⑤ ルーチェの本質、伊達でなかった学府精神の機微――少女の経歴とジャヌアリィの策謀
支所に到着するや、ウェールスはすぐに検査室に運ばれた。応接室に通された私は、彼女の状態が確認されるのを待つ。扉が開き、電動の車椅子に乗って緑色の髪の所長が入ってきた。日々の睡眠を必要としないフーマニットも労働時間の概念はあるようで、ジャヌアリィはやや迷惑そうな表情をしている。
「まさか信じて送り出したものが三日も経たずに帰って来るとは」
私の前にやって来るなり、ため息を吐いて嘆く。
「彼女は」
「無事です。開道さんの応急処置のおかげで。ありがとうございます」
「それは、良かった」ひとまず胸を撫で下ろす。顔を上げ、「原因は。武装の反動ではないのか」
「対コア用の武装があの子に負担を強いることは事実ですが、当然、耐えられる設計になっています。今回の損傷は別の要因によるものです」
「別の要因」
「ルーチェから毒が検出されました。致死量の数倍の」
「毒」思い返す。学府に来て彼女だけが口にした食べ物があった。「まさか」
森氏の家で出された間食。
「心当たりがおありですか」
やや気まずい思いで説明する。ジャヌアリィは天を仰いで「君ってヤツは」と独り言ちた。彼によれば、ウェールスの機能に逆方向の処理――解毒(自己保存)、武装(部分的自己破壊)、修復(自己保存)――を連続で強要した結果起きた不測の事態とのことだった。確かに、致死量を凌駕する毒を摂取した状態でコアと戦うことなど想定していなかったとしても責められる筋合いは無いだろう。彼は説明の最後に、今回の一件で彼女は事象抵抗性を獲得し、今後は毒を服用した状態でも安全に武装の展開が可能になると誇らしげに付け加えた。
「それにしても」ジャヌアリィはかぶりを振って、「人類の叡智の粋、科学技術の最先端たるフーマニットが毒などという古典的傑作に後れを取るとは」
呆れ果てた様子の彼を眺める。安堵から冷静さを取り戻した私は、根本的な疑問に気づいた。ウェールスはフーマニット、機械人形のはずだ。
「彼女にどうして毒が効くんだ」
ジャヌアリィの回答は深刻な問題を含んだものだった。
「それはあの子が瀝青を用いて合成された生体だからです」
瀝青は万能物質だ。鉄にも樹脂にも――たんぱく質にもなる。前代表とその妻の性細胞を瀝青で複製し、ルーチェ・グラックス・ウェールスは造られた合成人間だった。
「コアは高度な学習能力と事象抵抗性を持っています。一度受けた攻撃は大幅に威力が減弱する。これに勝つには自律的に発達する兵器が必要でした」
淡々と回答する彼と対照的に私は狼狽えた。前のめりに糾す。
「倫理的に問題があるだろう」
彼はとぼけた顔で言い放つ。
「私たちは歌を歌うことが許されていません。文化を侵犯するからです。人類は文化の侵犯をフーマニットの災禍の象徴として掲げ、事あるごとにその罪深さを喧伝してきました。ところで。倫理とは高度に文化的な営為ではありませんか。倫理に従うこともまた罪深い文化の侵犯であるはずです。私たちは自らを人類への罪から遠ざけているに過ぎません。謗りを受ける筋合いはありませんよ」
少しの間、私の表情を面白そうに眺めてから、
「冗談です。我々も可能な限り、倫理的制約に従っています。シンギュラリティ・コンセプトはルーチェ以外に一体も存在していません。信じて頂けるとは思っていませんが、事実です。こちらを」
そう言って彼は写真を差し出した。金色の髪をした碧い瞳の少女が写っている。
「ルーチェは根幹のコアとの作戦前まではこの姿でした。戦闘に勝利し、作戦は成功しましたが、あの子はこの姿を失った。情報子が変質したのです」
曰く、ウェールスはこの戦いで能力の大半を失った。今の彼女の対コア戦用兵器としての特殊性はあの武装くらいのものだと言う。彼の言い分は、彼女を廃棄せずに使い続けているのは人類の倫理への最大限の誠実と現代表の妹への強い愛情のためだ、と続く。
「私たちにとってあの子も最終的には道具ですが、最後までただの道具ではないのです」
「二つも三つも特別は造らない、と」
私の懐疑の眼差しに微笑んでみせ、
「ええ。それに必要もありません。既に根幹のコアの破壊に成功し、私たちのコアとの戦いは掃討戦の段階です。七枝以下のコアであれば、通常のフーマニットの大量投入で制圧できます」
しかし、学府はコアの存在を否定し、非協力的だ。彼の言う掃討戦を学府で行うことはできない。はっとする。W.S.の副代表、それもコアとの戦いの英雄が交渉の帰り道に襲撃され、戦闘で消滅すれば、彼らと学府との交渉環境は様変わりするだろう。彼女は最終的に――。
「捨て駒にする気なのか」
「いいえ。あくまで二段構えと言うだけです。今でも相手次第ではコアを破壊できることは開道さん、あなたもご覧になったでしょう」
確かに能力の大半を失ったらしい彼女はそれでも私より強かった。しかし、
