第2話 02 あんた、貴族の子? そして、鋭い刃物のような男

 それから半月が経ち、月が変わった。3月 Märzメルツから、4月 April アプリルへ。


「さよなら。わたしの初めてのお部屋。わたしの、わたしだけの、お部屋・・・」

 大きなリュックを肩に掛け、ヤヨイは4年間とちょっと、住み慣れた粗末な部屋を見回した。

 リセを卒業して初めて、自分だけの部屋を持つことが出来た。その思い出深い自分だけの居場所とも、今日でお別れだ。


 寄宿舎の管理人のおばさんには挨拶しといた。

「あの、徴兵の紙が来たんで、2年、部屋を留守にします」

 と。

 するとおばさんは、

「ああ! そうかね。あんたにも赤紙が来たんかね」

 べつに特別なことでもない。

 帝都に住む人が好んで着る簡素なテュニカではなく、既婚女性が着るワンピースの長い裾をはしたなくパタパタ仰がせながら、おばさんは言った。そんなに暑いなら丈の短いテュニカにすればいいのに。まだ20歳になったばかりのヤヨイには、いずれ自分にも二の腕も太股も剥き出しの服が着られなくなる歳が来るのを想像すら出来なかった。

「普通は3年次で来るお手紙なのにねえ。あんたには卒業しても来なかったからどうしたんだろうとは思ってたさ。そうかえ。やっぱりあんたにも来たんだねえ」

「留守の間、部屋をお願いします」

「私物は全部一階のロッカーに運んでおいておくれよ。あんたの部屋は新入生か徴兵明けの学生に使ってもらうからね」

「え、ウソ・・・」

「そりゃそうさね。2年も空き部屋のまんまにしておけるほど部屋は余ってないんだよ。徴兵から帰ってきたら、あんたにはまた別の部屋を用意してやるさ。そのときまだ独り身ならね」




 帝国のほぼ中心に位置する帝都カプトゥ・ムンディー。

 元々は「世界の首都」を意味するこの名を冠した街では、4月ともなればみんな暑苦しいショールを取り去り、素肌にテュニカだけ、平気で二の腕と太ももを剥き出しで街を歩く。陽射しはもうかなり強いが、都心を吹き渡る爽やかな風が人々の汗ばむ肌を気持ちよく乾かしてくれる。

 でも、そんな爽やかな季節を迎えたのに、大きなリュックを背負ったヤヨイは、浮かない顔を隠そうともしなかった。

 寄宿舎を出て大学のキャンパスを横切り、官庁街を抜けて、石の森のようなフォルムが林立する辺りを抜けると繁華街スブッラに入る。

 色とりどりのテュニカを着た人々が行きかう街を、今若い女性の間で流行りのロング丈のテュニカを着た女の子が颯爽と闊歩しているのを見かけた。腰のベルトから下がふんわりと広がって可愛い印象を与える。ミリタリーチックな膝下までの編み上げのサンダルがコケティッシュな味わいを醸している。

「いいなあ・・・」

 お金にヨユーがあれば、ヤヨイも着てみたかった服だが、仕方ない。とりあえずは2年間のガマン、だ。

 リュックを背負ってはいても、大したものは入ってはいない。電波の研究に関係する2、3冊の本と何本かのエンピツだけだ。



「私物は一切持ち込み禁止だから。仮に持って行っても訓練所を出るまでは没収されるだけだよ。配属が決まって任地に行く前に返してもらえるけどね」

 院生の先輩でもあり徴兵の先輩でもあるミックが、徴兵されてからのことを事細かに教えてくれた。だから、リュックの中のもの以外は全部、愛用の化粧道具すら寄宿舎のロッカーに置いてきた。2か月の訓練所生活を送った後はそのまま部隊に配属になる。それまでは私物には一切手を触れられないらしい。

「とにかく、着るものから使うもの全て支給される。それ以外一切ダメなんだ。

 軍隊ってのは、そういうところなんだよ。個人の趣味とか好みとか人格とか、とにかく、一切無視、だから・・・」

 メガネをかけた、男なのにどこかナヨっとしたところがあるなあと思っていたミヒャエルだけれど、すでに徴兵を終えた先輩として見るとどうして。どこか逞しさと頼もしさを感じるから不思議だった。


 ちょうど通りかかった乗り合いの辻馬車を拾い、帝都南にあるアヴェンティノスの丘の向こう、南駅に向かった。そこから出る、訓練所との間を往復する専用馬車の停留所に並んだ。

 先月の大火事。焦げ臭さはとうに爽やかな風が運び去ってしまったらしくさほど気にならない。むしろ気になるのは停留所に並んだ、ヤヨイと同じ年頃らしき男女の若者たちの陰鬱そうな顔、顔、顔。

