七日目

① 炯の過去、三好綺羅星、蔵書管区事件――塔と共に焼かれた第二の被害者大家正文

 翌日、大家美央氏の元を抜け出せた逢坂氏と共にもう一度大家氏の塔に向かった。具体的にどう守るか話し合うためだ。栄氏の殺害で犯人が自警団の内部情報を知り得る者であろうことは逢坂氏も理解している。限られた人間だけが当日の行動を把握しているようにしたのだ。二度手間と言えなくもない二日連続の訪問は、自分のまめさを示すための自己演出の一面もあるだろうが、大家氏を重んじているのは真実だろう。悪いことに彼は少々冷静さを欠いていた。犯人との戦闘から守りたいとして自警団の拠点への退避を提案したのだが、


「できれば今日中にも」

「私が殺されるのは明後日でしょう」

「犯人が言ったことを守るとは限りません」

「嘘ならわざわざ送りつける必要もないでしょう」


 大家氏が困ったような笑みを浮かべる。戦力として最も信頼できることを理由に配置するのだから、私たちから離れる方が危険ではないかと指摘され却下となった。逢坂氏の悲壮感を中和するように大家氏は楽観的に振る舞い、対応策は私とウェールスの二人が傍で守り切る――それ以外に無いというものに落ち着いた。大家氏が待機する部屋や犯人の侵入経路に対する見立て、戦闘の段取りなどを共有して(それらはこの場の四人しか知らない)、話し合いは終わった。


「当日はお世話になりますよ」


 険しい表情の逢坂氏とやや緊張気味のウェールスに挟まれて帰りの道を行く。私には彼が単純に事件に浮き足立っているようには見えない。何か別の、少なくとも彼にとってもっと深刻な理由から焦っているように思われた。


「そう言えば、小山さんのことはご存知ですか」


 目下の困難と無関係の質問に彼は反射的に一瞬、私を睨みつけた。ため息を吐き、小さく首を横に振った。


「すまん。小山か。どこかの貴族のところに出したそうだ」

「門下ですか」

「そうじゃないのか。結婚も養子もないだろう。どういう経緯でそうなったのか。あいつが傍に居てくれたら大家さんももうちょっと必死になってただろうに」

「小山さんが居なくなったことで気力を失ったと」

「ああ。大家さんは物静かでも情熱を持った人だった。仕事に意地と誇りがあった。俺の話だって何かを書き写す片手間に聞いてたんだ。それを小山が楽しそうに見てたりしてな。あいつが居なくなって変わっちまった。今のあの人は穏やかなだけだ」


 夜半、部屋の戸が叩かれた。ゆっくり開いた隙間からウェールスがおずおずと顔を覗かせた。


「どうした」

「まだ寝ないの」

「ああ。眠れないから良いんだ」

「そっか」部屋に入ってきて、「あ、何かしてた」

「いや、気にしなくて良い」

「良かった。なんだか眠れなくてさ。少し話さない」

「事件の整理でもするか」

「余計眠れなくなるよ。そうだこれ、マスターに勧められたんだ」

「推理ものだね」


 しばらく橘さん一押しの推理漫画の話をした後、ふとウェールスが黙り込んだ。言葉を選ぶように、


「あのさ。君のこと訊いて良い」

「答えられることなら」


 真剣な表情でじっと私を見つめる。いくつかある質問を選んでいるらしい。苦笑いで待っていると、


「どうして按察官を辞めたの」

「質問はそれで良いかい」

「え、ダメだった」

「いや」笑って、「辞めたと言うか、辞めさせられたのさ」

「何かやらかしたの」


 上目遣いでこちらの様子を窺う。少し勿体ぶってから、


「犯罪者に手を貸した」

「ええっ」

「冗談だよ」

「趣味が悪いよ」


 彼女の素直さを愉しむ私を呆れ顔で詰った。


 私が按察官になったのは十九歳の時だった。通常、上級の貴族は特定の条件を満たす貴族の推薦状を得て、十八の時に大学校へ進学する。卒業後に管察官になれば、彼らの栄達の道が始まるのだ。開道家は家格の上では石田家や砂上家(砂上家は元は石田の分家筋だ)に並ぶ最上級の貴族だった。しかし、その子である私はこの道から落伍した。推薦状が得られず、大学校への進学が叶わなかったのだ。


 先生が言ったように、推薦状が得られる時を待つことはできた。一年間そうしたように。だが、これまた先生が言ったように、その時が数年の間に訪れはしないことは明らかだった。私は忠告を退けた。


 按察官になったからにはもはや立身の主流に戻れないことを受け容れたと言って良い。下級の貴族や経済人の活躍の場である按察に爪弾きに遭った上級貴族の居場所など無い。必然的に閑職での飼い殺しになる。かくして、按察庁都市事業部保安三課に配属となった。


 三好綺羅星と出会ったのは按察官になって一年が過ぎた頃だった。後に非市民となる私とは正反対の人生を歩んだ人で、非市民の生まれでありながら貴族の門下となり、この人の援助を受けて市民格を獲得、推挙を得て按察官になった。


