④ 姿を見せる白の媒介者、辛勝、ルーチェの異変――炯の応急処置

 弾かれたように声のした方を見る。全身を白い布で包んだ女性が道路に崩れ落ちた瓦礫の上に立ち、月明かりを浴びて嗤っていた。気づかなかった。


「七枝のコア」


 ウェールスが驚く。辛そうな声が不安と緊張を湛えている。本人は否定しているが、少なくとも不測の消耗が起きていると考えて良い。この状況で出てきたということは、相手の狙いは彼女だろう。


「最近よく会う」


 白の媒介者に努めて気安く声をかけ、一歩づつ距離を詰める。背後ではウェールスが津田さんを巻き込まないよう左に移動しながら、白の媒介者に目を凝らす。


「弱い」


 その彼女が愕然とした様子で呟いた。首だけで後ろを振り向き、


「弱い」聞き返すと、

「媒介者と思えないくらい弱いんだ」


 瓦礫から跳び降り、白の媒介者はこちらへゆっくりと歩き始めた。


「心外ね、弱いだなんて。私、根に持つ質よ」消えた。彼女の耳元で、「お嬢さん」

「伏せろ」


 媒介者に衝動弾を放つ。散乱した瓦礫が消し飛んだ。私の反応は織り込み済みらしく、すぐに消えて少し離れた場所に姿を見せた。口元に右手を添えてせせら笑う。


「危ない。さすがにその距離だと当たってしまいます」


 ウェールスに駆け寄る。肩で息をしながら立ち上がる。大丈夫、ではなさそうだ。


「ごめん。回復に少し時間がかかってるみたいだ」

「酷使する形になってすまない」

「ううん。僕はコアを破壊するために造られたんだから」

「なるべく時間を稼ぐ」白の媒介者を見遣り、「諦めて帰ってくれるかもしれない」

「無理しないで」

「もちろん」


 前に出て白の媒介者と対峙する。


「心中穏やかじゃありませんよね、開道さん。今度こそ同僚を手にかけるかもしれなかったんですから」思い出したように、「元、ですね。貴方は何もかも失いました」

「なぜ津田さんを巻き込んだ」


 言いつつ思案する。今の彼女の迷図は下位のコアの履歴も使えるらしい。彼女の飛んだ先は津田さんが居た場所だ。


「たまたまですよ。私の前にのこのこ出てきたから。私は学府に罪を償ってもらいたいだけなのに」

「君が学府を恨む理由は分かる。だが、津田さんは関係ないだろう」

「関係ない」一転、声を荒げ、「関係のない者などいない」


 白の媒介者から莫大な瀝青が迸り、凪ぐ。瞬間、衝撃で瓦礫が吹き飛び。彼女は私の前に迫っていた。左腕が振り下ろされる。今は物々しい鋼鉄の武器となったそれを銀の杭で受け流す。すかさず薙ぎ払いに転じた攻撃をかわし、腹に蹴りを入れて押し戻した。持っていた杭を投げ、払いのけた間に今度はこちらが距離を詰める。一方の杭で牽制し、もう一方で攻撃を試みる。見え透いたもので、体よくあしらわれる。


「君は何をやろうとしている」

「答えるとでも」

「答えてもらうさ」


 ウェールスは弱いと言ったが、私には勝ち目の無い相手だ。力も速さも津田さんとはまるで違う。鍔迫り合いを繰り返し、この間、杭を二十本以上失った。悪いことに先ほどの衝動弾で私は瀝青の大半を消費していた。限界が近い。


 突いた杭を左手で掴まれる。こちらの切迫を嘲るように余裕の表情を浮かべる。


「おや」


 白の媒介者が首を傾けて私の後背を覗き込んだ。緊張感の乏しい調子につられて後ろを見る。肩を抱いてうずくまるウェールスの頬に赤い亀裂が入っていた。戦いに必死で顧みる暇が無かった。自分の素養の無さに歯噛みする。


「どこを見てるんです」


 感情の消えた冷たい声。後ろに突き飛ばされ、尻餅をつく。


「くっ」

「そんなことでは」


 五本の鋼鉄の爪が私に向けられた。その時、二十キロはあろうかという石の塊が錐揉み回転しながら白の媒介者に直撃した。さしもの彼女も数メートル飛ばされ、転がる。


「うっ」


 苦しそうに脇腹をさすり立ち上がる。思わず大丈夫かと声をかけそうになった。彼女は私に笑みを見せて唇を動かし、


「また会いましょう、開道さん」

そう言って姿を消した。

義兄にいさん」


 入れ替わるように聞き覚えのある声が近づいて来る。立ち上がり、


「課長、助かりました」

「何があったの。弾性効果で何も見えなかったけど」


 直感だけを頼りに投擲し、直撃させたらしい。呆れるしかないが、今はそんなことを言っている場合ではない。ウェールスの傍に駆け寄る。


「大丈夫か」

「ごめん」


 半ば意識が朦朧としている彼女を抱き上げる。体が熱い。


「詳しい話は後日します。すみません、後をお願いします」

「え、その子は誰。後って何」

「津田さんを助けました」

「そう、その津田っちが失踪したのよ」


 課長が事情を説明しようとした矢先、後に来たもう一人の女性が、


せいさん」


 道に横たわる津田さんに気づき、慌てて走り寄る。


「何がどうなってんの」

「すみません」


 困惑する課長を置き去りに、私は思い切り跳躍してその場を後にした。


 地面を強く蹴って空を突き進み、D級街の港に入る。支所は近い、だが――。着地して背負っていた彼女を下した。ウェールスが明らかに軽くなっていた。一目で状態が悪化していると分かった。赤い亀裂が頬から首筋だけでなく、右腕にも現れていた。それだけでは重量との間に乖離を感じる。服のボタンを外して体を見る。肋骨から脇腹、腹にかけて無数のひびが入っていた。内蔵された装置が失われつつあるのだと気づいた。このままでは間に合わない。


 ウェールスは首元から胸にかけて玉のような汗をかいて浅い呼吸をしている。


「気を付けて、触ったら、怪我じゃ、済まない」


 無理に笑みを作って注意を促す。この亀裂の赤は瀝青であり、彼女は今、彼女を彼女たらしめている情報子を破壊され、瀝青になろうとしている。言わばこの亀裂は情報子の破壊が起きている最前線だ。思うに。あの武装は使用者自身の情報子にも一定の損失を与えるのだろう。本来は情報子を補填する機能が働くはずが働かず、情報子の不足が解消されないためにこうなっている。で、あれば。情報子を外から補填してやれば応急処置になるはずだ。勿論、私と彼女は全く異なる存在だが、共有可能な情報子があるかもしれない。


「悪いができない相談だ」


 脇腹の亀裂に触れた。虚脱感に襲われ、視界が真っ暗になる。遠くで自分が地面に手を突いた音が聞こえた。指先の痛みを他人事のように曖昧に感じる。


 首を強く振る。視界が回復してきた。学府に、ましてD級街に安全な場所などない。体が少しでも動くようになるとすぐに周囲を警戒する。幸い人の気配はない。三十秒も経っていなかった。左手を見る。体を支えようと力を入れたのだろう、指の爪が剥がれていた。


 ウェールスは、上手くいった。亀裂が小さくなっている。首元のそれはまだ残っているが、右腕と脇腹のひびは少なくとも表面的には消えている。


「ダメって、言ったのに」


 苦しさからか目に涙を浮かべ、うわ言のように呟く。


「最善を尽くさなくてどうする」


 言いながら彼女を背負い、支所に急いだ。

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