③ 大家美央、逢坂の手管、小山過――大家の護衛を任される炯とルーチェ

 途中の丁字路で逢坂氏と合流し、大家氏の家に向かう。私たちだけでは門前払いを喰らいかねないとの配慮からだったが、森氏の話をする上でも都合が良かった。


「森さんが。本当なのか」

「ええ。おそらく犯人に脅されたのだと」

「脅された。なぜ」

「森さんが妻を毒殺し、犯人はそのことを知っていたのではないかと考えています。今、回収した毒の成分を調べてもらっています。出所が分かれば、犯人に辿り着けるかもしれません」


 私の説明を聞いた逢坂氏は静かな、それでいて確信を持った声で、


「それはないと思う」

「と言うと」

「森さんが亡くなった奥さんのことを悪く言ったことはなかった」


 彼はしばし黙り込んでから、小さな声で「逆はあったが」と呟いた。顔を上げはっきりと断言する。


「奥さんが森さんを殺したなら話は分かる。だが、森さんがと言うのは俺には分からない」


 私に向ける眼差しは哀しいほど嘘がない。傷と痛みを全身に受けて生きてきたが故に他人の心の痛手に気づけない。この人に私たちが犯人の動機を何だと思っているのか、一体、どう話したものか。隣のウェールスを一瞥する。「言わないの。言おうか」の目。小さく首を横に振る。時宜を得る必要がある。


「逢坂さん、これを」


 封筒を逢坂氏に差し出す。課長に一筆したためてもらった。自警団に森氏の家の保存を命じる委任状だ。逢坂氏は目を丸くしてそれを受け取った。


「俺たちが貴族から委託される日が来るなんてな」


 森氏は経済人であるため本来ならば按察官が捜査期間中の現場を保存しなければならない。だが実際は、彼らが自らそのようなことをするのは稀で、外部に委託することになる。逢坂氏が驚いたのは、委託先は近親者やこの人の持つ組織であることが常だからだ。


「森さんが自警団にとって大切な人だと私も知っています。私たちだけが調べて結果を伝えたのでは受け容れ難いこともあるでしょう」柔和な笑顔を作って、「これがあれば調べられますから」

「先生。助かる」


 道を曲がる。大家氏の家の門が見えてきた。逢坂氏が誰にでもなく言う。


「森さんはよく奥さんに菓子を作っていたんだ。まさか毒を入れるとは」


 逢坂氏の配慮は当を得たものだった。門の前に守衛がいたのだが、これが最近まで業者であったろう外観と言動の人物だった。


「悪いな、昔の癖が抜けなくってよ」


 ウェールスを舐め回すように見ながら、下卑た笑みを浮かべて言い放つ。先日の恐怖がまだ鮮やかな彼女はすっかり怯えて私の後ろに隠れた。戦えば自分より遥か各下の相手にこうも震え上がるかと可笑しいが、膂力で優っていても心の腹を殴られればひとたまりもないと考えればそのとおりだとも思う。いずれにせよ、この人に何を言っても確かに家の中には入れなかっただろう。逢坂氏が無言で睨みつけると、彼は一度露骨な舌打ちをして横に退いた。


 大家氏の家には彼の妻、大家美央氏だけが暮らしている。塔で暮らす夫の大家氏とは結婚当初から別居状態だ。応接間では河原寺氏が激昂する彼女を迷惑げに宥めていた。


「遅くなりました。奥様」


 逢坂氏が声をかける。大家美央氏の表情がぱっと明るくなった。河原寺氏を押し除けて彼のそばに駆け寄る。


「あの男では話にならないわ」


 彼女の怒りの原因は河原寺氏が説明した自警団の対処方針にあった。今回の殺害予告はその対象を「大家」とだけしていた。河原寺氏は、自警団は両者いずれが狙われていても対応できるように両方に戦力を据えると言いながら、団長の逢坂氏も彼自身も塔の守りに回ると告げた。大家氏を重要視した態度だ。これに大家氏の妻が激怒したわけだが、なにも理由がないわけではない。殺害予告が届いたのは大家氏の家だった。それをもって自分が狙われている可能性が高いと主張し、逢坂氏に自分を守らせろと要求。ところが彼女の下心が理解できない河原寺氏は、彼女の方が狙われているのなら荒事担当の自分が守りに着いた方が良いだろうと返したものだから火に油を注いでしまった。


 大家氏の妻が早口で捲し立てて説明するのを、優しい眼差しで聞いていた逢坂氏は、それが終わると一度ため息を吐いて、


「我聞、奥様の言うとおりだ」

「すまない、逢坂サン」


 そう言った河原寺氏は呆れ顔だ。差し詰め「いやな役回りだ」というふう。それで分かった。これは最初から仕組まれた段取りなのだ。


「奥様、俺たちはここを守ります」

「ええ。そうよ。そうでなくちゃおかしいわ。塔には河原寺、おまえが行きなさい」

「いえ。我聞も奥様をお守りします」

「は」呆気に取られる。慌てて言い募る。「大家はどうするの。万一あちらが襲われたら。河原寺は無粋だけれど強いことは私も知ってるわ。大家は財産以外に何の値打ちもないような男だけれど、一人くらい手練れを置いてやりたいのよ」

