③ 管察、按察、学府組織と価値観――姿を消した元同僚、按察官津田清澄

 学府における秩序は――守護者とする教導派と化身とする教養派で見解は異なるが――いずれにしても貴族が義務と権利を独占的に有している。彼らに「無礼討ち」という私刑が建前上認められているのもそれ故だ。もっとも、実際に起こる数多の係争や犯罪はその主体も内容も多種多様だ。各都市を貴族個人が闊歩して、主体的かつ能動的に解決すれば良いとは誰も考えない。これらに対処するには必然的に機関と組織が求められる。


 この学府秩序に深く関与する組織が管察と按察だ。管察は上級の貴族のみで構成される最上位の組織で、按察を含む中央組織と各都市を治める貴族を監視、裁決する。学府秩序の維持で絶対の権力と実行力を持っている。按察は下級の貴族や経済人などの有力な市民で構成される下位の組織だ。職務内容は使い走り、もとい多岐に渡る。「按」と「察」の文字が示す通り、都市機能の管理保守から催事の準備、市民の手続き窓口、および街の治安維持などだ。


 津田さんは課長と同じく私の按察官時代の同僚だった。


――こちらは按察庁都市事業部保安三課。ただいま、職員は来客対応中。


 無機質な自動音声が流れ、私は受話器を置いた。


「友達だったの」夕食の卵焼きをぐっと飲み込んでウェールスが尋ねた。「マスター、これ甘くて美味しい」

「それは良かった」橘さんがにこやかに答える。


 私たちはリハイブに戻って明日の予定を話し合っていた。苦笑いを浮かべて、


「友人かと訊かれると答えに困るが。三人だけの課だったからね、それなりに行動を共にした人ではあったよ」

「三人。少数精鋭だったんだね」


 保安三課は按察官の職務のうち治安維持を担う「警察系」だった。ところがこれが都市機能の維持などを担う都市事業部の下にあった。端的に言えば、


「ただの閑職、窓際だっただけさ」


 会話を聞きながら、橘さんが珈琲を口に含む。


「仕事できなかったの」

「ぶっ」ウェールスの一言でむせた。何度か咳き込んで動きが止まる。「腰が」

「大丈夫ですか」

「ごめんなさい、マスター」


 心配そうな顔で謝るウェールス。謝る相手は正しいだろうか。


「ごめん、炯ちゃん。少し横になるから」

「肩を貸しますよ」


 橘さんが自室に撤退したところで話を再開する。


「その津田さんの例の件が気になるの」

「以前から栄氏は別の事件に巻き込まれていたのかもしれない」

「それが今回の事件に繋がってるかもってこと」

「現状、何とも言えないが、手がかりは多いに越したことはないからね。また電話するさ」


 言いながら壁の時計を見遣る。


「やっぱり赤い名簿が気になるよね。青の方は、囲碁友だし」


 栄氏が警戒していた人物、彼らの中に栄氏の殺害と自警団の弱体化の両方が利益となる者がいるのではないか。


「まあ、囲碁好きは善人ばかりとはならないが、自警団からの電話でその人たちのことも分かるかもしれない」


 自警団にはリハイブに帰ってすぐ電話していた。犯人の次の標的かもしれないと名簿の人物について情報提供を求めた。彼らの仕事は早く当を得たもので、三十分で確認し、それで分かる範囲のものを報せるとのことだった。


「そういえばさ。犯人の手口を話さなかったね。共有してって言われてたのに」

「全てを共有しろとは言われなかったからね」

「詭弁って言わない、そういうの」


 ウェールスの冷たい眼差しを横顔に受けながら、


「自警団は非市民の集まりだ。非市民と市民、まして貴族との間には軋轢がある。犯人が自分たちの敵視する相手かもしれないと示されれば、彼らは何もしないわけにいかない。逢坂氏や河原寺氏が差し控えようにも、団員たちが彼らの深謀遠慮を理解するとは限らない。弱腰と見做されれば求心力を失うだろう。意図せぬ行動も起きやすくなる。避けられた犠牲を彼らに強いるということだ。幸い、逢坂氏は私に裁量を委ねてくれた。であれば、なるべく彼らを遠ざけたい」

「善意だっていうのは分かるけど。生きるの下手って言われない」


 呆れとも憐みとも取れる声色でウェールスが言う。自分よりよほど人間らしい感想に思わず失笑する。


「言われたことはないが、そうかもしれないな」


 その時、店の黒電話が鳴った。電話の主は檜山くんだった。考えてみれば、彼は他の三人と異なり、犯人の逃走時に殺されていたかもしれない。幸運だった。


――分かったのはそれくらいです。何か分かったらまた連絡します。


「ありがとう」

「どうだった」


 電話を切るやウェールスが訊いてくる。


「囲碁友は自警団とは関係が無い。ただ、逢坂氏が知っていたようで、みんな慈善家だ。赤の名簿の方は全員が自警団の支援者だった」


 津田さんの名前は告げていないから彼を除く全員だ。


「自警団の支援者なの」


 ウェールスが驚く。栄氏は自警団の支援者を警戒していた。やはり、


「彼らを調べたいところだな」


 暗い部屋に電話が鳴り響く。何度目かの呼び出し音の後に、


――こちらは按察庁都市事業部保安三課。ただいま、職員は来客対応中。


 課長は既に退庁していた。いつもより早い時刻だ。彼女には急遽入った予定があった。青ざめた顔で肩を震わせ泣く女性を抱きとめ、少々の迷惑が入り混じった心配の表情を浮かべている。

今日の昼過ぎ、保安三課の電話が鳴った。普段ならば居留守を使う職務放棄按察官が胸騒ぎを覚えて受話器を取った。


「大丈夫。必ず私が見つけるから」


 力づけるように課長が言葉をかける。女性は津田さんの妻。津田さんは、失踪していた。

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