⑤ 第一の被害者栄秀平――自警団を圧倒する瀝青の威力

 殺害予告を受け取った栄秀平氏は、自警団最大の支援者であり、逢坂氏の養父でもあった。妻を亡くし、当主の座も既に譲った今は、彼の経済力を考えれば小さすぎるくらいの屋敷で暮らしている。鷹揚な人物だが、近寄りがたい威厳があり、近しい人物かどうかで印象が大きく異なる。有力な市民として殺伐とした学府を生き抜いてきただけあって、自負心が強く、人に施すことはしても施されるのは我慢ならない性分だ。


 今回のことも逢坂氏に護衛を置かせて欲しいと再三頼まれて渋々受け入れた。栄氏の屋敷に詰めている栄氏と別段近しくもない四人の自警団員にとっては実に居心地の悪い任務だった。


 予告された時刻は二十二時。五分後だ。団員たちは食堂のテーブルでため息をつきながら、カードゲームをしていた。今は栄氏の様子を見に席を外した一人が戻るのを待っている。今日一日、彼らは何もさせてもらえなかった。


「おう、どうだった」


 情けない表情を浮かべて戻ってきた杉村氏に、二人が口々に声をかける。


「元気でしたよ。どうせただの嫌がらせだ、ご苦労さん、って笑ってさ」椅子に座るとテーブルに突っ伏す。「目が笑ってないんすよ」


 四人の中で最も腕っぷしに自信のある稲田氏が野太い声で、


「俺たちは守りに来てやったんだ。もっと強気に行けば良い」

「じゃあ、自分でやってくださいよ」

「俺は交渉事は苦手だ。団長と違ってな」


 一応、四人の代表という体でやってきた痩身の団員、はしばみ氏が嘆く。


「団にとっちゃあ上客、おまけに逢坂さんの恩人だ。俺たちは仰る通りでございますしか言えねえよ」

「なんにもないと良いんすけどねえ」

「ないない。態度だよ、態度。お客様の信頼をタダで勝ち取る良い機会ってなもんさ」細い腕を広げて、「何かあるなら河原寺さんが来てる」

「栄さんのいる書斎にはこの食堂の前を通らないと行けない。そこを俺たちが待ち構えてる。大丈夫だ」


 と、それまで黙っていた、四人の中で最年少の檜山くんが口を開いた。


「なんだか嫌な予感がします」


 三人が童顔の少年をまじまじと見つめる。


「お、覚醒者の勘か」


 稲田氏がからかう。檜山くんは自警団員の中では瀝青の生成能力が比較的高い。一時的に余剰が生じ、感覚機能にささやかな恩恵を受けることがあった。


「やめてくださいよ。僕は覚醒者じゃないです」

「よせよせ」榛氏が間に入る。椅子から立ち上がり、「やれることをしよう」

「はい」檜山くんがボロボロのトランプを手際よく片付けた。


 四人は予め決めておいたとおり、二人一組で食堂の前と書斎の扉の前で待ち構えた。時刻はもうすぐ二十二時を迎えようとしている。食堂前の担当になった二人、稲田氏が檜山くんの肩を叩いた。


「何にも起きやしねえよ。脅迫状なんてよくあることじゃねえか」

「はい」俯きがちに答える。肩が少し震えていた。


 食堂の大きな時計が二十二時を報せる鐘の音を鳴らす、その音が終わる。


「さて、予告の時間が来たわけだが」


 稲田氏の言葉を遮るように檜山くんが訴えた。


「人の倒れる音がしました」

「俺には何も聞こえなかったが」言いながらその青ざめた顔を見て、尋常でないことを察した。「分かった。おまえはここで待ってろ」


 稲田氏が廊下を駆けていく。檜山くんの言ったことは正しかった。扉の前に居た二人は、確かに倒れていた。


「おい、どうした。おい、おい」


 稲田氏はしゃがみ込んで二人の体を揺さぶり声をかける。しかし、ほどなくして彼の感情の無い間延びした声が廊下に響き、直後、倒れる音がした。


 喫茶店リハイブの扉が乱暴に叩かれたのは、日付も変わった頃だった。私は二階の自室で書き物をしていた。


「先生、先生」


 店に出て扉を開けると、一人の自警団員が息せき切らせて雪崩れ込んだ。


「先生、助けてくれ。大変なことになったんだ」


 青ざめた顔で訴える彼を見て、私は胸騒ぎを覚えた。


「なんだね、いったい」


 叩き起こされ迷惑そうに声をかけてきた橘さんに振り返り、


「すみません。急用で今から出かけてきます」

「ええ。こんな夜中にかい」

「行きましょう」


 驚く橘さんの声を背中で聞いて店を出た。行先は栄氏の屋敷だ。――そこに並の覚醒者ではあり得ない規模の瀝青が存在していた。


 事態が、私の思わぬ所から思わぬ形で始まることを告げていた。

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