「ええ。ですからこの二人を回します」


 と言って、逢坂氏は応接室の前で様子を窺っていた私たちを引き合わせた。彼女の鋭く冷たい眼差しが向けられる。


「開道炯と言います。こちらは」促すと、

「ルーチェ・グラックス・ウェールスです」緊張からやや上擦った声で名乗る。

「開道炯。不吉な名前ね」吐き捨てるように言って、逢坂氏に潤んだ目を向ける。「異人なんて使えるの」

「実力は確かです」

「けれど、部外者でしょう」


 どうにも了解を拒む大家氏の妻の手を取り、


「この二人に塔を守らせます」少々乱暴に抱き寄せて、「俺たちが全力で奥様をお守りするためです」

「逢坂」彼女は呟くと幸せそうに笑って、「いつも言ってるでしょう。美央って呼ばなくちゃ」

「美央さん」

「ウェールス。素直さは美徳だが」努めて押し殺した声で隣に忠告する。

「ごめん。そんなに出てた」掌で頬を押し、かぶりを小さく左右に振った。


 最初に到底受け入れ難い提案をし、次いでそれよりは受け入れ易い提案をする。最後は逢坂氏の個人的な魅力での力押しとなったが、彼の目論見通り、大家氏の塔の守りを私とウェールスが受け持つこととなった。つまり、逢坂氏は一貫して大家氏の方が狙われているという見解なのだ。


 その後、殺害予告の話となり、大家氏の妻が受け取ったものを確認した。差出人不明の白い封筒、便箋、定規を宛がって書いた文字、いずれも栄氏のそれと同じだ。予告の日付は三日後。時刻は栄氏の時と同じ二十二時だ。情報共有を済ませ、場を抜け出せない逢坂氏の代理も兼ねて、私たちは大家氏の塔を訪ねた。


「私設探偵というのが少女だとは思いませんでした」


 少々の困惑が滲む表情で大家氏が言った。ウェールスの好奇心を察して、塔と収蔵物の説明に多少の時間を割いた後に口をついた言葉だった。


「申し訳ありません」


 隣に座るウェールスは部屋の意匠を愉しそうに眺めている。


「ですが、実力は確かです」

「ここにはずっと一人で暮らしているんですか」


 ぱっと大家氏に視線を向けてウェールスが尋ねる。大家氏が私を一瞥した。


「そう言えば、小山さんをお見かけしませんが、お元気ですか」


 塔には彼の他に小山過という同居人がいた。外見はウェールスより少し年上くらいの穏やかで聡明な女性だ。彼女も逢坂氏と同じ西の荒地で育った非市民で、性格こそ対照的だが彼とは兄妹のように近しい仲だった。大家氏との関係も極めて良好、彼のただ一人の門下といった雰囲気があった。


「小山は出て行きましてね。良い人を見つけたんでしょう。惨めな人生を生き抜いた。報いを得ようとするのを止める権利など誰にもありませんよ」


 指を組み、伏目がちに話す。


「娘を想う父親の心境でしょうか」


 私が労いの言葉をかけると顔を上げ、寂しげに笑った。


「そうかもしれません」


 ウェールスが始めた時の軽快さは私が引き取って早々に失われ、会話は物悲しさとともに終わった。気まずい空気と隣から注がれる非難の眼差し。私は小さく咳払いをしてこれらを振り払うように本題に入った。


「殺害予告は妻に届いたのでしょう。狙われているのは妻では」


 大家氏の反応は妻のそれと同様だった。違うのは逢坂氏の意図を理解しているという点だ。


「先生はどうお考えなんです」

「私も妥当な判断だと思います」

「彼にとって重要なのは私ではなく妻でしょう」

「もしそうならこうはなりませんよ」


 私がそう答えると大家氏はため息を吐いた。苦笑いを浮かべ、


「逢坂さんの厚意を無碍にするわけにもいかない。よろしくお願いします」


 深く頭を下げた。


「犯人を追う私たちとしては、あわよくば正体が分かる機会ではある。だが、君はまだ戦える状態じゃない。犯人を返り討ちにすることは考えるべきでないだろう。あくまで大家氏を守り切ること、犯人を撤退に追い込むことを念頭に行動したい」


 塔からの帰り道、当日の方向性を話す。ふと、隣が静かなことに気づいた。


「どうした、ウェールス」

「なんだか気まずかったね。自警団に守って欲しかったのかな」


 ウェールスが呟いた。つま先で蹴飛ばした小石が寂しげな音を立てて転がっていく。学府に来てからの数日、彼女はしばしば邪険に扱われ、毒殺されかけもした。同じような体験が続けばそれは一般化される。そのような振る舞いをしたのは出会った数人のみであり、それらから全体を理解することを知恵がないと真に愚かな者ほど賢しらげに言うが、彼女には人並みの知性と感性があった。


「そうかもしれないが、君が思っているような理由とは限らないさ」

「えっ」

「人が皆、君を疎ましく思っているわけじゃない。まだ少しの出会いでそんなふうに悲観的にならなくても良いだろう」


 甚だ不誠実なことだが、そう言うよりない。


「そうだね」無邪気に笑う。「あ、話は聞いてたよ。了解」

「それは結構」微笑み返し、「ところで君、おかしなことが起きていると気づいているか」


 尋ねると顎に指を添えて考え始める。何かに気づいたらしい。私を見て、


「そう言えば、食べ物が出てこなかったね」


 食い意地は人並み以上のようだ。


「正解は栄氏の名簿に大家氏の名前が無かったことだ」

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