③ 帰路、定まっていく犯人像、襲撃――コアに侵された津田との戦闘
帰路はC級街と南のD級街を分かつ道路に差し掛かっていた。日は既に山の稜線に体を沈めており、空は濃紺から黒に流れようとしている。辺りは静まり返っていた。
「あの、怒ってる」
遠くを見据えて思案していた私を、おっかなびっくり窺いながら、ウェールスが尋ねた。
「え、ああ。いや、すまない。考え事をしていた。何も怒っちゃいないよ」
不安そうな彼女に微笑んでみせる。
「そっか。なら、良かった」安堵の笑みを浮かべる。「森さん良い人だったね」
彼女の無邪気さは愛らしいが。
「ああ。一日で多くの情報が得られた」
「支援者の人たちの中に自警団と栄さんの両方を恨んでる人がいたなんてね」
逢坂氏の辣腕が名義上の支援者に植え付けた憎悪は深刻だった。栄氏は彼らに愛人を斡旋することで恩を売り、自警団に繋ぎ止めようと腐心していたのだろう。だが、あの男性も言っていたように、このやり方が万人に通用するとは考えにくい。自警団ともども栄氏も一部から恨みを買っていた可能性がある。
「俄然、赤の名簿が気になるな」
しかし、そうすると気になることが出てくる。
「栄さんはどうして森さんにお見合い話を持ち掛けてたんだろう」
ウェールスがそれを指摘する。森氏は自警団に好意的だった。妻を亡くして意気消沈しているとしても、栄氏が危険とまで警戒することには違和感がある。――あるいは。
「あのさ。今、思い返すと、森さんかなり思い詰めてなかった。まさかだけどさ」
慎重に言葉を探すウェールス。その発想は無かった。彼女の肩に手を置いて、
「相手が私たちでも話し相手がいれば変わることもあるかもしれない。また話を聞きに森氏のところにも行こう」
「うん。そうだね」小さくこくりと頷いた。
「もう一人の当事者である逢坂氏にもこの辺りの話を訊きたいところだな」
「話してくれるかな」
「門前払いは受けないだろう」
「確かに」
私が冗談めかして答えるとウェールスも笑って同意する。
「それにしても、本当に静かだね」そう言って聞き耳を立てる。「あ、遠くで石が落ちた」
「だからこうして道の真ん中を歩いても平気なわけだ」
私たちは幅広の車道の中央をずっと歩いていた。歩道を歩くと路地裏から飛び出した暴漢に襲われることがあるからだ。
「滑走路みたいだね」
この道はしばらく真っ直ぐ続く。左右の廃墟を置き去りに、黒い道路を走るよう視線を進ませ、ふっと夜空を見上げる。地上は光を失って、星が煌々と輝いている。
「なるほど」
納得する私の横でウェールスも同じようなことを試みたのだろう。
「人がいる」
言われて彼女の視線の先を見る。誰もいない。――弾性効果。
気づくが早いか銀色の杭を両手に呼び出し目前に構えた。同時に赤々と燃える瀝青の剣が振り下ろされる。後ろに大きく弾かれた。
「はぁっ」
ウェールスが襲撃者に素早く蹴りを入れる。道を横切り、建物に突っ込んだ。
「炯」
「大丈夫か」
駆け寄って来た彼女に尋ねる。
「自分の心配」
「ごもっとも」
辺りには息が詰まるほどの瀝青が瀰漫している。意識を集中して瓦礫の中から出てきた襲撃者を見つめる。その姿が露になって私は目を見開いた。
「津田さん」
「津田さん、あの人が」
こちらに向ける虚ろな両目は赤々と発色している。右手にあるのは彼の得物の刀ではなかった。瀝青を荒々しく用いて創り出した剣のようなものが、掌を突き破って生えている。
「あれは」
栄氏を殺害した凶器を否が応でも思い出す。彼の覚醒技能にあのようなものは無い。低く呻き声を上げた。ウェールスがじっと見据えて値踏みする。
「枝葉のコアだ。でも、様子がおかしい」
津田さんは耐え難い苦痛があるのか、口から唾液をこぼし肩を震わせている。
「助けられるか」
彼女は辛そうな顔をして、
「僕の対コア用武装は手加減を想定してない。だから、ごめん。運次第だよ」
津田さんから放出される瀝青が一気に数段階高まる。
「確率を上げられないか」
「コア自体を攻撃できれば」
「どうすれば良い」
「どうって、戦う気でいるの」
驚いてばっと私を見る。それに一瞥だけする。津田さんを注視しながら、
「最善を尽くさなくてどうする」
彼女は一瞬、押し黙り、前を向き直った。
「瀝青を消耗させれば」
「分かった」
津田さんが吠え、前傾姿勢をとった。ウェールスが言った。
「来る」
突進。こちらも前に出て切り結ぶ。二度、三度、打ち合うたびに火花が散り、受け流すだけでも腕に鋭い痛みが走った。しかし、コアの瀝青で強化された打撃は威力こそ絶大だが、本来の速さと技の冴えが無い。まだ戦いにはなる。
津田さんが半歩下がって大きく刀を振り上げた。受けきれないと横に跳んでかわす。地面を深々と切り裂いた。刀を引き上げ、水平に構え直す。その懐にウェールスが飛び込み、連打を浴びせる。徒手空拳での攻撃に徹しているが、十二分の威力だ。瀝青量が減少している。
