第4話 関わりの話
人は、一人では生きていけない。
みなさんも、一度は耳にしたことがあるだろう。
もちろん私も、一人で生きてはいない。
ただ、私がこれまで生きてきて、今更ながらに痛感していることが、他者との関わりが下手くそだということだ。
そもそも、私自身、私との関わり方が分からず、持て余しているからだと思う。
私が一番ひどい時は、妻も私との関わり方が分からないという。
「放っておいて」
口では言うのだが、いざ、放っておかれると堪らなく寂しくて、そんな自分が大嫌いで、だけど、どうしようもなくて。
それが悔しい。
自分を持て余している人間が、誰かと上手く関わることの方が難しいのかもしれない。だけど、諦められない。
誰かと楽しく関わることが嬉しくて、尊いことだということを知っているから。
そういう優しさを多くの方から貰ってきたから。
人に傷付けられ、人に癒される。
その繰り返しで今がある。
自分も誰かをたくさん、たくさん傷付けてきたことだろう。
だけれど、同じだけ誰かを癒せていたのなら…
もう少しだけ、自分を好きになれるのかな?
そんなことを夢想する。
身に余る大言だとしても、きっとそうに違いないと心が言う。
人は、人との関りの中で、自分を形作っていく。私も多くの方との関りの中で、自分を確立してきたのだろう。いや、まだまだ途上か。
人との関りで形成されるものと言えば、社会が挙げられる。
人と人との関りの中で社会は形成され、成熟していく。過去、振り返ってみれば人は斯くも盛大に失敗を繰り返してきた。そして、その失敗から多くの事を学んできたのだ。
現在進行形で失敗していることもあるが、成功していることもたくさんある。
これまで、方向性を決めず、現在地のみを鑑みて方針を決めていたが、それではいけないと学んだ。だから、これからを見据えて方針を決めていくことが求められている。
社会で今、頻繁に叫ばれているキーワードに、多様性がある。
自然界にも、種によった多様性があるだろうが、ヒトほど、多様性に満ちている一種族は地球上にはいないと思う。
こうして、自分が考えていることのアウトプットが出来るのも私がヒトであるからだ。
ヒトであることに意味は見いだせないが、何かを為したいとは思う。そんな何かがこうして文章を書かせているのかもしれない。
多様な考え方、感じ方を認め合い、争いのない世界の実現はあるのだろうか?
今は未だ、その予兆すら感じられない。
今日もどこかで人が人を殺しているのだ。
SNSを見ているだけでも、批判と中傷が混在している。
批判とは、良い所、悪い所をはっきり見分け、評価・判定すること。
中傷とは、根拠のないことを言い、他人の名誉を傷つけること。
どちらにも否定の意味合いが込められているが、認め合いを前提に置いた時、批判を行いより良いアイディアを生み出すのならまだしも、中傷は在ってはならないように思う。
私にとって、人との関りの中で、一番怖いのは嫌われること。
己の考え方、やり方を否定されることは、特段気にならない。批判は甘んじて受け、中傷には人並みに傷付くだろう。
考え方の合わない人と手を取り合おうとは言わない。ただ、そこにいることは認め合えないかな。
自分だけでできることには限界があり、多くの方の助けを借りなければ自分の理想とする社会は訪れない。
憲法の言葉を借りれば、人は誰しも幸福になる権利を持つ。自分の幸福が、他者の幸福につながることを祈るばかりだ。
私のこの考え方も認められて良いのだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます