② ビット、瀝青、覚醒者――新たな力と自警団を襲う困難

「先生」


 はっとして振り返る。そこに十四、五歳くらいの少女が立っていた。彼女、千羽望は逢坂氏の自警団に所属する団員の一人だ。望の心配そうな表情から、何度か私に声をかけていたらしいと分かった。


「すまない。考え事をしていて気づかなかった」

「大丈夫ですか」

「ああ、ありがとう」


 それまで聞こえていなかった秒針の音が急にはっきりと感じられ、壁に掛けられた円形の時計を見た。深々と亀裂の入ったコンクリートの壁で少々首を傾げるそれは、何かを恐れているような印象を与えた。自警団は前時代の建物に修繕を重ねて根拠地にしている。この辺りでは極めて状態の良い方だが、廃墟の雰囲気はそこかしこから感じられた。


「始めようか」

「はい。よろしくお願いします」


 望が向かいの椅子に腰かけた。目を閉じて呼吸を整える。瞑想のような態勢を取ると、薄っすらと瀝青を放出し始める。


 今日ここに来たのは彼女の覚醒能力を確かめるためだった。望は覚醒の兆しを見せていた。手に入れる力がどのようなものであれ、自警団にとって大きな戦力になることは間違いない。団長の逢坂氏が私に依頼したのにもそういった思惑がある。


 学府全体で見ても覚醒者の数は僅少だ。例えば、団員のビット接種率は同じ階級の非市民どころか学府の平均と比べても非常に高い。それでも覚醒者と思しき人物が数名いる程度だ。


 ビットで生成された瀝青は、まず接種者の生命維持に用いられる分が確保され、次にワァルドステイトに所定の量が回収される。覚醒能力として消費できる瀝青はこれらの後の余剰だ。大半の接種者は、この二つの徴収分を賄うことさえ難しい。覚醒者は前提として優れた瀝青の生成能力が求められるのだ。


 望はその要求水準を満たしつつあった。だが、問題もあった。彼女の纏う瀝青に意識を集中させる。


 瀝青は情報子を与えることであらゆる存在を形成する。実のところ「血の瀝青」自体も「何にでもなるもの」に「血の瀝青」という最小限の情報子を与えて一時的に存在できるようにしたものだ。


 瀝青の情報子は生成した者によって差異を持つ。この差異が瀝青の運用の方向性を決めると言っても過言ではない。私がいま確認しているのもこれなのだが、


「どうですか」


 望がゆっくり目を開けて尋ねる。額にうっすら汗が滲んでいた。以前から彼女の瀝青の情報子には志向が見られない状態が続いていた。資源をどのように用いるつもりなのか、意図が見えないのだ。「原風景」と呼ばれるこの志向が存在しない以上、覚醒能力を獲得するには至らない。しかし、確認できないからと言って存在しないとは限らない。


「瀝青の生成能力は着実に向上していると思う。課題が原風景の方に絞られてきた。そちらもはっきりしないだけで存在していると考えて良い」

「原因はなんですか。どうすれば分かるようになりますか」

「無意識に抑圧しているのかもしれない。迷いがあったり、自分を信じられなかったり、理由は色々あると思う。少しづつ自分と向き合うことだね」

「自分と向き合う、ですか」


 望が沈痛な表情を浮かべた。


「焦らなくて良い」と言ってできるなら話は容易い。「そうだ。いま気になっていることはあるかい」

「気になっていること」

「気がかりの中にも人となりが出る。それに言葉にできることを話すうちに今は言葉にならない心のうねりにも気づけば言葉を与えられているものさ」

「そういうのが役に立つものなんですか。その、すみません」


 気まずそうに目を伏せる。私は微笑んでみせ、


「自由連想という手法の、まあ亜型だ。特効薬にはならないが有効だよ」


 そう言うと望は少し逡巡してから、


「団のことが。最近、嫌がらせが酷いみたいで」


 望が声を潜めて話した自警団の現状は確かにやや立て込んでいた。先日、団員の一人が殺され、拠点の前に棄てられるという事件が起きた。残忍で挑戦的な犯行であり、自警団は犯人探しに全力を尽くしている。ところが数日前にこれと全く性質の異なる出来事が起きた。


「殺害予告」

「そうらしいです。なんでも大口の支援者宛てだったそうで」


 それは差出人の書かれていない真白い封筒に入っていた。一目で高価と分かる品の良い装飾が気にかかり、封を切ったことで発覚した。


「支援者宛ての殺害予告が自警団に届いたのか」

「ええ。狙われてる本人はいつもの嫌がらせだってくらいらしいですけど。うちとしては何をどのくらいやったもんかって」


 自警団には敵が多い。彼ら自身にとっても支援者にとっても殺害予告などは日常茶飯であり、嫌がらせと捉えること自体に不自然さは無い。敵対者からすれば相手が浮足立っている時に便乗して混乱を深めるような挙動に出るのは理に適う。


 自警団としては団員が惨殺された事件の方に注力したい。一方で支援者が狙われている以上、全くの無防備は避けたい。数名の団員を件の支援者の護衛に回しつつ、優先順位は維持するつもりのようだ。


「予告された日時は」

「それが、今日の夜なんです」


 驚きながら思い返す。この部屋に来る途中団員と何度かすれ違ったが、確かに多少の慌ただしさがあった。


「私、団員と言っても半人前扱いで詳しいことは聞かされなくて。ここは私にとってたった一つの居場所なんです。それが大変な時に何もできない。私、本当に力があるんですか」


 真っすぐ私を見つめる彼女の瞳は小刻みに震えていた。


「ああ。間違いない」


 望は目を伏せ、少しの間、押し黙った。不器用に笑って、


「すみません。ちょっと自分でもおかしいんです。殺害予告に復讐の始まりだって書いてあったって聞いて。私宛てじゃないのに、なんだか」


 ふいに昨晩の言葉が脳裏をよぎった。


――始まりますよ、開道さん。


「先生」


 望の呼び掛ける声に、半ば自分に言い聞かせるように、「大丈夫さ」と答えた。




◇注釈(用語説明)

ビット……ワァルドステイト製の生成装置。接種後に全身を伝播し、新たな臓器を形成、演算空間「自己宇宙」を構築する。接種者の能動的思考に依存して稼働し、血の瀝青を生成する。


覚醒者……ビットで生成した瀝青を使用し、何らかの現象を表現する力を持つ者のこと。表現内容は自己宇宙での演算内容に由来する。この天体に一定の躍動(生成能力)と運行の規則性(原風景)があることが覚醒者には不可欠となる。

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