② 弾性効果、姿消す技、暦と二つの名簿――殺害方法と犯人像を推理する炯

 書斎に戻った私たちは栄氏の死体があった辺りに立った。


「そもそもの話だが、殺人が起きてからは瀝青の影響で自警団の四人はほぼ無力化されていた。犯人がこの場を去ることはそれほど難しくなかったはずだ」

「難しいのは屋敷に侵入して、栄さんを殺すまでの動きってことだね」

「ああ。そこで犯人は姿を消す技を使った」

「礼拝堂で君が使った技だね。近くまで来てたのに気づかれなかった」


 言いながら思い出したらしく、ウェールスが青ざめた顔をする。


「瀝青と瀝青を用いた全ての表現には弾性効果が働く」


 この世界は自然法則という絶対の理に従って動いている。ところが瀝青と瀝青を用いた表現はこの法則を無視する。それらに対して自然法則はその存在を拒絶し、解消しようとする。この作用を自然法則の弾性効果、あるいは単に弾性効果と呼ぶ。弾性効果の強さはその性質上、瀝青の規模が大きくなるほど指数関数的に増大する。


「弾性効果の影響は色々とあるが、一つに瀝青を用いた表現が距離を置くと見えなくなるというものがある。通常、大量の瀝青を使用しなければ起こらないが、この技は効率的にそれを誘発させる」


 実際に使ってみせる。


「本当だ。見えなくなった。大して瀝青を使ってないのに」

「君は瀝青の消費を感じ取ったが、感知能力の低い者には何も分からない。これが使える者であれば、書斎に侵入することも殺害まで潜んでいることもできる」

「さっきも言ったけど、媒介者が使える場合があるよ」

「白の媒介者の覚醒能力は大方把握している。彼女には使えない。犯人自身の技能と考えて良い」


 一方で彼女は偽想刻殻を使う変装の名手だが、それを用いたとは考えにくい。偽想刻殻は存在しない人物になる技だ。そうである以上、犯人が扮した何者かが屋敷を訪れたなら、警戒していた自警団が把握していなければおかしい。迷図も結局、殺害の前にこの書斎に堂々と侵入する必要がある。


 白の媒介者の覚醒能力は今回の犯行を可能にするようなものではない。


「この技はどんな人が使えるの」

「按察官がよく使う、必須と言って良いくらいの技だ。習得難易度は高くない。ただ、この技にはいくつか欠点があってね。一つは今こうして話している通り、姿は見えなくなるが音は聞こえる」

「言われてみれば。何かの弾みで声でも出したら、誰かいるって分かっちゃうね」

「もう一つはもっと決定的な欠点で」


 私は書斎の扉まで歩いていき、今は閉まっているそれの把手に触れた。


「あれ、姿が見えるようになったけど」

「この技は物体との接触関係が大きく変化すると勝手に解除される。立った状態なら、壁に寄りかかっても、その場に座っても、こうして何かを掴んでも姿が露になる」

「そんな危なっかしい技、何かの拍子で解除されかねないよ」

「だから、使いこなせないといけない。犯人は手練れだ。加えて屋敷の間取りを知っており、少なくとも栄氏の当日の動向も把握していたはずだ」

「間取りを知ってるなら、来たことはあるはずだよね」

「来ただけでなく、それなりに話したことのある仲だろうね」


 そもそも犯人は自警団への攻撃手段として栄氏を殺害した。他にいくらでも方法はある中でだ。犯人は栄氏の殺害と自警団の弱体化の両方が利益になる人物だろう。その上でウェールスの言うとおり、この場所に来たことがある人物。内心に利害の対立を抱えながら、表層的な交友を重ねる。栄氏が経済人であることを考えれば、自ずと相手の階級にも察しが付く。


