② 殺された森、劣悪な手法、叶子の金貨、残された毒――森の罪と混乱する犯人像

 課長には森氏の家の近所にある市営駐車場の前を指定してあった。通常、中央から流陽川を渡ってこの街に来るなら車両を使うことになる。予想に反し、彼女は私たちより先に着いていた。腕を組み、仁王立ちに勝ち誇った顔で待っていた。


「人使い荒いわ。私、中央在住よ」

「すみません」


 冗談めかした抗議に挨拶代わりの謝罪をして、


「一体、どんな速さで流陽川を渡ったんです」


 貴族ならば使える整備された幹線道路と覚醒能力による演算を駆使し、半ば字義通りに愛車を飛ばして来たのだろうかと思ったが、


「元々予定があったのよ。津田っちのお見舞い」彼女はその移動中に転送されたものを車載電話で取ったようだ。「それはこっちをやっつけた後にするわ」


 人懐っこい笑顔で言ってのける。この人が持つこの種の単純な善良さと愛情深さを私は尊敬していた。それらを持たない私とは結局相容れない人であっても。


「ありがとうございます」

「で、どちらの御宅に訪問するのかしら」

「行きましょう」


 門柱に備え付けられた呼び鈴を鳴らす。先日と打って変わって反応が無い。


「森、ね。コアと関係してるわけでしょう、探偵さん」


 課長が言いながらどこか見透かすような眼差しをウェールスに注ぐ。


「え、あ、そうです」


 危なげある受け答え。視線をそろりと逃して私を見る。


「コアを流通させている者がいるんです」

「売人ね」

「森氏はその売人と通じているのではないか、と考えているんです」

「探偵さんが」

「ええ、探偵殿が」

「うう」小さく唸って顔を上げる。「よし」


 前に出て呼び鈴を押した。当然、反応は無い。振り向いたウェールスが弱気に、


「留守かな」

「それを確かめるんだろう」

「だから私を呼んだんじゃないの」

「そうでした」

「課長、お願いします」

「もちろん。任されて」


 門扉を押し開け、堂々と戸の前に進む課長の後を二人ついて行く。


「こうなったのは私のせいだ。考えが甘かった」


 悲痛な顔を浮かべて俯くウェールスに声をかける。森氏はいなかった。しかし、留守でもなかった。応接間は血の海となっていた。一昨日、私たちが腰掛けたソファーが血飛沫を浴びて無惨に汚れている。廊下から視線を感じて、そこに立つ課長に歩み寄る。


「業者ね」


 学府で生まれ育ち、按察官でもあれば、ここで誰が何をしたか難なく分かる。何者かの依頼を受けた解体業者が森氏を惨殺したと見て良い。死体がないのは彼らが持ち去ったからだ。ウェールスに盛られた毒も回収されただろう。


「ええ」顔を顰めながら、「まさか一日空いただけでこうなるとは」

「口止めかしら。開道君に尻尾を掴まれたってこと向こうも分かってたのね」

「相手がコアを持っている以上、今日でも不安がありました」

「こうも見切りが良いと厳しいわね」宙を睨みつけながら歯噛みする。「生きていれば口を割らせることもできたのだけど」


 状況は私にとっても不可解かつ不本意なものだった。森氏が死んだ、それは良い。毒が見つからないことも。私はこの場で彼女たちの意思が知りたかった。そのくらいしか知り得ないと思っていた。――何故、解体業者が彼を殺すのか。犯人でも白の媒介者でもなく、だ。


