二日目
① 殺害現場、栄秀秋と逢坂未来、確執と窮地の自警団――予期せず繋がる殺人事件とコア
殺害現場を調べるのは夜が明けてからとなった。栄氏の屋敷は高濃度の瀝青が充満しており、生成能力の乏しい者には耐えられない。その時点で自由に動けるのは私くらいだった。私は協力者とは言え部外者だ。身動きの取れない自分たちを横目に最大の支援者の殺害現場を確認されるのは彼らの自負心や逢坂氏の求心力の観点から避けたかったのだろう。
昨晩遅くに栄氏の屋敷に向かった私は、屋敷に取り残された三人の団員――杉村氏、榛氏、稲田氏を屋敷の外に運び出した後、逢坂氏と河原寺氏と共に檜山くんからの事情聴取を行った。
異変を察した檜山くんは、稲田氏の二の舞を避けて屋敷を脱出。最寄りの支部(支援者が家の一部を彼らに利用させているもの)に駆け込み、応援を求めた。
連絡を受けた逢坂氏は、河原寺氏に戻り次第こちらに向かうよう伝言を残し、数名の団員を連れて栄氏の屋敷に向かう。足を踏み入れてすぐ異常を感じた彼は、団員に私を呼びに行かせたのだった。河原寺氏が合流したのは、私と逢坂氏が檜山くんから話を訊き始めた頃だ。以上が事件直後から夜が明けるまでの自警団の挙動となっている。
夜が明けて瀝青の濃度の低下が確認できると、支部に集合していた団員たちが一斉に栄氏の屋敷に上がり、事件の調査が始まった。濃度が下がったと言っても、瀝青は完全に消散したわけではない。昨晩の三人のように卒倒することはなくとも、何らかの悪影響を及ぼす可能性はある。そう説明したが、逢坂氏に押し切られた格好だ。
彼らは数名で構成される班を複数作り、屋敷の各部屋に配置して記録を行っていた。自警団の記録方法は録音機に説明を吹き込む口述記録とスケッチにして残す描画記録の二つとなっている。撮影機などの高価な手段は現在、持ち合わせていない。
私は逢坂氏、河原寺氏と共に栄氏が殺された書斎を調べていた。書斎は上から見て長方形となっており、入口は長辺の壁の左端にある。反対側の壁の中央の近くに栄氏の死体があった。右奥、短辺の壁の前に机や本棚が置かれている。室内の装いは全体的に統一感があるが、入口の真向いにある鉄の扉だけが雰囲気から逸脱している。
その鉄の扉に歩み寄り、
「施錠されていたんですね」それを調べていた稲田氏に尋ねる。
「ああ。鍵は全部あそこに入ってた」
顎をしゃくって栄氏の机の方をさす。彼以外の三人が周辺を調べていた。
「複製などは」
「してないとさ。昨日、栄サンに聞いたよ。この扉は使えねえ」
「ありがとうございます」
稲田氏は笑顔を作ったが、顔には消耗が色濃く残っていた。体力に自信のある彼でさえこうなのだから、榛氏と杉村氏の状態の悪さは見ているこちらが心配になるほどだ。
「二人とも無理しない方が」
やや狼狽えながら檜山くんが気遣う。
「そうも言ってられないでしょ」
「俺たちには責任があるからな」
口々に答える二人。私に気づいた檜山くんが、
「あっ、先生」
「確認をしたいんですが、二人は物音を聞いて、入口の戸を開けたんですね」
「ああ。開けた瞬間に気持ちの悪い風が吹いて、目を覚ましたら布団の中だ」
苦々しそうに榛氏が答える。
「その時に杉村さんは栄さんが倒れるのを見た」
「そうですよ。体から血を吹き出しながら、ゆっくり倒れるところを見たんです」
「気が動転してゆっくりに見えただけだろう」と榛氏。
「でもね、秒針の音はコツコツ聞こえてるんですよ。全部がゆっくりになるってんなら、秒針の音だってゆっくり聞こえるはずじゃないすか」
時計は入って左手の壁にあり、秒針の音が聞こえても不思議はない。
「瀝青にやられておかしくなってたんじゃないのか」