 そりゃそうだよな。好き好んで軍隊に入りたい人は、いないもの。この人たちも、みんなわたしと同じ、20歳なんだな・・・。


 停留所には徴兵通知を届けに来た人と同じような下士官が居た。男も女も関係なく、次から次へやって来る訓練生を幌の無い馬車にドンドン乗せてゆく。

「お前からお前はこれに。お前からは次のに乗れ!」

 名前なんかイチイチ確認しない。まるで、荷物だ。

 7、8人の男女と一緒に、ヤヨイもやってきた馬車に乗せられ、揺られた。

 お気楽な大学生は居なさそうだった。不安そうにしているのはヤヨイぐらいで、皆落ち着いた様子で座っていた。もう社会に出て働いていそうな人ばかりだった。

 ただ、中に一人だけ質(タチ)の悪そうな男がいた。

「なあ、ムネ、デカいな。ケツもいい感じだぜ。なあ、オレと仲良くしようぜえ・・・」

 ソイツは、向かい側に座った黒髪の女の子に頻りにお下劣なちょっかいをかけていた。

「もう、やめて! 怒るよ!」

 女の子の方は気が強そうではあるものの、見るからに気分が悪そうだった。

 こういう手合いは飲み屋街でよく見かけた。

 不特定多数の客を乗せる辻馬車は別だが、貨物専用の馬車とか軍隊の荷役用の馬車の馭者の多くは戦場で捕虜になった奴隷だと聞いた。今馬車を御しているのも軍服ではなく普通の市民が着るテュニカ姿だ。ゴッツイ下士官もいない。質の悪そうな不心得者はそれで気が大きくなったのかもしれない。


 小一時間ほど馬車に揺られた。

 周りの風景に建物や家々が少なくなり、小麦畑やオリーブ畑が目立つようになったころ。馬車は帝都郊外の白い壁に囲まれた大きな施設の門をくぐった。

「帝都第三新兵訓練所」

 門の上の鉄のアーチにはそんな文字が掲げられてあった。

「みんな、ギムナジウム(体育館)に入れ! 男は右、女は左だ。グズグズするな! キビキビ行動するんだ!」

 駅で馬車に載せられたときにいたような下士官や兵が2、3人。馬車から降りたヤヨイたち「新兵のタマゴ」の群れを次々に誘導していた。男は右の入り口、女は左から。みんな大人しくゾロゾロと大きな白い体育館の中に入ってゆく。

「おい、なんだよっ! オレがなにしたってんだ、おいっ!」

 ふと見ると、右の男子の列で騒ぎが起こっていた。

 さっきヤヨイが乗った馬車で乗り合わせた「質の悪い男」だ。屈強な下士官に襟首を掴まれ、列の外に出されようとして反発していた。

 だが、もうひとりの女の下士官が銃を構え、銃口でソイツの背中を小突いた。不心得者は急に大人しくなった。

 畏れ多くも徴兵に向かう馬車の中で同乗した女の子をナンパしようとしていたバカなヤツは、列から離れたところにとまっていた檻付きの馬車に乗せられ、閉じ込められた。

 いったい誰が言いつけたのだろう。

 ヤヨイたちを乗せて来た馬車はもう、いなかった。

 たぶん、あの馭者だろう。ヤヨイはそう見当をつけた。軍服姿ではなかったが、奴隷じゃなくて、この訓練所を管理する下士官か兵卒だったのだろう。奴隷のふりをして、密かに新兵の素行を監視していたのかもしれない。

 ・・・エグイわ。

 ちょっと背筋が寒くなった。

 そんな光景を見せられれば、みんな否でも従順にならざるを得ない。

 入り口は違ったが、中は真ん中に形ばかりの仕切りがあるだけだった。

 女の子たちの側からは、仕切りの向こうの男の子たちが所在なさげに突っ立っているのが隙間から見えるほど。ということは向こうからもこちらが見えるということだ。私語する者などいなかった。不心得者のあんなシーンを見た後では、なおさらかもしれない。

 これから何が始まるのだろう。

 不安に包まれている新兵のタマゴをさらに追い打ちするように、衝撃的な指示が下った。

「入ったら服を脱いで。下着もサンダルも全部よ。脱いだら荷物と一緒にあのテーブルのところに行って。自分のサイズの軍服を選んで着る。脱いだ物と私物はそばにある箱に入れる。サッサと始めて!」