「ごめん」そこにウェールスがやってきた。少し充血した目に薄ら浮かぶ涙は優しさか、それとも悔しさだろうか。私を真っ直ぐに見つめて、「調べよう」

「ああ」


 儀式的な行為だとしても、彼女の気質を考えれば意義は十二分にある。


「調べるったって何を調べたら良いの」課長が顔の横で両手を広げ、「ほら、私、何も聞かされてないから」


 森氏がコアの売人の指示に従って私たちの妨害をした、具体的にはウェールスを毒殺しようと試みたと正確とも虚偽とも言えない説明をする。


「毒ねえ。業者が死体もろとも持って行ってそうなもんだけど」


 課長も見解は同じだが、言いつつも家捜しに付き合ってくれた。三人で手分けして森氏の家を調べていく。


「ちょっと良い」


 しばらく時間が経った頃、課長が台所を調べていたウェールスに声をかけた。


「どうかしたんですか」きょとんとした顔で応じる。

「あなたにお礼がしたいと思って」廊下に私の姿が無いことを確かめて、彼女に歩み寄る。「ありがとう。あなたが二人とも助けてくれたんでしょう」


 先ほどまでの豪放な印象が嘘のような、品の良い柔和な笑みで言う。一瞬、見惚れたウェールスは恥じらい俯き、


「い、いえ。炯も一緒に戦ってたので」


 どぎまぎしながら答える。課長は口元に手を添え微笑んで、


「謙虚なのね。でも、開道君からそう聞いたわ」懐から木箱を出して彼女に差し出す。「受け取って」


 それは手のひら大の薄い代物で、本のように開いた。中に金貨が嵌められていた。ウェールスは面食らって、すぐさま箱を畳み、


「受け取れないです」


 返そうとしたその手を課長が両手で包むように取る。


「受け取るのが礼儀よ」


 その目を覗き込むように見つめて言い含める。完全に呑まれたウェールスは、受け取るよりなかった。


「ありがとうございます」


 課長は満足げに笑って一枚の紙片を手渡す。


「あと、これも。私の連絡先。何かあったら電話して。開道君のことお願いね」

「はい」

「そんなに肩肘張らなくて良いわ。私のことも叶子って呼んでちょうだい」

「う、うん。分かった」少々困惑の入り混じる笑顔で答えた。

「時間を取らせて悪かったわね。さて、捜索再開ね」


 私たちの予想と裏腹に毒は見つかった。それも意外に多くの情報を伴っていた。きっかけはウェールスだった。物置部屋を調べていたところに、


「炯」呼ばれて台所に向かう。入口でかち合った課長と一緒に、「どうした」

「これ」指差された戸棚をしゃがみ込んで確認する。白い粉が溢れていた。

「収納なんてそんなものでしょうよ」呆れ顔で課長が言う。

「でも、森さんは綺麗好きだったから」

「見えるところだけするもんよ」


 二人の会話を聞き流しながら、一つ一つ取り出して検める。


「クエン酸、セスキ炭酸ソーダ、洗剤、石鹸の備蓄」


 全て掃除用品のようだ。丁寧にそれぞれ札が貼られている。陶製の瓶の蓋を開け、中の粉に指を差し込む。隣でウェールスが首を傾げた。


「どうしたの」はっとして、「舐めたらダメだよ」

「分かってるさ」苦笑いで答える。「覚醒能力を使って成分を確かめるんだ。知っているものなら大雑把にそうと分かる」


 指に意識を集中させる。札のとおりだ。


「毒を盛ろうとしたんでしょ。調味料や食品の傍の方がありそうじゃない」

「そっちは怪しいものが見つからなくて」それらにも一つ一つ札が貼られていた。「僕は中身を触って確かめるなんてできないから、見た目とか臭いとかだけだけど」


 一つ気になったことを口にする。


「重曹が無い」

「言われてみれば無いわね。まずありそうなものだけれど」

「ウェールス、調味料とかの周りに重曹は無かったか」

「見なかったよ」

「重曹の瓶に毒が入っていたのかもしれないわね。で、それを持ち去ったと」


 ありそうな推測ではある。が、棚に溢れた粉をなぞりながら、


「いや。それはなさそうです」指の先についた粉を見せ、「重曹です」


