」


 彼女は目を細めてそう言った。彼女の赤い髪と琥珀色の瞳が、この空に呼応するように輝いている。ルーチェ・グラックス・ウェールスは夕焼けそのものなのだ。もうすぐ、夜が来る。


 ウェールスを留学者とした最初の説明が効いて、送別会の話は実にすんなりと橘さんに受け入れられた。


「なんだかすごく寂しがってくれた」


 寝台に腰掛けるウェールスが小声で言う。俯く顔にほんのり朱が差している。


「言っただろう。あれで君が黙って居なくなっていた日には私の気苦労は計り知れない」


 ばっと顔を上げて色の抜けない顔のまま文句を言う。


「あ、それが君の本音だな。さっきはちょっと感動したのに」

「本音は一つとは限らないし、感動させるようなことを言った覚えはないよ」


 笑いながら彼女の抗議を受け流すとすっかりお馴染みの呆れ顔で、


「君ってヤツは」とため息一つで諦めてくれた。「で、それは何が入ってるの」


 座卓の上の袋を見遣る。先ほど橘さんから預かったものだ。ずしりとした重さがあった。


「銭貨、貨幣の一種だね」答えて中身を座卓に広げる。

「種類が色々あるんだね」その中の一枚を手に取り、「これなんかとてもお金には見えないけど」

「偽物だからね」

「え」


 頽廃期の現象に通貨の破壊と偽造の横行がある。それらは学府でも当然、発生した。銭貨はこの間に産まれた偽造通貨の末裔だ。「賤貨」と書くこともあるこの代物は、長らく——学府に取り締まる意思と能力が欠如していた間——野放しになっていた。有力者たちは偽造通貨で自分たちの財産を失うことを嫌がる一方、得ることは望み、鑑定士を雇い、お抱えの鋳造所を持った。当時の氾濫は悲惨なもので、一度溶解し、使用された金属と重量で価値を判断する者もいたほどだ。三十年以上前に通貨の再統一と銭貨の撲滅が始まったが、今も下層で暮らす人々には漠然と受け入れられたまま通貨として機能し続けている。


 喫茶店リハイブの客層は銭貨を使用している層と重複している。橘さんが積極的に銭貨での支払いを受け入れているから、確実に使いどころが減ってきている銭貨でリハイブの飲み食いをする者が多いのだ。


「それってほとんどタダで飲み食いさせてるってこと」


 説明を聞いていたウェールスが驚く。彼女は人である私が驚くほど一般常識をよく修めているが、特に金銭周りは世知辛いほどしっかりしている。


「そうでもないさ。君の言った通り、確かに種類はあるんだが」私も一枚取り上げて、「これと君が持っているものは本来、同じはずのものだ」


 彼女の目の前にかざす。


「別物にしか見えないけど」

「参照した本物の価値は同じという意味だ。銭貨は品質に大きなばらつきがある。中には名物と呼ばれる極めて品質の高いものや、頽廃期の通貨事情を知る上で価値の大きなものもある。それらは今もそこそこの値で取り引きされる」

「だから君はさっき鑑定って言ってたんだね」


 首肯する。売り上げとして貯まっていく銭貨を定期的に鑑定する、家賃の支払い方法の一つなのだ。


「たまに売り上げ以上の利益が出たりする」

「それはそれで良いのかな」

「知らなければ存在しない利益だ。それに橘さんは利益を客に還元している。道義的な問題は差し引きで許してもらいたいな」

「そっか」と柔和に笑う。

「よく見ると、大半が似たりよったりだと気づくだろう」


 銭貨を手で均しながら問いかける。ウェールスはくすんだ金や銀、銅の色をしたそれらをひとしきり眺めて顔を上げた。


「本当だ」

「だが、これは」一枚を掌に乗せて差し出す。「無学の匠と呼ばれる名物の一つだ」


 手に取りまじまじと眺める。


「よく出来てるね」

「無学の匠が作ったとされる銭貨の中には、意匠や精度の上で本物より優れていると言われるものさえある」


 刻まれた模様を観察して、


「塔かな」

「本物に刻まれた塔は五重塔、屋根が五つあった」

「でも、三つしかないよ。無学ってそういうこと」

「通説ではね。手先は器用だが、貧しい出自の人物で、本物を見たことが無かったからこうなったと。おかしな話だと思わないか」

「どういうこと」

「塔以外は本物と見分けがつかないほど忠実だ。これほど精巧な偽物を本物を見ずに造れるだろうか。第一、これほどの実力ならば、どこかの有力者のお抱えだった可能性が高い。仮に匠本人は確かに本物を手に入れるだけの経済力が無かったとして、雇用主にも無かったろうか」

「わざと三重塔にしたってこと」

「そう主張する説がある。偽物の巧緻とは本物と相違ないことだ。言い方を変えれば、本物を超える品質を追求することは愚行に過ぎない。この説に則れば、無学の匠はその愚行に邁進した。偽物を造った者にも本物の職人の自負があったわけだ」

「偽物の中に本物」銭貨の山を眺めながらそっと呟く。


 と、ウェールスが思い出したように、


「ちょっと待ってて」


 部屋を出て行く。かと思えば、鞄を持って急ぎ戻ってきた。木箱を出して、中の金貨を差し出す。


「叶子に貰ったんだ。それも名物だったりしない」


 検めながら、


「なるほど。確かにとてもよく出来ているな」

「でしょ。それもなんとかの匠なのかなって」


 期待に満ちた目で言う彼女に思わず笑って、


「残念だが、これは名物じゃない」彼女に渡す。「ただのだよ」

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