第16話 あなたのおかげだから
その日。隠れ家にはクキとレインの2人だけがいた。
レインはいつも通り本を山積みにして勉強しているが、どこかうわの空だ。
「ヒスイくん達が気になる?」
本を捲る手が完全に止まってしまっているレインに、クキがお茶を持ってきた。
「ありがとう。………みんな一生懸命がんばってきたから、成功してほしいね」
クキはレインの横に座ってお茶を一口飲む。
「大丈夫。あのヒスイくんがいるんだよ。俺、ヒスイくんがやると言ってできなかったこと見たことないもん」
なぜかクキが自慢げなのがおかしくて、レインの心配はどこかへ行ってしまった。
ルリの演説は成功した。
その場に集まっていなかった人達にもすぐに情報は伝わり、ヤドと地上のことは多くの人の知るところとなった。
戸惑い。隠されていたことへの怒り。未知の世界への恐れ。もちろん混乱は起きたが、貴族達の真摯な対応や軍による治安維持で、少しずつ世界は落ち着きを取り戻した。
ヤドの代わりに機械に繋がれるのは、貴族や教会、軍の人間がまずは行うことで民衆の信頼を得たいと話をしてある。
そして、話が出てからおよそ1年。
やっとナズを解放する日がやってきた。
コードだらけの薄暗い部屋に、奇妙な機械が置かれている。部屋のほとんどを埋め尽くすその機械の前に、ヒスイは立っていた。
機械の中心部にはちょうど人1人が入るような扉がある。この中にナズはいるのだとアサギが教えてくれた。
「まずはナズ君を機械から切り離します。ヒスイ君達はすぐに別室にナズ君を連れて行ってください。僕達はそのまま最初の10人を繋ぐ準備に入ります」
技術者達は緊張している。繋がれる10人は貴族から立候補があった。ルリやサリも立候補していたが、お前達はまだやる事があるだろうと周りに止められた。
「開きます」
アサギが扉を開く。
その中には7年前と全く変わらない姿のナズが、たくさんのコードに繋がれてイスに座っていた。
「………ナズ」
ヒスイの呟きと同時に、技術者達が手早く繋がれたコードを外していく。
ナズは用意していたタンカに乗せられ、トーカとロウによって別室へと運ばれた。
別室でベッドに寝かされたナズは、死んでいるようにピクリとも動かない。
「呼吸、異常なし。心拍、異常なし」
待機していたサリが素早く医療機器にナズを繋ぎ、異常がないか調べていく。
「体に異常はありませんね」
「じゃあ、このまま待てば目を覚ますのか」
「それは……わかりません。8年も機械に繋がれていたのですから、体にどんな影響がでているか」
ヒスイの縋りつくような質問に、サリが苦しそうに答える。
「……そんな。せっかく解放されたのに」
全員を沈黙が襲う。
みんなの絶望など知らぬ様に、ナズの瞼は閉ざされたままだった。
ナズを助け出してから何時間経ったのか。代わりの10人を繋ぐのがひと段落したと、アサギが様子を見にきた。
「ナズさんはどうですか?」
「………体に異常はないんですが、意識が戻りません」
サリの苦しげな声に、アサギも黙ってしまう。
「………感覚の共有」
ヒスイが何か思いついたのか、呟いた。
「俺がナズと感覚を繋いで、意識を取り戻すことはできないかな」
「え?う〜ん。できないことはないと思いますが……」
ヒスイの提案に戸惑いながらサリが答えようとした。だが……
「ダメだ」
トーカが強い否定の言葉を放った。
「なんでだよ!可能性があるなら試した方がいいだろ!」
「ダメだ!もう二度とするなとシムトに言われただろ!ただでさえ毎回倒れてるのに、意識が戻らなかったらどうするんだ!」
トーカは一向に譲らない。ナズの解放から時間が経っていることもあり、ヒスイは焦っていた。
「もういい!勝手にやる!」
無理矢理ナズに向かおうとするヒスイの肩をトーカが掴む。振り払おうとしてヒスイの動きが止まった。トーカの手が震えているのに気づいたらからだ。
「……お前まで……お前まで失ったら、俺はどうしたらいいんだ……」
トーカの目に涙が浮かんでいる。
ほとんど見たことのないトーカの涙に、ヒスイは動けなくなってしまった。
「もうこれ以上……俺から家族を奪わないでくれ……」
絞り出すような声だった。辛くて、苦しくて、悲しみの溢れ出した。
ヒスイは肩にのったトーカの手をそっと握る。
「トーカ。大丈夫。俺は大丈夫だから」
手を握ってトーカと正面から向き合う。
安心させるように、ゆっくり語りかける。
