④ 荒廃する人と街、喫茶店リハイブ――不安を湛える静かな夜

 主に一般市民が暮らすC級街には、数は少ないが保存状態の優れた前時代の建物がある。中でも文化的価値が高いと見做されるものは、学府や各都市の市長が「記念館」に認定し、管理を命ずる。


 この認定は一方的かつ粗雑で、何の落ち度も無くとも取り消されることがある。そういった場合、元記念館は有力な市民や下級の貴族に売り飛ばされたりするのだが、喫茶店リハイブもその通りの経緯を持つ元記念館だ。


 元々は頽廃期の富裕層の住宅で、彼らが貧者の暴力から生き延びるための創意工夫が随所に散りばめられている。一方で内装も素晴らしい。木と漆喰を用いた店内では、年代物の振り子時計がゆったりと時を刻んでいる。彼らはこの空間で必死に穏やかさを作り出そうとしていたのかもしれない。


 私は数年前からここに居候している。


「別に一日二日じゃなく、学府にいる間、うちに居てくれて構わんよ」


 カウンターの向こうで食器を拭きながら、この店の主人、橘さんは朗らかに言った。明日から住処が見つかるまで数日、異人の少女を置いて欲しいと頼んだのだが、


「これ以上お願いするのは」

「一人も二人も大して変わらんよ」店の隅で伏せている白い犬に視線を向ける。「二人と一匹だな」

「すみません」

「気にすることはない。こう言っちゃあなんだが、炯ちゃんの毎月の払いを考えれば、二人分の家賃でも十分だ」


 悪戯っぽく笑う。この品の良い白髪の老紳士は、気遣いから敢えてこういった偽悪的な言い回しをすることがあった。


「ありがとうございます」


 橘さんは「はいよ」と返事をして食器を棚に戻し始めた。これで懸案の一つはどうにかなりそうだ。私は安堵して珈琲(この店の珈琲は庭の畑で採れる葉を煮出して淹れる)を一口含んだ。明日、フーマニットの少女を迎えに行く。当面はここ喫茶店リハイブが拠点になる。問題はそこからだ。白の媒介者が何を起こすのか。それまでどのような行動をとるか。


 珈琲の黒々とした水面を見つめながら思案していると、作業を終えた橘さんが、


「そう言えば、自警団の団員が酷い殺され方をしたと聞いたんだが」


 私は幾分驚いた。橘さんを見上げる。


「ええ。私も今日、聞きました。子供にこっそり打ち明けられて」

「ああ」顔を顰めて、「そうか、不安だろうね」

「頼まれもしないで首を突っ込むのは迷惑でしょうが、心配ではあります」

「そうだねえ」

「それにしても、噂が出回っているんですね」


 死体は自警団の拠点の門柱の前に置かれていた。出入りするのは自警団に関係がある者がほとんどで、無関係の者が偶然通るような場所ではない。この噂の出所になり得るとしたら、自警団の関係者か犯人のそれか、どちらかだ。


「昼間に来た客が話してたよ。それを聞いた他の連中は驚いてたから、まだ新しいんだろう。まあ、あそこは方々に目の敵にされてるからねえ」

「その客というのは」


 尋ねると橘さんは苦笑いを浮かべて、


「いつもの呑んだくれだよ。風の噂だとさ。半信半疑だったんだが」


 顔なじみの飲兵衛なら、意図を持ってここで噂を吹聴した可能性は低い。しかし、この人がどこでそれを聞いたのかを確認するのは難しそうだ。


「それ以外には何か」

「自警団絡みだとそれくらいだね」


 殺害予告の話は届いていないらしい。橘さんはかぶりを振って、


「近頃は物騒なことが多いね。失踪が続いてるって話があったろう。人身売買だそうだ。按察の一部が買収されて、止めようがないとさ」


 今日の学府では殺人も誘拐も腐敗も日常茶飯だ。私は残り少なくなった珈琲を飲み干し、今夜の自警団に思いを馳せた。

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