優しい狩人 【軍神マルスの娘と呼ばれた女 1】 ~第十三軍団第七旅団第三十八連隊独立偵察大隊第二中隊レオン小隊~

美作 桂

第1話 01 ヤヨイ、徴兵される

 ユーラシア。


 かつて、そんなふうに呼ばれていた広大な大陸があったことを、人々は掘り出した遺跡から知った。


 そこに棲んでいた者達が強大な騎馬軍団を持ち、広大な大陸をあまねく征服し、支配したことも知った。


 だが、いつしか彼らが消え去り、悠久の時が流れた。


 人々は、彼らの先祖たちが「ヨーロッパ」と呼ばれる土地に現れ、そこに棲み始め、天のあまねく星々にまで舟を出せるほどの高度な技を持っていたことも、知った。


 だが、ある日、天地が鳴き、震え、太陽がそれまでとは別の方角から上り、それまでとは別の方角に沈むようになり、強大な力を持ちながらいつしか消え去ったいにしえの騎馬軍団のように、多くの先祖たちとその技もまた、滅び去ったことも、知った。今、かつての先祖たちの土地は、はるか北の、冷たい雪と厚い氷に閉ざされてしまったのも知った。


 酷寒の故郷から逃れた、わずかな祖先たちが、馬や羊を追ってこの草原の地に移り住んだことも知ったし、祖先たちがその草原の七つの丘のある地に自分たちの国を作ったことも、それから千年近い時が流れたことも、知った。


 人々は、帝国を作った。


 帝国は、周りのまつろわぬ国や民と、日々、戦っていた。








 ドドドドドドドドドッ!

 黎明の帝都を、時ならぬ馬蹄の響きが襲った。

 寝ぼけまなこを擦りつつ、起き出した人々が石畳の街路に出てみると、鉄のヘルメットとカーキ色の軍服に身を包んだ大勢の騎兵が商店が軒を連ねるあたりを震わせながら疾駆してゆく風圧を浴び、尻もちを搗きそうになった。

「なんだなんだ?」

「いったい、何事だ!」

「あれは、憲兵隊だ!」

 憲兵隊が差し向けた騎兵の部隊は、帝都の中心を取り巻く七つの丘の一角、丘と丘の間に挟まれた平民たちの住居がひしめく一帯を遠巻きに包囲した。

 灰色の樫の葉を模した階級章を付けた士官が、傍らのアザミを模した階級章の下士官に顎をしゃくった。

 憲兵隊の軍曹は、大きく息を吸い込み、早朝のまだ薄暗い家並みの奥に響き渡るほどの大声で、叫んだ。

「ジャック・リッパー! 貴様は包囲されている! もうどこへも逃げられん! 大人しく手を挙げて出てこい!」

 し~ん・・・。

 周囲の家々からも朝っぱらから何事が起ったのかといぶかる人々が続々と顔を出してきた。

「もう一度言う! 今から10数える! その内に出てこい! さもなくば、一斉射撃を浴びせる! 10! 9!・・・。

 だが、軍曹が10を数え終わることはなかった。

「おい、お前らっ! 愚かな犬どもめっ! よく聞けっ!」

 包囲した一角の中ほどにある粗末な家から悲痛な叫びが響いた。

「我らの高邁なる意思は、誰にも折られることはないし誰にも妨げられはしないっ!

 今に見ろっ! 正義のいかずちがお前らの上に落ちるぞ!

 雷神トールはお前たち愚かな犬どもに怒りの鉄槌を下すであろうっ!

 我はそのさきがけとなり、甘んじて散る!

 皇帝陛下に幸多からんことをっ! 帝国に、栄光あれっ! 」


 一瞬の後。


 ドッ、グワーーンッ!

 眩い閃光と耳をつんざくほどの大音響、都心全体を震わすほどの大爆発が、早朝の帝都を襲った。

 凄まじい爆風が周囲の家々を薙ぎ倒し、包囲した憲兵隊と馬たち、そしてやじ馬達を吹き飛ばし、石畳に叩きつけ、しばし彼らの聴覚を奪った。爆発に続いて紅蓮の炎が一気に燃え上がり、周囲の家々を呑み込みはじめた。

「た、たいへんだあああっ!」

「火事だああああっ!」

「火を消せっ、早くっ!」

 住民たちはもとより、下手人を包囲して逮捕するはずだった憲兵隊も、皆誰も彼もが最寄りの防火用水の桝に駆け寄り、木桶を手にして水を汲み、火事を消さねばならなかった。

 帝都では火事を起こすのは、放火はもちろん、たとえそれが過失だとしても重罪になる。。

 都心を取り囲む7つの丘のうち神々に捧げたカピトリーノの丘を除く6つの丘。その上に立ち並ぶ貴族たちの邸宅は高台の上にほとんどが石作りだからいい。だが、丘と丘の間に犇めくようにして建っている平民たちの家々は壁はレンガや石造りだが屋根や梁に木が多く使われている。故に、火事になると瞬く間に燃える。しかも帝都は年中乾燥していて風がある。あっという間に燃え広がった火が大火事となり、過去数百年の間に何度も帝都の少なくない部分が焼失した。

 故に、イザ「火事!」ともなれば、平民貴族、市民軍人の別なく、帝都の者総出で火消しにかかるのが習わし、というより義務であった。

 憲兵隊の中尉は蒼白になった。

 容疑者を拘束できなかったばかりか、火事まで起こしたとあっては責任問題は免れない。

 本来、この大事態を収拾し、追い詰めた容疑者を確保せねばならない立場にある中尉は、むしろ自分のこれからの運命を思うのに忙しかった。そして、祈った。

 もし左遷されるとしても、どうか北の軍団には送られませんように、と。

 