「欺瞞だ。現状は枝葉のコアを一つ破壊しただけ、媒介者は健在。コアとの戦闘が続けば、どこかで彼女は失われる」
「ですから、ロストさえも活かさなければあの子に申し訳がないというものです」
「他にいくらでも方法はあるだろう」
「ええ。学府が私たちを受け入れてくれるなら」彼は私を真っ直ぐに見つめて、「彼らは自分たちと全く異なる存在を受け入れられるでしょうか」
私は何も言い返せずに視線を逸らした。
「彼女が失われる条件は」
「あの子は既に武装を連発できる状態ではありません。冷却が完了する前に次を使えばそれが一つ。コアは宿主を瀝青化することで強大になります。あの子にはもう絶対的な強さはありませんから、それも条件の一つです。もう一つは」そこまでの冷淡な表情と打って変わって呆れ顔を作り、「今回の損傷から回復する前に戦闘になればロストするでしょうね」
こればかりは彼も予測していなかったのだろう。
「彼女が今の状態から回復するにはどれくらいの時間がかかる」
「少なく見積もっても一週間は。実は以前から武装使用後のルーチェの損傷を軽減し、回復を早めるため、情報子を外から供給する情報剤の開発を進めていました。ですが、こちらも不測の事態が起こってしまいました」
「不測の事態」
尋ねると少々の嫌味が込められたため息を深く吐き、
「開道さん。あなたです。あなたの応急処置です。おかげであの子は不完全な自己修復能力を獲得しました。情報剤の内容を修正するために時間が必要です」
だが、ここまでの話と彼らの思惑を知れば、応急処置は完全に適切だった。嘆かれる謂われは無い。彼の抗議は無視して、
「短期決戦は不可能であり、情報剤の開発を待ってコアを打倒するよりない」
私の内心を理解したのか、少しむっとした表情で、
「違います。すぐにもあと一回は使えます。あの子はロストしますが」
「それを使えるとは言わない」
切り捨てる。ジャヌアリィは車椅子の揺りかごのような背もたれに体を預け、
「おかしなことを仰います。ルーチェはフーマニットです。確かに、あの子の体は人のそれです。心とかいうものも持ちます。それこそが兵器としての優位性なのです。あの子はフーマニットです。人ではありません」
「人かそうでないかはただの主張では」
「ただの主張ではないですか」私の言葉を遮る。「学府における人の定義は皮相な物質主義的観念だ。それも極めて曖昧で偏狭で差別的な。何があり、何が無いか。何を持ち、何を持たないか。人かどうかはそれだけで決まる。あなたには私の言っていることが分かるはずです」
表面的には嘲りを湛えたその表情に、これまで彼からは感じたことが無かった怒りがあった。私が言葉を探しているうちにぱっといつもの柔和な笑顔を作って、
「情報剤の開発を急ぎますが、間に合わなければあの子を使ってください」
一方的に会話を切り上げた。と、扉が開き、
「お待たせ。とりあえずの処置が終わったみたい」
ウェールスが熱っぽい顔で応接室に入ってきた。
「やあ副代表、お早いお戻りで。あ、一応言うとこれはダブルミーニングだ」
「ああ、やだやだ。だからいやだって言ったんだよ」子供っぽい悪態をついて私を見る。「あれ、どうかした」
温度感の急激な変化に情緒がついていかず、微妙な表情になる。
「いや、なんでもないよ」
「君が何をやってどうしてこうなったのかを聞かせてもらっていたんだ」
ジャヌアリィが悪戯っぽい笑みを浮かべる。彼女は目を泳がせ、
「そのことは、良くなかったな、って。反省してるから」はっと思い出して長椅子に膝をつき、「大丈夫なの。瀝青化してた場所に触ったりして」
私の手を取りまじまじと検める。
「開道さんは自己保存能力の高い覚醒者だからね」
「君に訊いたんじゃないけど」
私の代わりに説明したジャヌアリィに冷たい視線を向ける。どうやら彼女は直感的に被害者の連帯感を抱いたらしい。
「数日ですっかり仲良くして頂けているようで」笑顔を私に向けて、「ルーチェのことをよろしくお願いします、開道さん」
彼女の慈悲深さが私には一層の重圧だったわけだが。
◇注釈(用語説明)
コンセプト……フーマニットの設計思想。人格プログラムと筐体の目的とデザインから成る。それに基づいて製造されたフーマニットの呼称としても用いられる。採用時の代表の名を冠することが通例。
シンギュラリティ・コンセプト……例外的に性質を示す「シンギュラリティ」の名称を付されたコンセプト。瀝青を部品に変化させて製造する他のフーマニットと異なり、瀝青を用いて合成された肉体を持つ。自主的に性能を複雑かつ柔軟に発達させることが可能な反面、安定性に欠く。専用のビットを内蔵しており、簡単な覚醒技能も使用可能。歴史上一機のみが存在した。
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