 女の子の群れには女の下士官が、男には男のが。それぞれにがなり立てた。

「え、ここで?」

「・・・マジィ?」

「うそーん!」

 いったい、なんでそんなことまでしなければならないのか。


 驚きはしなかった。それについてもあらかじめミックから聞かされていた。

「も、とにかく、軍隊ってところは徹頭徹尾、モノ扱い。人格無視、だからね。

 でもね、それって、ワザとやってるんだってさ」

「・・・どうして?」

 当然、ヤヨイは訊いた。

「エモーショナルな安定性? 突然不測の事態に巻き込まれても大騒ぎしたり昂奮したりしない。近衛とか東の軍団勤務の兵にはそういう素養が求められるんだってさ」

「どうして?」

「近衛はしょっちゅう皇帝陛下の閲兵があるだろ? それに東の軍団はノールとの国境沿いにある。ノールはキリスト教国。急進的な教義を持つ一派もいるって話だ。大酒飲んで騒いだり、しょっちゅうお喋りばかりしてたり、いつも女の子のお尻を追いかけまわしてたり、何かにつけて文句を言って喚くようなヤツは排除されるんだってさ。

 近衛も東の軍団もここ150年はいくさをしてない。だから人気があるんだよ、新兵にね。西のチナ相手の軍団ならまだいいけど、北の軍団に配属になったらサイアクだろ。どうせ2年も務めなきゃいけないんだから、せめて無事に何事もなく、ってのは誰でも思うだろ?」



 だから驚かなかった。けれど、なんか、イ~ヤな気持ちはした。

 当然、女の子の群れからは2、3の文句が出たが、そのほかはみんな黙って従っていた。ヤヨイと同じで、あらかじめ情報を仕入れているからかもしれない。

 同性とはいえ下士官に監視されながらの着替えは抵抗があった。でも、イヤなことは手早くちゃっちゃと済ませた。新品の軍服は、カーキ色とかいう、緑と茶の混じったような色。ポケット以外何の飾りもない最も簡素なテュニカだ。ショーツもその上に穿くレギンスも全部カーキ色。初めて着た軍隊の服は、どこかよそよそしい感じがした。

 脱いだ私服とサンダルとリュックを箱に入れ、みんながしているように壁際に箱を積んだ。

 そこにも下士官がいた。

「箱に生年月日と名前を書いて。2か月後、部隊に配属になる前に返却するから、忘れないように」

 箱に名前を書いていると、

「ねえ、あんた。馬車で一緒だったよね。貴族の子?」

 同じ馬車で不心得者にナンパされかかっていた黒髪の女の子が寄って来た。軍服に着替えた彼女は、目を付けられるだけあって豊満で魅力的な、いかにも男好きのする身体をしていた。その女の子の懐かしい質問に、ふと心が和んだ。

「うん、そうだよ」

 ヤヨイは気安く返事をした。

「あたし、マーゴ。あんたは?」

「ヤヨイ」

「へえ。変わった名前ね。よろしくね」

 マーゴと名乗った子は、ブラウンの瞳を和ませ手を差し出して来た。その手を取り、

「こちらこそ。よろしく」

 ヤヨイも、言った。

「そこっ! ムダ話しない! 名前を書いたら3番のテーブルに行って軍装品一式を受け取る。受け取ったら中央に集合! サッサと動く!」


 マーゴという子が言った「貴族の子?」という言葉には多少の説明が要るのだが・・・。

 そのことはまた後述することにして、新兵たちの入隊儀式にもどる。


 いつの間にか、男女を分けていた仕切りは取り払われていた。

 広いギムナジウムの中央に、カーキ色の男女の群れが集まった。軍服に着替えた訓練生たちを見渡すようにして、ひと際マッチョな下士官が高い号令台に立ち大声で命じた。

「準備の終わった者から整列! 10名1列となり男は中央から左、女は右に展開。他の者は最初の10名をそれぞれ先頭にして後ろに並べ。駆け足!」

 はは~ん。

 バカロレアに入学する前のリセ(中学・高校)でやっていた整列の仕方と同じだ、と思った。

 最初の10名に加わったヤヨイは、支給された軍装品一式を持って最前列に並んだ。声をかけてくれたマーゴがヤヨイの陰に隠れるように、すぐ後ろに立った。

 だが、大多数の者はどうしていいかわからず、ガヤガヤ、ドタドタ、マゴマゴと、なんとなく最初の10名それぞれの後ろに並んだ。

 全員が整列を終えるまで時間がかかった。が、号令台に立った下士官は辛抱強く、待った。その間に、新兵たちの着替えを監視したり真新しい軍服の貸与をしたり私物を整理したりしていた他の下士官たちが号令台の左右に整列した。

 そうして全員が整列を終えると、号令台の上のマッチョ下士官はようやく口を開いた。

「荷物を足元に置き、楽にしろ」

 彼は、言った。新兵たちは手にした軍服や荷物を足元に置き、それぞれの列の先頭の者が休めの姿勢を取ると、皆それに従った。

「今日から2か月間、お前たちはここで帝国陸軍の兵士となるための教育を受ける。今この時より、お前たちはもう、わが帝国陸軍の貴重な兵士である!

