③ 頽廃期、ワァルドステイト、フーマニット――始動するコアとの戦い

 学府の各都市は、AからDの四つの等級で区分された地域で構成される。街の景観は等級と強い相関があり、最下のD級街は景観も厳しい。だが、例外もある。南のD級街にあるワァルドステイトの支所とその周辺だ。学府での景観の優劣は一般的に前時代の雰囲気をいかに高度に守られているかだが、A級街を凌駕するこの空間は、未来の雰囲気を纏う。


 W.S.は今日の人類に不可欠な二つの主力製品「ビット」と「フーマニット」を供給している巨大勢力であり、頽廃の時代に躍進した唯一の組織だ。


 百余年に渡って続いた頽廃の時代は、人類が自滅を選んだ「放棄運動リナウンス」の時期と、W.S.の機械人類フーマニットと葛藤状態に突入する「人機闘争」の時期とに分けられる。


 人機闘争は複数の原因――彼らが開発した生成装置コアの暴走、指導部の堕落など――によって人類同盟が内部崩壊を起こしたことで終結した。しかし、それはあくまで形式的な話だ。実際は人機闘争はおろか放棄運動さえ終わっていない。コアは同盟の手を離れ、今も人類の脅威であり続けている。W.S.は闘争終結後、コアの根絶を担うことになったが、各共同体には異なる状況と思惑があり、協力的な地域も強い拒絶を示す地域もある。


「所長、このような投書が」


 一体のフーマニットが、電動の車椅子に腰掛けた同胞のもとに紙片を持ってきた。ジャヌアリィはそれを受け取ると苦笑いを浮かべた。


――アンドロイドは帰れ。


 と、力強く殴り書きされている。


「古風ですね」


 学府のW.S.への態度は両価的だ。特定の領域では彼らに依存しながら、それ以外では冷遇する。コアの根絶に対しても非協力的で、学府には存在しないと繰り返している。W.S.は現在、支所の外で自由に活動することが許されておらず、学府にコアがあることを把握していながら身動きが取れない。


 学府がこのように振る舞えるのは、ここが頽廃の時代から前時代の遺産を守った唯一の共同体だからだ。学府は全人類の精神的支柱なのだ。


 このことはW.S.にとっても学府が極めて重要な共同体であることを意味する。学府がW.S.との共存を選べば、人機の軋轢を乗り越える大きな一歩になる。彼らはその大きな一歩の、第一歩を踏み出そうとしていた。電動車椅子の肘掛けから通知音が鳴る。


「どうしました」


 空中に浮かんだ映像に映るフーマニットに尋ねると、


「開道様がいらっしゃいました」


 私がW.S.の支所を訪ねたのはちょうどそのような時だった。私はコアの追跡でW.S.と協力しており、現状と今後の方針を共有するために定期的にこの支所を訪ねていた。本来、今日はその定期的な情報共有の日だ。


「少々お待ちください」


 受付のフーマニットが驚くほど自然で柔和な笑みを浮かべて告げた。壁際の長椅子に腰かけて高い天井を見上げる。広間には長椅子が複数あるが、今日は誰もいない。一度深く息を吐き、ぼんやりと思案した。


 私の力では七枝のコアを破壊することはできない。昨晩のようにコアの感染拡大に多少抗うくらいだ。それもあって、白の媒介者の言葉が事態の加速度的な悪化を予告していると思えてならなかった。


 こつこつと靴音を心地よく響かせて、先ほどのフーマニットが近づいてきた。


「お待たせいたしました。十四階の応接室にお入りください」

「ありがとう」


 立ち上がり、受付を横切った先にある昇降機エレベーターに入った。ほどなくして扉が閉まり始める。と、扉の向こう。広間に一人の少女が見えた。彼女もフーマニットらしい。受付のフーマニットに笑顔で声をかける。


「ただいま」


 その声の澄んだ音色が、私の心を揺さぶった。


 応接室は品の良い広々とした空間だ。部屋の中央に楕円形のテーブルと白いソファーが置かれている。南側には空に開かれた窓があり、差し込む日の光は滑らかなテーブルの端に影をそっと作る。


 ジャヌアリィは揺りかごのように体を包む電動の車椅子に腰かけ、テーブルの向こうで待っていた。緑色の長髪をした風貌の良い男の姿をしている。


 昨晩の話を静かに聞いていた彼は、


「わざわざ挨拶しに来るのですから、新たな動きを見せるのでしょう。妥当なところを言えば、枝葉のコアを使用して本格的に感染の拡大を推し進める、でしょうか」


 私の不安に具体例を添えた。続けて、


「奇しくも、こちらも一つ事態を前に進めるところです」


 速やかに共有したい事柄があると切り出した。


「潜入作戦」思わず聞き返す。

「ええ」


 ジャヌアリィは背もたれに背中を預けて微笑んだ。明日、学府中央の貴族とW.S.の副代表との間で会談が行われる。そこでコアの追跡を現在の保健衛生領域の提携の範囲に加え、フーマニットの市内での自由な活動を許可するよう提案する。だが、


「勿論、前段の学府との交渉がうまく行けば、そのような違法な行為に手を染めることもないでしょう」


 この会談は九分九厘失敗する。そこで、会談の帰り道に狂言の襲撃事件を起こし、その混乱に乗じて副代表を市中に潜入させると言うのだ。


「私どもは代表以外、全員フーマニットです。副代表は公式にはSIN00としていますが、私たちはルーチェと呼んでいます。ルーチェは対コア戦用に造られたフーマニットです。今回の作戦に最適と判断しました」


 さも事後報告というふうな、淡々とした調子で話すジャヌアリィに慌てて、


「危険すぎる」


 これは学府とW.S.の現在の関係を破綻させかねない。副代表の襲撃と失踪など学府からすれば大きな失点であり、W.S.はこれを苛酷に利用できるだろう。ジャヌアリィは私の懸念を理解していた。理解した上で告げた。


「ですが、この案は先方から打診されたものです」


 私は背景を理解した。この作戦は学府貴族の権力闘争も巻き込んで行われようとしている。自分にそれを止める力が無いことは明らかだった。


「潜入した副代表には行動拠点と現地での協力者が必要です。開道さん、協力をお願いできませんか」


 穏やかな調子で言うが、依頼というより要求に近い。


「断り方があるなら教えてくれないか」ため息まじりに答える。

「ありがとうございます」


 彼は潜入予定の副代表の情報と当日の合流場所などの情報を私に手渡しながら、


「学府での体験はあの子にとってかけがえのないものになるでしょう」


 気になる言葉が耳に入り、書類に目を通していた顔を上げた。


「あの子」

「副代表のことです」


 書類を捲って現れた写真に目を見開く。先ほど見かけた少女だった。




◇注釈(用語説明)

フーマニット……血の瀝青を原材料とする機械人類。概念的にはアンドロイドとほぼ同一。違いは衰亡の危機に瀕した人類を救うために造られたという歴史的背景。アンドロイドがしばしば人類の脅威として描かれたことからその呼称は中傷として作用する。


コア……人類同盟製の生成装置。宿主を結び付けて一つの巨大な生成機関を形成する。階級が設定されており、それに応じて異なる位格(役割と権能)が与えられる。現存する階級は「七枝」「枝葉」「落葉」の三つ。


枝葉のコアサクリファイス・コア……兵隊の位格。宿主を瀝青化し、大半を七枝のコアに上納する。莫大な規模の瀝青を生成し、宿主の元に残るものだけでも覚醒者のそれを凌駕する。

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