第3話 重荷の話
私が持つ、何よりも重い荷物を紹介させて欲しい。
先ずは、なんといっても無気力となる。文字通り、気力が無くなるのだ。バッテリーが劣化して充電がすぐになくなるスマホのようなものと言えば、想像しやすいだろうか。
気力がなくなるとどうなるのかと言えば、生きていたくなくなる。
死ぬ気もないし、死ぬ気力すらも湧かないが、ただ呼吸をし、二酸化炭素を吐き出すマシーンと化す。環境を破壊するしかないダメな人間以下に成り下がる。と、思い込む。
例えば、こうして文章を打つことなど、昨日まで当たり前にできていたことが、突然できなくなってしまう。そんな自分がイヤでイヤで仕方がなく、消えていなくなれば楽になれると、そればかりを考えてしまうようになる。
希死念慮。
キシさんとでも呼ぼうか。
普通に生活していれば馴染みのない言葉なのだろうが、精神疾患を患ったことがある方やそれに携わる方には、馴染みのある言葉だろう。
調子が良い時は全く思わないが、私の根底にはキシさんがいつもいる。
消えてなくなれば楽になれるのかな。
こんなに重い荷物を持たなくて済むのかな。
そういった思考が、グルグルと
出口の見えないトンネルの中にいるような心持ちになる。
暗く寂しいトンネルの中で、自分を傷付けてしまう人がいる。買い物やギャンブルでアドレナリンを無理にでも出し、考えないようにする人々が一定数存在するのだ。
しかし、私もキシさんとは長い付き合いだ。ある程度の付き合い方を身に付けている。
私に、一番効果的なキシさんとの付き合い方は、寝ることである。一日の大半を寝て過ごす。良くもこんなに寝られるものだと自分でも不思議に思うくらいに寝る。
残念ながら劣化したバッテリーを交換することは適わないが、寝ることでほんの少し充電されるのだ。また、寝ていられさえすれば余分なことを思考しなくても済む。まさに、一挙両得、一石二鳥である。しかし、当然だが社会活動は制限される。
さて、障害=重荷という話を前回したので、私の重荷を紹介させていただいた。
重荷の正体は、突き詰めていけばキシさんである。彼さえいなければ、できることは格段に広がる。しかしながら、生きることって、こんなに大変で幸福なのだと知る機会を得られたことだけは、彼に感謝しても良いかもしれない。
そして、私は幸運にも、妻と、福祉サービスに出会うことが出来た。それらが、私の持つ重荷を全部ではないが、少しだけ一緒に持ってくれることで、私は私として存在することが出来ている。あとは、私自身の精神的な体力(知覚という)を鍛えることが出来たなら、若しくは、この重荷をほんの少しでも誰かに共有できたなら、もう少しだけ生き辛さを軽減できるのかもしれないと思う次第である。
社会は支え合わなければ成り立たない。しかし、経済は奪い合いだ。
このジレンマが、社会が抱える重荷なのかもしれないなぁと、思ったりもする。
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