 一兵士となった以上、帝国軍の軍規に従う義務を負う。軍規に違反すれば容赦なく処罰の対象となる。

 まさかとは思うが、この中に、この期に及んでまだ兵役がイヤだと思っている者はいるか。

 その者に忠告する。たとえ心で思ったとしても、間違ってもここから脱走しようなどとは考えん方がいい。たちまちに憲兵隊に捕縛され、即決で強制労働送りとなる。5年もの長い間、奴隷や犯罪者たちと共に鉱山の暗い坑道で働きたいという者は誰もおらんだろう。

 そして、もし戦闘中に戦列を離れた者には即時の銃殺が待っている。

 兵士になる。戦場に出る。ということは、すなわち、そういうことなのだ。

 お前たちがまず最初にすることは、今俺が言った言葉を肝の奥深くに刻み込むことだ!」

 下士官は言葉を切り、誰一人として私語する者もなく静まり返った新兵たちを見回した。

 イヤイヤながら集まって来た帝都のお気楽な若者たちは、この言葉だけでみんなピッと背筋を伸ばした。

 ギムナジウムの外で、ヒヒーン、と馬の嘶くのが聞こえた。

「そして、次に重要な点は、お前たちが兵役を終えるまでの2年間、男女の自由な恋愛は、これを厳禁するということだ。

 今日入隊した訓練生にも、さっそく3名ほどの不心得者が出た。

 今の馬の嘶きは、その不心得者たちを特別訓練所に移送する馬車のものだ。

 彼らは、お前たちがここで過ごす2か月間、徹底して情操強化教育を受けることになる。その後、見込みがあれば一から新兵教育を受け、部隊に勤務することになるが、見込みがなければ、やはりお前たちの兵役と同じ2年間の強制労働送りとなる。割に合わぬ労役だが、戦場に出る可能性もあるお前たちに見合う労苦は味合わせねばならん。その後は一生、兵役の義務を負わなかった者として、他の者よりも余分に税を払って生きねばならなくなる。

 そのような不利益、不名誉を一生引き摺りたいと思う者もいないと思う。

 そして、これが最も重要だ」

 下士官はより一層声を張り上げた。

「相手の望まない性的行為を強要した者は、男であれ、女であれ、容赦なく『石埋めの刑』に処される。

 自分のための墓穴を掘らされ、その中に入れられ、所属する小隊全員の人数分、上から頭ほどもある石を落とされる。頭の骨を折られるか全身打撲か。まず、死を免れるのは無理だろう。仮に生き永らえたとしても、上から土を埋め戻されて生き埋めにされ、そこが不心得者の墓となる。

 これまでお前たちがどのような恋愛生活を送っていたかは知らん。

 だが、陸軍の一兵となった以上、陸軍伝統の極刑に処されたくなければ、自分の性欲と戦うことだ」

 ヤヨイは目だけ動かして男子たちの方を見た。

 肩をすくめて震えている子が何人かいた。

「お前たちは小学校で習ったはずだ。わが帝国の国是は、『信義と尊厳の尊重』である! 『人と人、人と国家の間の信義を守る』、『互いの尊厳を尊重する』ことである。

 だが、すでに帝国軍兵士となったお前たちは、今日よりその上にさらに『命令と服従と規律』。この3つをも順守、厳守せねばならない!」

 そして下士官は、次の言葉で訓示を締めくくった。

「我々帝国軍はこの世界で最大最強の軍である。それはなぜか。

 それは、我が軍の兵たちが皆、どの国の軍よりも厳しい軍律に甘んじて従うからである!

 我が陸軍はゴウケツやヒーローは必要としていない。どんな耐えがたい苦しみにも耐え、どんな忍びがたいひもじさにも耐える。だが、ひとたび命令が下れば、遮二無二敵に向かって突き進む。

 それが、我が陸軍が求める理想の兵士だ!

 この2か月間、お前たちは帝国軍の厳しい軍律をその身体に叩き込むことだ。そしてお前たち皆が一人前の兵士になってここを巣立ってゆくことを、俺は切に願うものである!