「だから自信はないんですよ」杉村氏は逢坂氏を一瞥して、「先生。大丈夫っすかね」
「と言うと」尋ねると、声を押し殺し、
「俺たちこんな大失敗やらかしたんすよ。団長さんの恩人だってのに。どうにかなったりしないっすよね」
「それはなんとも」
「なんともっすかあ」杉村氏は天を仰いだ。
と、屋敷が騒然とし始める。他の部屋の団員たちが口論を始めたのだ。事件のために浮足立ち、昂奮気味の彼らからは、しばしば怒号が飛び交っていた。
「ちっ」河原寺氏は舌打ちすると立ち上がり、入口から廊下めがけ、「静かにしろ」
その一喝でたちまち静まり返る。河原寺氏は外見こそ繊細な長身の青年だが、言動にはその声一つとっても彼が自警団を武力で束ねる強者だと分かる迫力があった。
逢坂氏は養父の変わり果てた姿を沈痛な面持ちで見つめながら、
「悪い、我聞」河原寺氏は逢坂氏の傍らに再びしゃがみ込み、「良いさ逢坂サン」
私も二人のところに向かい、「どうですか」覗き込んで尋ねる。仰向けに倒れた栄氏の体には胸に一つ刺し傷があった。
「体を貫通しているな」河原寺氏が立ち上がりながら言った。
「壁にも傷がありますね」
赤黒い血がべったりと着いた壁の真中にそれはあった。手をかざすと風を感じる。
「凶器は長物か。にしても、背中から刺して体だけでなく壁まで穴が開くのか」
今のところ、河原寺氏の言うように、犯人は壁際に立っていた栄氏を背後から刺殺したと考えるのが妥当なように思われる。逢坂氏が顔をくっと上げ、
「犯人は覚醒者だろう。どんな技を使った。教えてくれ、先生」
射貫くような鋭い視線を私に向けて言った。逢坂氏は童顔で小柄だが、傷跡残る顔で光る双眸には、翳りと同居する殺気がある。
人が失神するほどの瀝青が存在したのだから、犯人が覚醒者だと考えるのはごく自然なことだ。しかし、実際は違う。犯人はコアを使用している。問題は何をどう説明するかだ。彼らを巻き込みたくないが、彼らの出来事でもある。
また屋敷が騒々しくなる。が、先ほどとは様子が違った。団員が一人、書斎に駆け込んできた。
「団長。栄さんが来ました。な、なんかイカつい女連れてます」
「あの馬鹿息子、早えじゃねえか」河原寺氏が苦虫を噛み潰したような顔で悪態をつく。
「栄秀秋。栄さんの次男で、俺たちのことをよく思っていないんだ」
逢坂氏が表情を曇らせて説明する。
「昨晩のことは」
「知らせないわけにもいかないだろう」彼が捜査を強行した理由だった。
すぐ後に大きな足音を立てて栄秀秋氏が書斎にやってきた。禿げ頭と油ぎった顔を恰幅の良い体に据えた壮年の男性だった。
「申し訳ありません。俺たちのせいで」
「お前なんぞを拾うから親父はこうして死んだんだ」
頭を下げて謝罪する逢坂氏を睨みつける秀秋氏の目は、深い憎悪で燃えている。一方、私の注意は彼ではなく、彼が連れてきた女性に向いていた。向こうも私に気付くなり目を見開く。秀秋氏は彼女の方をくるりと向き、
「砂上様。父のこと、何卒、宜しくお願い致します」取ってつけたような恭しい態度で言う。「砂上様」
「え、ええ」
呼ばれて我に返り、彼女、砂上叶子は気のない返事をした。秀秋氏は再び険しい顔を作ると逢坂氏を見遣り、
「役立たずに用はない。出て行け」
親族にそう言われては自警団がこの場に居られる理由は無かった。
「申し訳ありませんでした」
「黙れ。出て行け」
自警団の面々は歯を食いしばり、部屋を出て行く。私も一礼して続いた。秀秋氏は勝ち誇った声で、
「親父は市民だ。お前らのようなクズとは違う。事件は按察官様に解決してもらうよ」
追い討ちを浴びせることを忘れなかった。
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