 持ち去られたのは重曹の入った瓶と考えて良い。


「どういうこと」

「もしかしてだけど、森さんが嘘をついたとか」

「だとすれば、毒はまだこの家にあるな」


 かくて毒は見つかった。ビニールの袋に入れられた上で砂糖に埋めるようにして隠されていた。同じ手法で小麦粉の入った袋からも見つかった。


「ごめん。そこまで考えが回らなかった」


 テーブルに並べられたそれらを見つめながらウェールスが力無く項垂れる。


「得失点差で言えば得点の方が大きいさ。正直、私は無いと思っていた。諦めから入らなかった君がいたから見つかったんだ」

「そ、そうかな」照れくさそうな笑みを浮かべて言う。

「小分けにしていたあたり、場合によっちゃあ片方だけを差し出すということも考えていたのかもしれないわね」

「ええ」


 しかし、森氏はそうとすらせずに重曹の瓶を持ち帰らせた。業者が押し入った時点で、いや、それよりも前の時点で、彼は自分の死を受け容れていたのだろう。これは彼の最期の反発であり、それは多分に嘲りを含むものだ。


「こんなふうに隠されてるのを見つけるとさ。業者の人たちは随分素直に重曹の瓶を持って行ったんだなってなるね」

「業者の大半は非市民だ。識字の利かない者が多い。そこにそう書いてあると言えば、森氏のことを馬鹿正直と笑って持ち帰ったくらいだろう」

「馬鹿にされたのが自分たちの方だと気づいた頃には森はもうこの世にいないしね。ちょっとの知恵があれば見破れるような嘘をこれ見よがしにやる。まあ、経済人らしい発想と言えば、そうよね」

「おかげで手がかりが手に入りました」袋の一つを取り、「課長、これを頼めますか」

「あいよ」


 ウェールスの視線に気づいた。何をするのだろうと思いつつ、探偵という体を気にして訊けずにいるようだ。


「今の学府に高純度の化学物質を製造する技術は無い。多様な不純物が含まれた混合物になるんだ。その中には製造所や保管所に由来の物や比率がある。と言うことは」

「どこで作られて、どこにあったのかが分かるかもしれない」

「と言うわけだ。この毒が学府で作られたなら、ではあるけれどね」


 この辺りはそれらの情報を持っている按察の方が上手く追えるだろう。


「この感じだと森は脅されてたんじゃないかしら」


 課長が指摘する。私にもそう思われた。理由があった。


「気になっていることがあります。彼の妻が亡くなっているのですが」

「森が毒殺したかもしれないってわけね」

「ええ」

「えっ」ウェールスが驚きの声を上げる。

「出どころのそいつは森が何をやったか知ってるとしたら」

「森氏を脅すこともできるでしょう」

「その場合そいつはコアの売人とどういう関係なのかしらね」

「分かりません」その人物が栄氏を殺した犯人である可能性はある。

「何にしても、そっちも調べてみるわ」

「お願いします」


 森氏の家の捜索を終え、私たちは大家氏の家に急いだ。ところが道中ウェールスに非難の眼差しを向けられる。


「叶子、ちょっと寂しそうだったよ」

「と言うと」


 何のことか分からず尋ねる。彼女は呆れたという顔になって、


「君、本当に気づいてないの。課長さんがお茶に誘ってくれたじゃない」


 思い出す。確かに誘われた。別れ際、森氏の家の前で課長が伸びをしながら、


「どう。お茶でも飲みに行かない」

「すみません。ここからまだ行くところがあるものですから」


 私が申し訳なさそうに断ると彼女は目を見開いて、


「あら、そうなの」しかし、すぐさま穏やかな笑顔を作り、「忙しいのね」


 少なくとも寂しそうではなかった。それに課長にも予定があった。


「断ったのは心苦しいと思うが、予定より時間がかかってしまったからね」

「君って人は」


 私には分からない機微が彼女には分かるらしい。苦笑いを浮かべつつ、歩く速さを上げた。

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