 以上だ」

「プロホノフ曹長どのに対し、敬礼!」

 号令台の下に立っていた下士官が命令した。そのほかの下士官が号令台に向かって敬礼すると、新兵たちも見よう見まねで右手を高く挙げ、敬礼をした。残りの下士官が新兵たちの列を通りながら敬礼の仕方がヘタな者を見つけては腕の角度や姿勢を正して回った。

 答礼していた曹長は新兵たちの初めての敬礼が満足行くものになったのを見届けると腕を下ろし、号令台を降りた。

「男女各一列ずつ。引率の上官に従い、中央から順に教室に向かう!」

 男女それぞれ約15名ずつ30名。

 これが新兵訓練期間中の「小隊」となるらしい。なんという大雑把な編制だろうか。

 だが、大雑把だけれど、すこぶる能率のいいやり方だ、とも思った。

 ここに集められてから、まだ、たった1時間弱。一個小隊30名が約10個小隊。ここに来るまでは軍隊を何にも知らない烏合の衆だった20歳の若者たちが、形だけにせよ軍隊になっている。とても合理的で、徹底して手間を省いている。

 人が足りないからだ。そう思った。だから必然的に合理的に、省力的にならざるを得ない。

「A(アー)小隊! 前へっ!」

 このようにして、その日ギムナジウムに集まった300名あまりの新兵は10個の小隊に編成され、小隊毎にそれぞれの教室に散っていった。

 3列目の先頭にいたヤヨイも「C(ツェー)小隊」の15名の女たちの一人として同じく男15名と一緒にギムナジウムを出、教室に向かった。




 

 長い一日が終わった。

 

