四日目

① 赤い名簿、支援者、異人――明らかになる逢坂の手腕と代価としての反感

 暗闇の中を一つの人影が歩いている。全身を覆い隠す布も、布から覗く髪も真白い。光の届かぬ場所は、足を振り出した先に何があるかすら分からない。だが、彼女――白の媒介者の目には、はっきりと見えていた。所々で火器や衣類、所持品と思しき小物が死体のように落ちている。瀝青となって消えた持主の代わりをしているようだ。五階建ての大型商業施設、その巨大な空間に彼女の靴音だけが冷たく響き、消えていく。今は動かなくなった足場の危うい自動階段エスカレーターを淡々と上り、また進む。五階にある家電量販店に辿り着いた。合成皮革が痛々しく破けたマッサージチェアにそっと腰かけ、物陰に声をかけた。


「動揺してはいけません。コアは易々と貴方を呑み込む」彼女はからかうような笑みを浮かべて、「やりたいことがあるんでしょう」


 間仕切りの向こうに人の気配があった。姿は見せず、苛立ちまじりに言葉をぶつける。男の声だ。


「話が違う」

「あの二人のことですか」


 静まり返る。無言の肯定だ。白の媒介者はため息を吐き、


「大した問題ではありません」

「問題ではない」信じられないと言わんばかりに聞き返す。「栄の段取りだって狂っているのに」

「過程に多少の振れ幅があるだけ、結果に影響は無いという意味です」


 そう答える。また押し黙った。


「分かりました。貴方は結果の心配でなく、不確実な変化を恐れている。貴方の苦痛を軽んじるような私の態度に不安を覚えている」

「分かっているなら」

「ええ。手を打ちましょう。私に手駒があります。それを使います。ただ、貴方にも協力してもらいます。良いですね」


 翌日、ウェールスの提案を採用し、私たちは赤い名簿の人物を訪ねて回ることにした。ところが回数を重ねるにつれて発案者の表情は微妙なものになっていった。というのも――。


「同じ非市民と言っても、おまえたちと逢坂では格が違う」


 私たちを土間に正座させ、女性が力強く訴える。名簿に載っていた人物の妻だ。


「逢坂氏のことをとても信頼しているんですね」


 見上げながら尋ねる。彼女は頬を赤らめ、自身の体を骨張った手で抱きしめながら、


「愛しているのよ。逢坂は私に生きる楽しさを教えてくれた。金のため、何の魅力もない男にこの身を売り、悔しさと虚しさを物で誤魔化すだけの日々。そんな私の心をあの人は躍らせてくれた」

「自警団を支援しているのは奥様の強い想いから」

「ええそうよ。何度か支援して欲しいと訪ねてきて。初めは門前払いしていたけど。ある時、私がお風呂に入っていたら声が聞こえたの。それを境に時々、どこにいても何をしていても、ふっと話しかけてくるの。気づいたら、熱い思いに絆されてしまったのね」

「痛い」


 ウェールスが小声でぼそっと呟く。彼女を肘で突いて諫めたが、女性は逢坂氏への情念に酩酊しており、聞こえなかったようだ。恍惚とした表情で、


「あの人は私の心のここを踏み越えたのよ。乱暴に、雄々しく」


 白い靴下の先で上がり框のふちをなぞった。


 ――行く先々で門前払いを喰らった挙句、やっと話が聞けると思った相手がこの有様なのだから、ウェールスがすっかり悄気るのも至極当然と言える。


「まさかここまで酷い目に遭うとは思わなかったよ」

「私たちは二人とも見た目が異人だからね。非市民相当だが同じではない。逢坂氏や自警団が受けられる待遇を私たちも受けられるとは限らないんだ」

「なんか、ごめんね」


 とぼとぼと歩きながらウェールスが言う。


「謝られるようなことは何も無かったと思うが」

「僕が余計なこと提案したから。君も嫌な思いしたでしょ」

「私は生まれも育ちも学府だからね、いつものことさ」

「それはそれで良いことじゃないよ。悲しいよ」


 彼女は多分に感傷的になっているようだった。


「曲がりなりにも一人からは話が聞けた。私としてはそれだって意外なくらいだ。やって良かった」

「そっかなあ」と言う声は心なしか明るさを取り戻していた。「ひたすら胃もたれするような話だったけど」

「話そのものは、まあ、私も惨憺たるものだと思ったけどね。中身は有用そうだ」


 彼女は私を見上げて、


「と言うと」


「第一に。あの女性は犯人ではないだろう」

「確かに。そうだね」噴き出して笑う。

「第二に。名義上の支援者である彼女の夫は逢坂氏を嫌っているかもしれない」

「うん。自分の奥さんがあんな事になってるんだから。そうかも」

「第三に」


 ウェールスが私の言葉を引き取って、


「他の支援者にも同じようなことがあるかも、でしょ」

「ああ。私たちが追い返されたのはこちらの理由かもしれない」


 今日の訪問は自警団から先に連絡を入れてもらった上で行っていた。そうでもしないと誰からも話を聞けないだろうと考えたからだが、


「団長さんのことを内心よく思っていない支援者の人からすれば、知ったこっちゃないってくらいかもしれないね」

「全員が全員そうではないだろうがね」

「次の人はもう少しちゃんと話が訊けると良いなあ」


 彼女の願いも空しく門前払いを喰らったが、その次の名簿の人物からは話を聞くことができた。彼は私たちを敷地に入れず、門までやってきた。彼がそうしたのは、私たちへの悪意と自警団への善意が葛藤した結果では無かった。表情を見れば歴然で、言わずにいられなかったのだ。


「全部自業自得だ。これまでやってきたことの報いだろう」

「自警団を憎んでいるのですか。支援されているのでは」

「うちのが勝手にやったんだよ。逢坂に抱いてもらってな」


 彼は忌々しげに自警団の拡大手法について話してくれた。非市民だけで構成される自警団には資金力が無い。それを補うために団長の逢坂氏が行ったのが、経済人の妻を篭絡して支援者にするというものだった。中には先に訪ねた女性のように、逢坂氏に相当に入れ込んでいる者もいるようだ。逢坂氏がどの程度、意図しているかは定かでないが、何人かは愛を競うように多額の金を出していた。夫の遺産を自警団に寄付する約束までしている者もいると言う。


「栄さんはな。ああ、もう死んだから栄で良いか。あいつは逢坂の尻拭いをしてたんだよ。でも、火に油を注ぐようなことになって、逢坂ともども憎まれたりしてな」


 彼は高らかに笑ったかと思えば、さっと意気消沈し、押し黙った。


「犯人に心当たりはありますか」

「あ」顔を歪ませ凄むと私の胸ぐらを掴み、「俺がやったって言ってるのか」


 隣で身構えるウェールスを手で制しながら、


「いえ。犯人は覚醒能力を用いていましたから」

「俺には使えないって言ってるのか」

「使えるのですか」


 そう尋ねると激高し、私の頬を力いっぱい殴った。少しよろける。


「ちょっと」

「ウェールス」


 食って掛かろうとするのを呼び止める。


「使えねえよ。知らないねえ、そんな奴。でも、誰かがやったんだよ。やらなきゃ死なねえもんなあ」


 叫び声の後の静寂が訪れ、


「帰れ」


 そう吐き捨てて門を勢いよく閉め、家に戻っていった。

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