「栄さんと関わりがあって、覚醒能力を使いこなせる人」

「探してみよう」

「探すったってどうやって」


 私はウェールスの横に戻って、


「栄氏は殺される直前、これを見ていたのかもしれないな」


 壁の穴の上に掛けられた暦を差す。四角いマスのいくつかに人の名前や場所、行事が書かれている。


「一昨日のところには未来って書かれてるね」

「逢坂氏の名前だ。自警団の団員が来るということだろう」

「ここに書かれているのは会うくらいの仲の人なのかな」

「比較的近しい人たちかもしれない」

「この人たちとの関係がもう少し詳しく分かれば」


 ウェールスが唸りながら呟く。私は栄氏の机の方に向かいながら、


「ウェールスさん、暦に書かれた名前は青色だろう」

「うん。そうだけど」

「こういうことじゃないか」机の後ろの棚に収められた青いファイルを手に取る。「当たりだ」

「どういうこと」駆けてきた彼女に中身を見せる。「名簿」

「だろうね。暦に書かれていた名前を探そう」


 ウェールスは棚を見て、


「何冊かあるよ。結構な厚みのが」

「仕方ないさ。手伝ってくれ、名探偵」

「それは君の吐いた嘘でしょ。まあ、でも」一度、栄氏の死体のあった場所を見遣る。「やろっか。犯人を止めないと」


 私たちは手分けして名簿を調べ、暦にあった名前の人物をすべて見つけ出した。人数自体はさほどいなかったから、分母の大きさだけが困難だったのは幸運だった。結果、


「白とか黒とか中押しとか何なんだろう」

「囲碁の用語だね」

「囲碁、ってボードゲームの」ウェールスは呆気にとられた表情で、「事件との関係は」

「無いだろうね。対局友達だ」

「無いの」


 驚きの声を上げたと同時に項垂れる。私はもう一度、暦を確かめていた。暦は過ぎた月のものは捨てる仕様となっている。今月以前の予定は分からない。が、そのマスを指で撫でていると跡があるのに気づいた。瞬間、強い胸騒ぎを覚えた。覗き込むように暦を見つめる。


「森、盛男。森盛男」

「どうしたの」


 机の方から不思議そうにウェールスが尋ねる。


「ウェールスさん、森盛男という名前を見なかったかい」

「え。ごめん、さすがに全部は覚えてないよ。どこかにあったんじゃない」


 本棚に駆け寄り、赤いファイルを手に取った。名簿には五十音のような分かりやすい規則性は無い。適宜、追加と削除を繰り返してきたようだ。急いでページをめくる。


「あった」

「その赤いのも名簿なの。青いのがなくなったのかな」


 ウェールスが覗き込みながら言う。


「いや。違う。意味が逆の名簿なんだ」


 森盛男という名前の横に「危険」と付記されている。その他の人物にも「懸念」や「憂慮」の文字がある。それだけでなく、何名かが列挙された関係図まである。険悪な者もいたようだ。


「意味が逆。交友者の反対、敵対者」


 ウェールスが思案顔で独り言つ。名簿には住所や連絡先だけでなく、趣味や好物、人となりなどが書かれていた。青の名簿と異なり、極めて分析的な印象を受ける。これらの人物は敵と言うより、


「要警戒者といったところだろう」


 その要警戒者名簿の中に、私の知った名前があった。


「津田せいちょう


 名前の横には「例の件」と書かれている。


「誰、知り合い」彼女がきょとんとした顔で尋ねた。

「ああ。何があったんだ」


 私は虚空をじっと見つめ、噛み締めるように呟いた。




◇注釈(用語説明)

偽想刻殻ぎそうこっかく……白の媒介者が得意とする覚醒技能の一つ。瀝青を用いた変装と相手の認識を欺く干渉を同時に行う。高度な技だが同一人物が複数存在する矛盾した状態を生み出すと強力な弾性効果を受けて破綻する。


迷図メイズ……白の媒介者が得意とする覚醒技能の一つ。使用者の現在地を中心とした比較的狭い空間において現在地と少し前にいた位置を入れ替え、擬似的な瞬間移動を行う。この入れ替えは過去に居た位置一つにつき一度しかできない。また迷図によって移動した地点は以降の迷図の入れ替え地点にならない。

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