 軍隊の階級とより実践的な軍規。日々の、そして訓練を終えるまでのカリキュラムのガイダンス。それに、軍装品の説明と手入れの仕方と、そして、訓練所での行動規範・・・。

 座学でそれらを教えられた後、「C小隊」の訓練生はみんな宿舎に引き上げた。みんな、どっと、疲れ切っていた。

 だが、ヤヨイは一人の男子と共に居残りを命じられた。

 小隊長補佐をせよ。そう言われた。「学級委員」ということかな。ギムナジウムで先頭に整列していたせいだ。

「C小隊」の小隊長、言わば「クラス担任」は、アルテンブルク伍長という、少しくすんだ金髪をキリリと結い上げた30代半ばほど、キレッキレの女性下士官だった。

 伍長は、2人にクラスの運営について細々とした指示を与えた後、こう命令した。

「明日は0500起床。朝食までの時間、10キロランニングを行うので起床後全員を遅滞なくグラウンドに集合させること」

 ゲッ! 10キロォ? ・・・ムリ。

 もちろん、思っただけで口には出していない。

「ヴァインライヒ訓練生。何か質問か?」

 顔には出てしまったかもしれない。あわてて、

「いいえっ! ありません!」

 と、言った。

「では、他に質問が無ければ打ち合わせを終わる。

 ディスミスト(解散)!」

 ヤヨイともう一人の「学級委員」、金髪を短く刈り込んだ訓練生の男の子は起立し右手を挙げ、

「Ave CAESAR!(アヴェ・カエザル! 敬愛なる皇帝陛下!)」

 敬礼をした。

 答礼したアルテンブルク伍長が書類を抱えて教室を出ていってしまうと、思わず男の子と顔を見合わせた。

 ふう・・・。

 ため息が出た。


 男の子と共に、荷物を抱えて宿舎に向かった。

「さっきはありがとうな。おれ、ルドルフってんだ。ルドルフ・ハイネマン」

 握手したかったけれど、二人とも荷物を抱えていたから手がふさがっていた。

「ヤヨイ。ヤヨイ・ヴァインライヒ。よろしくね」

「へえ。珍しい名前だね」

 と、ルドルフは言った。

「でも、すげえよ、キミ。おれが言葉を選んでいるうちにおれが訊きたかったこと全部訊いてくれた。なんつーかさ、慣れてる、ってゆーか・・・。キミ、リセ出てるだろ」

「ええ。あなたも? ルドルフ」

「うん。卒業して今は母校の新米教師やってんだ。わかってたことだけど、年度の真ん中で担任のクラスを他の先生にお願いしなきゃならなかったのが心残りだったけどね」

「道理で! あなたこそみんなを動かすのに慣れてるカンジだったわ、ルドルフ」

「はは。おれのクラスのガキどもよりはラクだったけどね。キミは? シャバでなにやってたの?」

 ヤヨイは、答えた。

「院生なの。バカロレアの、電波工学科。わたしも、せっかく詰めてた研究を他の人に委ねなきゃならなくて、ちょっぴり、悔しかったわ」

 そう言って、笑ってみた。

 ルドルフは、絶句していた。

「なんだって! 院生?」

「わたし、飛び級してるの。2年。それで、なの」

「うわ! 優秀なんだなあ、ヤヨイ! すっごいよ!」

「そんなことないわ、全然。でも、みんなにはなるべくナイショにしておいてね。その方が、気がラクだから」

 ルドルフは急に無口になってしまった。


 ヤヨイは、慣れていた。

「飛び級」という言葉を口にした途端、それまで親し気に話してくれていた友達がみんなムッツリ押し黙ってしまう。

「なんだ。タメだと思ってたのに、年下だったのか・・・」

 あるいは、目の前のルドルフのように、

「同い年なのに、ずいぶんお高いところにいらっしゃるんだなあ・・・」

 そんな目で見られてきた。

 好きでこうなったんじゃなかった。親元を離れてリセに進学する時、気が付いたらこうなっていたのだ。でも、ヤヨイの言い訳はいつも、額面通りには受け取られなかった。

「ふんっ! 多少アタマがいいからって、鼻にかけやがって・・・」

 そんな妬みの目で見られるのがほとんどだった。慣れてはいたけれど、正直、あまり気分のいいものではない。


 これ以上その話題に深入りしたくない。話題を変えた。

「でも、この訓練所の新兵対応はとても合理的で省力化が徹底しているわね」

「え? そうなの? 例えば?」

「なにか名簿みたいのがあって、それと照らし合わせるのかと思ってたの。でも、違ったから。

 イキナリ、『集合しろ整列しろ』なんて言われても、普通の人は訳がわからないわ。

 整列とか行進とか、休めとか回れ右、とか。右向け右、前へ進め! なんて・・・。そんなこと急に言われて動けるのはリセで本物の軍人から軍事教練を受けた人だけよ。覚えてない?」

「そういや、そんなこともあったような・・・、気がするなあ・・・。ここだけの話、おれ軍隊キライだから」

 話しやすい男の子だな、と思った。少し、気がラクになった。

「でも、ヤヨイ。キミよくそんなこと覚えてるなあ・・・」

 ルドルフは感嘆したようにつぶやいた。

「でも、そう思わない? 

『整列! 10名1列となり男は中央から左、女は右に展開。他の者は最初の10名をそれぞれ先頭にして後ろに並べ』

 それだけ言えば、リセを出た人は放っておいても列を作るわ。後のひとは自然にその後ろに並ぶ。すると、自然にリセを卒業した人が各クラスにまんべんなく配分される。その人にクラスのまとめ役を言いつければ、自分たちの仕事がだいぶ楽になる。

 名簿の照合や軍服の配布、禁制品の持ち込み検査もそうだわ。

 ちょっと乱暴だったけど、一斉に着替えさせ、服と持ちもの一切合切箱に入れさせて名前を書かせれば、後からゆっくり照合できる。禁制品を持ってるかどうかも、チェックできる。軍服も自分で選ばせる。お前はSサイズ、お前はMサイズ、なんて、いちいち申告させなくて済む。

 事実、300人近い新兵の着替えと軍装品の貸与、それに訓示がわずか30分ちょっとで終わっちゃったわ。

 毎月のように徴兵された新兵が送られてくるから、自然にそういうシステムが出来たのね。実に合理的で、省力化が徹底しているわ。そう思わない? ルドルフ。・・・あれ?」

 振り向けば、荷物を持ったルドルフがずいぶん後ろのほうで突っ立ったまま、ポカンと口を開けていた。

「・・・すごいな、キミ・・・」

 彼はやっと口を開いた。

「女の子の前で着替えるなんて恥ずかしいな、って。おれ、そればかり気にしてたのに・・・。

 あの短い時間に、そんなことまで観察してたなんて。洞察力が、ハンパないよ。さすが、バカロレアだなあ・・・」

 ・・・。

 やっちまった、かな・・・。

 今度は、ヤヨイが口をつぐむ番だった。


「ヘタに出しゃばらない方がいいぜ。なまじ優秀だと思われると、激戦地に送られるよ。万が一、北の野蛮人相手の軍団になんか送られたら、下手すると死ぬぜ。

 あわてず、騒がず、なるべく目立たないように控えめに。2年間、ひたすら耐え忍ぶ方が利口だよ、ヤヨイ。研究を続けたいなら、出しゃばり厳禁だよ」

 電気学科のミックの言葉をいまさらながらに思い出した。


 出しゃばり、厳禁!