「今ナズを助けなかったら、一生後悔すると思う。だからお願いだ。行かせてくれ」
強い意志を秘めた瞳。ああ、そうだ。この瞳をずっと見守っていこうと決めたんだった。
トーカは覚悟を決めた。
「仕方ないね。お前は言い出したら聞かないんだから」
「今更だろ」
ニッと笑うヒスイにトーカは「そうだな」と苦笑しながら頷いた。
暗い暗い空間を進む。気を抜けば上も下も何もわからなくなりそうだ。
どうすれば感覚の共有ができるのかわからなかったヒスイは、ひとまずナズの手を握り「ナズ、お前の心に入れてくれ」と念じた。
次の瞬間、スッと意識が遠のく感覚があり、気づくとこの空間にいた。
「ナズ!ナズ、どこだ!返事をしてくれ!」
声を張り上げてナズを呼ぶが返事はない。
仕方なく闇雲に歩き続けるヒスイの足に、カチャリと何かが当たった。
「なんだこれ。鎖………?」
一本の鎖が奥のほうから伸びている。他に手掛かりもないしとヒスイは鎖を辿って歩き出した。
「………ナズ………」
歩いた先には、座り込んだまま鎖で雁字搦めになったナズがいた。
ヒスイは駆け寄って鎖を外そうとする。
「ナズ!クソ!なんなんだよ、これ」
「……バカだな。なんで来たんだよ」
ナズは全てを諦めたような様子で呟く。
「なんでって。助けに来たんだよ!一緒にここを出よう!」
鎖は不思議な力で巻き付いていて全く外れない。引っ張ろうとするヒスイの指に血が滲んだ。
「やめろ。血が出てるじゃないか。俺はここから出られない。お前も出られなくなる前に、早く逃げろ」
ナズは助け出すのを諦めさせようとするが、ヒスイは一向に手を止めない。
「イヤだ!お前も一緒じゃないと帰らない!」
「………なんでそこまで………」
全く顔を上げなかったナズがヒスイのほうを向く。そこには自分を助けるために必死に闘う姿があった。
「お前に、お前が守った世界を見て欲しいんだ!誰かと食べる食事のあったかさも!くだらない事で笑いあう楽しさも!この人に会えて良かったと思う喜びも!全部全部!お前がこの世界を守ってくれたおかげだから!」
ナズの顔が苦しみに歪む。
「……ダメなんだ………俺は……俺だけが助かるなんてできない………みんな………みんな助かりたかったはずなのに………」
ナズの目から一筋の涙が溢れた瞬間、鎖がカチャリと音を立てた。血だらけのヒスイの手に、誰かの手が重ねられる。
「………え?」
ヒスイの隣に知らない少年がいた。
少年はヒスイの手を優しく鎖から離すと、ヒスイが握っていた鎖をあっさりと解いてしまった。
「何言ってるんだよ。俺たちはそんなこと望んでない」
その少年が消えたかと思えば、今度は少女が現れて鎖を解いていく。
「あなたが言ったんでしょ。終わりにして欲しいって。なら、あなたは助からないと」
次から次へと少年少女が現れて、鎖を解いていく。
「僕たちが守った世界を見てきてよ」
「それが私たちの願いよ」
「ほら、早く立ち上がって」
全ての鎖が解かれた時、1人の少女が現れてヒスイの手を取った。その手をナズの手に合わせる。ナズが驚いて少女の名を呼んだ。
「………ナノカ……」
ヒスイは驚いて少女を見る。
『この人が……トーカの……』
「ヤドを終わらせてくれてありがとう。ヒスイくん、ナズをお願いね」
ヒスイは強く頷き、自由になったナズの手を掴んで立ち上がる。
その姿を見てナノカは満足そうに「さあ、行って」と2人の背を押した。
歩き出した背中に声がかけられる。
「兄さんに伝えて。もう苦しまないでって。ありがとうって」
優しく笑う顔は、トーカによく似ていた。
「……スイ!ヒスイ!」
トーカの声に目を覚ます。
指に刺すような痛みを感じて、急激に意識が浮上する。
「……いった〜」
指を見ると血が滲んでいた。
「はぁ〜。急に指から血が出るし、もう何が何だか心配したよ」
床に座るヒスイを抱えて支えながら、トーカが安堵の息を吐いた。
「ナズ!ナズは!」
先程までのことを思い出して、ヒスイがナズの姿を探す。
「ナズならあそこにいるよ」
トーカの指差す方を見ると、ナズはこの部屋に来てすぐに寝かされたままの姿でいた。
ただ、目は開いてヒスイの方を見ている。
「ナズ……良かった……」
力が抜けて近づけないヒスイに、ナズは掠れた声で囁いた。
「……ありがとう」
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