津田さんが大きく後ろに飛び退いた。再び放出量が増大していく。先ほどの比ではない。その時、首元から肩にかけて真っ赤になった。ウェールスが呟く、
「瀝青の消費量が生成量を凌駕したんだ」
こうなるとコアは宿主を瀝青化して不足を賄う。彼の肩はまさに今、瀝青化されている。だが、その瀝青こそが肥大し露出したコアでもあった。
「あれが狙い目か」
「動きを止めたい」
「私に手がある。約束はできないが」
「良いよ。お願い」
私は津田さんをじっと見据えたまま数歩前に出た。
「
暗闇を触媒に瀝青で創った黒い幕を宙に広げる。その手製の小さな夜空に星が浮かぶ。津田さんが態勢を立て直し、剣を構える。腰を落とし、瞬間、地面を強く蹴る。そこに、
「
夜の帳から無数の銀の杭を放つ。彼は剣を振ってそれらを払い、縦横に避けながら駆けて来る。それがこちらの要求だった。杭は柄から糸が伸びており、杭が彼を襲うたび、彼が払うたび、避けるたびに、糸が絡まり合い、蜘蛛の巣のように張り巡らされる。
痺れを切らして虚空に跳び上がる。その空に創り出せる限りの杭を走らせた。糸が彼を捕えた。剣であれば断ち切れるそれらも腕や脚に絡まったものを引き千切れはしないらしい。と、またもコアが瀝青の放出量を上げる。これを突破できるだけの力を得ようとしている。
しかし、それは不発に終わった。蜘蛛の巣を駆け上がり、ウェールスが津田さんの肩に右手を伸ばす。彼女の腕も燃えるように赤くなっていた。
「
右手で露出したコアを掴む。津田さんが喉から血を吹くかと思わせるほどの絶叫を上げた。ウェールスの右腕が一際烈しく光を放つ。今まで遭遇したことのない規模の瀝青が放出された。それは確かに荒れ狂う風のように感じられた。弾性効果が生じた。覚醒者である私さえ、静かな夜の街が差し挟まれた画像のように現れ、目前の二人の姿を一瞬見失うほどだった。目を凝らす。体が対応して景色を取り戻した時、
「はぁっ」
ウェールスの声が聞こえ、津田さんの肩で露わだったコアが消滅した。コアを構成している情報子を破壊したのだと分かった。彼女の腕も鎮まり、
「うわっ」
勢いそのまま落っこちて、いくらか下の網に引っかかった。
「大丈夫か」
「なんとか」
駆け寄って見上げる。気の抜けた返事にほっと胸を撫でおろした。
「それなら早く降りてきてくれ。この技はそんなに長くはもたない」
「え、嘘でしょ。落ちるってこと」
二人がかりで津田さんを下ろし、彼女に手を差し出す。
「津田さんを無事に助けられた。ありがとう」
私の手を取って、
「本当にうまくいくとは思わなかった。君、結構やる人だね」
「それは良かった」
彼女が地面に着地したところで蜘蛛の巣が消えた。
「間に合った」
私を見上げ、ウェールスが満面の笑みを浮かべる。だが、その笑みは幾分苦しそうで、大粒の汗を浮かべていた。
「どうした。まさか、さっきの武装は負担があるのか」
私に言われて気づいたらしく手の甲で汗を拭いながら、
「おかしいな。久しぶりで体がびっくりしたのかな」力無くその場に座り込んで、「ごめん。ちょっとだけ休ませて」
「君にも予想外のことなら明日支所に行くとしよう」
「ええ。このくらい大丈夫だよ」
「何かあっては困る」
「うう。これじゃただの家出だよ。なんて言われるか知れないよ」
先ほどの冷静さが嘘のように子供っぽく項垂れる。
「小休止さ。まだ白の媒介者との戦いは始まったばかりだ」
「まあ、しょうがないか」言って傍らに横たえた津田さんを見遣る。「少なくとも媒介者はそれなりに力を消費したはずだよ」
「そうなのか」
「彼は無理やり動かされてたんだ。媒介者が自分の瀝青を使ってね」
「無理やり。津田さんは自分の意思でコアに手を出したんじゃないのか」
「多分ね。彼のビットは稼働してたし、瀝青化に抵抗してたから」
コアは宿主に自分の力を必要とさせる。宿主が瀝青化に合意すればコアはより力強く瀝青を掘削できるからだ。宿主がコアを求めて受け入れたなら、その合意はほぼ確実に成立するだろう。そうでなかったから、というのが彼女の指摘だ。
「コアを植え付けられた」独り言つ。
「だと思う。だけど意味が無いよ。媒介者は枝葉のコアの宿主から瀝青を搾取して力をつけていくのに」
「瀝青に余裕があるという可能性は」
私の問いに彼女が首を横に振る。コアは瀝青を手に入れるほど力を強め、宿主への影響力も高まる。瀝青が豊富なコアは宿主により目的に適った行動をとらせる。
「こんなことがやれてるうちはこんなことをやってる場合じゃないはずなんだ」
ウェールスが訝るとその答えが返ってきた。
「でも、面白いでしょう」
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