「わ、わたしだって、は、恥ずかしかったわ!」

 あわてて、いかにも取ってつけたように、いまさらな「可愛い女の子」の演技をしてみた。

「恥ずかしかったんだからっ!」

 教室棟の長い廊下に、自分の声が大きく響いた。力み過ぎて、キアイが入ってしまった。ドツボにハマる、とはこのことだ。

「はは・・・」

 ルドルフの乾いた笑いも、響いた。

「ま、軍隊ってのはそういうトコだよね。いかに効率よく、敵を殺すか、だもの。

 ウチの学校の先生の中に15年前の北の戦役を経験してた人が居るんだ。その先生が言ってた。

『戦場に出たら人間性なんかジャマだ』ってさ」


 宿舎の建物に入り際、ルドルフは、マーゴと同じことを訊いて来た。

「なあ、ヤヨイ。キミも『貴族の子』なのかい?」


 各小隊は教室も小隊毎ならば宿舎も小隊毎になっていた。

 つまり、男女同室だ。

「C小隊」にあてがわれた宿舎には人数分のベッドがあった。

 中央の入り口から左右にそれぞれ十いくつかのベッドが並んでいた。片一方の隅に女の子たちが固まり、反対の隅に同じように男の子たちがたむろしていた。女の子の方はそうでもなかったが、男の子の方が、むしろドギマギ、ビクビクしていた。

 それぞれの隅から順にベッドは埋まっていて、ヤヨイが来た頃にはもう、どちらの端からも離れた入り口近く、真ん中らへんのベッドしか空いていなかった。

 男子の方も同じだったみたいだ。入り口の通路を挟んでヤヨイと反対側の、最も入り口に近いベッドにドサッと荷物を下ろしたルドルフは、男子のカタマリを見て、ボヤいた。

「ま、あんだけ脅かされりゃ、無理ないよな」

 ヤヨイも、その空のベッドの上に支給された軍服や荷物を置いた。

「学級委員」のルドルフが、「クラス担任」アルテンブルク伍長の命令を伝達した。

「あー、みんな! ちょっと聞いてくれ。明日の朝は5時起床だから。ラッパが聞こえたらすぐ起きてグラウンドに集合。朝食までに10キロランニングするらしい。必ず起きてくれよ」

「ええええええっ?!」



 夕食を摂り、シャワーを浴び、寝間着兼用の、漂白してない生のままのコットン地の訓練着に着替え、ベッドの上にドサッと身を横たえた。

 やれやれ・・・。

 ああ、疲れた。

 就寝時刻までの2時間弱。短い時間だけれど、今日初めて、自由な時間を手に入れた。30人の「戦友」たちと一緒ではあるのだけれど。

 でも、男女同室なんて、リセのころ以来だわ・・・。

 ヤヨイと同じリセを卒業した者は慣れていた風だったが、それ以外の子たちはみんな緊張している風に見えた。


 12歳で優しい母の許を離れ、リセの寄宿舎に入った時のことを思い出す。

 母の許から小学校に通ったヤヨイは、卒業時の成績が良く、一足飛びに国家が運営するリセ(中学・高校)の3年次に飛び級した。

 リセは全寮制。しかも男女同室。それに周りはみんな年上ばかり。リセでのヤヨイの毎日は孤独との闘いたっだ。

 あの時は、毎日が寂しくて、眠るときは緊張のし通しだったっけなあ・・・。

 



 マーゴもルドルフも口にした、「貴族の子」という言葉。

 この場合の「貴族」とは、帝都の丘の上に住む貴族たちのことではない。

 だいたい、貴族の子弟は徴兵などを経験することはない。

 まず、貴族の男子はそのほとんどが士官学校に入る。10年間軍務に就いた貴族は自動的に元老院の議席を得るのだが、そのパスポート代わりに職業軍人になるのだ。そして女子は、そのほとんどが20歳になるまでに嫁いでしまう。貴族平民の別なく、婚姻して子を設けた女性は徴兵を免除されるからだ。

 だから、徴兵に応じるような女性はまず100パーセント平民なのだ。

 ではなぜ「貴族の子」なのか。

 帝国人の構成は、全人口の1パーセントにも満たない貴族と、そのほとんどを占める平民とで成り立つ。

 平民にもいろいろある。父と母が揃ったごく普通の家庭で育った者と、それ以外の者だ。片親の子もいるが、圧倒的に多数を占めるのが、「国母貴族」を母に持つ者になる。

 ヤヨイもその一人だった。

 だから、「貴族の子」なのだ。

 帝国はその広大な領土に比べ人口が少ない。

 そこで政府は、国策によって容姿端麗、頭脳明晰、身体健康、性格温厚な女性の栄達の道として、将来帝国を支える貴重な人的資源確保の一環として国母制度を創設して久しい。発足してすでに数十年が経っていると聞いていた。