「初めまして。遺産保護課に配属されました三好綺羅星です」


 折紙の文鎮(身分が高いだけで何の役にも立たない置物の意。下(お)りてきた上(かみ)の者と掛けている)と揶揄される三課に挨拶に来た稀有な人だった。


玩具おもちゃみたいな名前ね」課長が驚く。

「父が学の無い人で。きらきら光る夜空の星のように、だそうです。でも、気に入っているんです」


 そばかすと笑ったときにちらと覗く八重歯が私たち貴族には無い純朴さを醸した。それは高度に貴族の気風のみと接してきた課長にさえも通じた。


「品は無いけれど、素朴な愛情を感じるわ。良いと思う」

「ありがとうございます」


 三課で過ごした数年間は私の人生の中で最も穏やかな時間だった。それなりに充実してもいた。按察官の職務への態度は現金だから、得るものが無いと判断した事件は私たちに回された。しばしば三好さんが個人的に仕事を持って来ることもあり、暇を願う課長がその度に嘆き悲しみ、津田さんに引き摺られるように駆り出された。


 しかし、その日々も長くは続かなかった。蔵書館区事件――私が遂に全てを奪われることになるあの事件が起きた。


 蔵書館区とは、学府が保有する前時代の遺産を収蔵する地区のことだ。中央だけでなく各都市に存在し、必ずA級街に区分される。前時代の遺産が観光業――今日の学府における主要な産業の一つ――の最大の資源であり、貴族の地位を正当化する重要な根拠であることを知れば、蔵書館区の意義の大きさは想像に難くない。


 学府は前時代の遺産を守り抜いた唯一の共同体と言われる。その意味はこの地が世界中の文化を翻訳あるいは複製し、保持してきた歴史を考えれば分かり良い。この地の言語を習得すれば世界中の書物が読めると謳われるのはなにも現代に限ったことではないのだ。学府が守ったのはこの地のそれではなく、世界中の叡智だった。その価値は全人類にとり普遍的だ。畢竟、多くの欲、多くの思惑に狙われてきた。


 蔵書館区事件は、当初、海向こうの者たちによる犯行とされた。学府は前時代の遺産の所有権を巡って他の共同体と常に葛藤を抱えてきた。留学者の身分を偽って学府に入り、これを持ち出そうとするものが多くいた。窃盗や誘拐などを行う異人の犯罪集団がいたこともそのような見立てを補強した。事件は盗難から始まり、強盗、殺人、放火と展開した。初めのうちは大勢を占めていた楽観論は霧散し、按察官のみならず管察官までも殺されたあたりから中央は混乱に陥った。私たち三課も正式に捜査に駆り出された。


 正式にということは、勝手に調べていたということだ。殺された按察官の一人が三好さんだった。正確には職務中に姿を消した。彼女のいた遺産保護課の按察官に死体を見つけて欲しいと内々に頼まれていた。


 明かされた捜査の内情は伝え聞いていたもの以上に混乱していた。殺された管察官は緑芽章を授与されていたのだが、学府はこの勲章を得た秀抜の覚醒者を過去一度も職務中に失っていない。そのような殉職者を出し、同じく優れた実力者の集まりである管察が懸命に追っているにもかかわらず、犯人の正体さえ分からなかった。これまで狩る側だった者たちが為す術なく狩られる側に回る。犯人が人離れした覚醒能力を持っているであろうことだけが周知の事実だった。


 今ならばすぐに分かっただろう。犯人は七枝のコアを宿していた。


 無論、当時は知る由も無いことだ。幸か不幸か、私は他の貴族が持たない幾つかの伝手を持っていた。非市民とのそれとワァルドステイトとのそれだ。前者は街の裏事情に接して生きている者たちであり、後者は瀝青に関連する事業の独占者だ。いずれも今回の事件で頼りになりそうだった。その判断は正しかった。正しかったが、それが仇になった。


 結局、事件は貴族間の権力闘争と深想教団という宗教組織の暗躍を中核とした純粋な国内犯罪だった。当初の見立てだった異人の犯罪集団によるものというのは混乱に乗じた火事場泥棒、周辺的な出来事を一連の事件に無批判に含めた挙句の誤解だった。


 しかし、犯人に辿り着いた私にとっては真相など問題ではなくなっていた。打ち捨てられた前時代の高層建築物、燃え盛る炎の中。


「なぜ、君が」


 茫然と尋ねた。悪い夢にうなされているような心地だった。その視線の先に、変わり果てた姿の――真っ赤な眼と真白い髪をした、彼女、三好綺羅星が立っていた。足元には今まさに死んでいこうとしている男の姿。


――父が学の無い人で。


「助けなければ」一歩前に踏み出す。

「触るな」聞いたことのない怒気を孕んだ声で彼女が叫んだ。「もう。どうにもならない。生きていたって仕方がないんです」

「そんなことはない」


 反射で言い返す。彼女は悲しげに笑った。


「どうできるって言うんです。罪を犯した者を十把一絡げに殺したこの街で」


 返す言葉が無かった。押し黙り、言葉を探す私を、彼女は諦めた。


「罪を犯さなければ生きられない者の、恐怖は、怒りは、あなたにも分からない」


 何を見ているのか分からぬその目から涙が溢れた。彼女の泣き顔を見たとき、辺りから放たれた熱が私の肌を灼き、呼吸に激しい痛みをもたらした。彼女は燃え盛る炎の中に身を投げて姿を消した。それが三好綺羅星との別れ、白の媒介者との出会いだった。


 今も、一人の人間と前時代の貴重な遺産が炎によって失われた。


「どうして」


 隣でウェールスが呟く。視線の先に、炭となり、崩れ落ちた大家氏の塔があった。塔は誰にも気づかれることなく燃え尽きた。


「弾性効果だ。瀝青を大量に消費して目眩しにしたのか」


 周囲の慌しい声は自警団だ。事態は彼らの拠点に一本の右腕が投げ込まれたことによって発覚した。大家氏は殺された。予告された日の前日のことだった。事件は私の知らないかおをし始めた。

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