 黎明の帝都を突然襲った大爆発は、そこからほどもない都心の官庁街にも響いた。

 黒御影石造りの重厚な官庁街の建物群はもちろん、そこに隣接する、帝国唯一の総合大学であるバカロレアのキャンパスにも、それは聞こえた。

 だが、理学部電気学科の研究室で、机ほどもある大きなオシロスコープに見入り続けているブルネットの少女の耳には、届かなかった。

 華奢な体躯の割に、人好きのするやや丸い顔。そして、大きな碧眼を持つ美少女。

 肩までのブルネットは無造作に束ねられ、時折白い手を伸ばしては、ハンダゴテの隣に置いてある食べかけのブロットビュルスト(ソーセージパン)を頬張り、生温くなったレモネードとコーヒーを交互に飲む間も、目はひとときも画面から離さない。寝不足のせいか、目の下にはうっすらとクマさえ出来ていた。

 研究室には、というよりも、この大学にこれ一台しかない、高価で貴重な機械。このバカロレア全ての先生や職員全員の俸給を合わせたののさらに数倍は高額な値のするものだと聞いたことがある。

 このオシロスコープ購入のお陰で、その年の理学部の他の学科だけでなく、文系も含めた全ての学部が購入品を制限させられたという。電気学科のボーア先生や助教授助手たちが、大学中の先生や院生たちから恨まれたとも聞いた。

 だが、そんなことも今はどうでもいい。

 昨日の夕方からもう一晩中、少女はこの機械にかかりきりでいた。

 とにかく、急がねばならなかった。

 朝が来れば別のテーマを抱えた研究員にこの貴重な機械を明け渡さねばならない。昼間は昼間でまた別の研究員が使っていた。順番ではあるのだが、大学院に入って間もない、新米の研究員だから、使用時間がどうしても分の悪い深夜に割り当てられてしまう。

 微妙に震える波形の示す数値を読み、短くなったエンピツでノートに書きとり、ツマミを操作しまた書き取るのに忙し過ぎ、夜が明けたのも、突然研究室のドアが開いて同じ院生の先輩が駆け込んできたのにもまったく、気が付かなかった。

「ヤ、ヤヨイっ! だっ、だっ、大ニュースだっ!」

 珍しい、高価な丸いメガネをかけた金髪の男子は、肩で息をしながら、焦り気味にドモりつつ、まくし立てた。

「さっきの爆発、聴いたか? 反逆者の一味がさ、憲兵隊に追い詰められて捕まる寸前に自爆したってさ!」

「・・・へえ」

「アヴェンティノスとチュリオの間の一帯は大火事だって! 」

「・・・ふ~ん」

「驚かないのか! すぐそこで大事件が起こってんだぞ!」

「そんなことどうでもいいわ、ミック。わたしには、この電位変化を記録する方が大事なのっ!

 急がないと、朝になっちゃううううっ! ああ~ん、もうっ!」

 美少女はなかなかはかどらない仕事にイラつき、バタバタと足踏みしてクマの出来た瞳を吊り上げ、勘筋をピクピクさせた。せっかくのブルネットの美少女も、こうなってはだいなしだった。

「もう、朝なんだけどね」

「ええっ? うっそーんっ! ああ~ん、もうっ!」

 すると、出し抜けに、またドアが開いた。

「理学部電波工学科院生のヴァインライヒはいるか?」

 入って来たのはカーキ色の軍服に身を包んだ、マッチョな男の下士官だった。

 大学という「象牙の塔」に全く不似合いな、軍隊。

 さすがの図太いヤヨイも初めて会う軍人の闖入には研究どころではなく、驚いて振り返り、

「・・・はい。わたし、ですが・・・」

 席を立った。

「ヤヨイ・ヴァインライヒ。陸軍省からの通達がある」

 改めてヤヨイの名前を確認したその短い黒髪、ゴツい顔の下士官は、一通の封筒を彼女に差しだした。

「おめでとう! その通達に記載されている日に新兵訓練所に出頭せよ。以上だ」

 それだけ言うと下士官は出ていった。

 こんなところでモタモタしてなどいられない。他にも寄らねばならないところがたくさんあるのだ!

 そんなコトを言いたげな、気忙しそうな雰囲気を残して。

 下士官が行ってしまい、傍に立っていたミヒャエルと顔を見合わせた。彼は両の手のひらを上に挙げ、肩を竦めた。

 封筒を開いた。中に一通の赤い紙が入っていた。紙の上には帝国のワシの紋章が描かれてあった。

 ミヒャエルが、同情するようにポン、とヤヨイの肩に手を置いた。

「まあ、仕方ないよ。帝国臣民の、ギムだから」

 彼は素っ気なく言った。

「ま、テキトーに大人しくしてれば帝都周辺の近衛かヒマな東の軍団に配属になるよ。そこでテキトーに2年ガマンすれば、またここに戻れる。ぼくも行ったし、アンだって行ったしね。」

「でも・・・。せっかくここまで漕ぎつけたのにィ・・・」

「大丈夫。きみのデータはぼくが受け継いで立派に論文にしてあげるからさ」

 落ちて来たメガネを人差し指でズリ上げながら、ミックは微笑んだ。

「そんな! それ、わたしが書くはずだったのに! 」

「でも、仕方ないだろ。徴兵なんだから」

 悪気はないのはわかる。でも、ものには言い様というものがあるはずだ。

「ま、軍隊も慣れればそれなりに気楽なところさ。毎日言われた通りのコトさえしてりゃ、それでいいんだから。気をラクにして、行ってきなよ」

「・・・ジミに、ムカつくわ」

 改めて壁のカレンダーを見た。

 今日は3月15日。

 やっと、思い出した。

 今日、ヤヨイは、20歳になっていた。

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