 35歳までに12人の子供を産み、養育し社会に送り出した女性には養育中の生活費及び養育費が国家により全額保証される。

 ただし子種を貰い受ける男は自由には選べない。容姿端麗、頭脳明晰、身体頑健な男でなければならず、しかも相手は国家から指定されるのだった。12人の子供の姓はその種をもたらした男の姓を与えられる。12人全員が同じ姓の場合もあるし、12人みんな別々の場合もある。ヤヨイの場合は上の2人は違う姓。下の9人の弟妹も違う姓。ヤヨイだけが「ヴァインライヒ」という姓だった。ただし名だけは、母親が自由に命名していいことになっている。

 だがそうした制度さえ我慢すれば、養育終了後の下賜金は女性の残りの生涯を就労せずに過ごせるだけの大きな額が与えられた。しかも一代に限り貴族の称号までも与えられる。租税は生涯免除。

 子供は国の宝。その宝を生涯に12人も世に送り出した功績は立派に貴族の名に値するというわけだ。自分の生み育てた子供には絶対に会ってはならないという、いささか過酷な誓約をするのが条件ではあったのだが。

 リセ入学以来、一度も母の許へは帰っていない。帰ってはいけない。そういうきまりがある。

 今ではおそらく敬称付きで「レディー・マリコ・フォン・シュトックハウゼン」と呼ばれているはずの母。こうして大人になってから顧みても、ヤヨイの母は飛び切りのいい女であったことは誰に対しても請け合える。

 今ごろは、他の多くの「国母貴族」の女たちと同じように、12人の子供を無事養育し社会に送り出した功績に対する皇帝からの莫大な下賜金を持参金にして、どこかのいい男の許で悠々自適の余生を送っている、かもしれない。


 母は今、どこでどうしているのだろう。


 お母さん・・・。


 ヤヨイと同じ「国母貴族」を母に持つ「貴族の子」ならだれもが、いつも、等しく思う感慨に、その夜も、耽った。




 起床ラッパで目覚めた。

 いち早くベッドを抜け出し、野外訓練用のブーツを履き、

「朝よ! みんな起きて!」

 声掛けをして宿舎を飛び出して訓練場に出、すでにバインダーを持って立っていた鬼のような「クラス担任」、アルテンブルク伍長の前に整列し、なかなか起きてこない訓練生を呼びに宿舎に戻らされて彼女を叩き起こして再び訓練場に戻り、隊列を組んで訓練所を出、白い壁の周りを何周も走らされ、するとやっぱり落伍者は出て彼女や彼を励ましてなんとかランニングを終え、シャワーを浴びて訓練着を着替え、朝食を摂り、座学第一時間目の銃器講習の席に着いた途端、睡魔に襲われた。

「ヴァインライヒ訓練生! 今の説明を聞いていたか?」

 クラス担任ではない、別の下士官の声で我に返り、

「申し訳ありません! 聞いていませんでした!」

 貸与された銃を持ったまま、謝る羽目になった。

「では眠気覚ましにずっと立っていろ。もう一度説明してやる」

 また、やっちまった・・・。

 思わず肩を竦めた。

「今、お前たちが手にしているのは我が陸軍の歩兵用正式銃「二式アサルトライフル」だ。

 ボルトアクション式で、弾はこのように5連になっている。それを装填し、槓桿を引き、初弾を銃身に送り込み、引き金を引く。発射後は再び槓桿を引き、次弾を・・・」

 すると、不意に教室のドアが開いた。

「軍曹、授業中申し訳ない。ヴァインライヒ訓練生は居るか?」

 昨日、ギムナジウムで訓示をしていたプロホノフ曹長が現れた。彼はこのヤヨイの期の責任者なのかもしれない。

「そこに立っている者がそうです」

 銃器担当の講師である軍曹が答えた。

「ヴァインライヒ訓練生。ちょっと来い」

 え、マジ?

 わたし、なんかやらかしたかな。

 背筋を冷たい汗が流れた。

 マッチョの曹長に連行されるようにして、ヤヨイは教室を出、いや~な雰囲気を抱えつつ、ついて行った。

 


 浅黒い肌の色。真っ白なトーガに身を包んだ、鋭利な刃物のような雰囲気を漂わせた長身の精悍な壮年の男だった。

 ヤヨイが彼、ウリル少将に会ったのは、徴兵されて間もない、新兵訓練所の全面真っ白な壁に囲まれたアトリウムの噴水のベンチで、だった。

「ヤヨイ・ヴァインライヒ、だね?」

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