第2話 障害の話

 世の中には様々な障害がある。


 例えば、交通障害。事故や部品の故障などの様々な原因によってダイヤに乱れが生じ、日常の運行が妨げられる状態。


 近年、取り上げられることの多い、システム障害なども障害の一種だろう。銀行や店のシステムに障害が生じ、通常のサービスが受けられず困ったことはないだろうか?


 地震などといった自然災害も障害になる。


 こういった、という言葉には、己の生活に悪影響を及ぼすものというイメージをお持ちではないだろうか。


 一口に障害といっても多岐にわたる。


 そんな中で、人に起こり得る障害として定義されている物は大きく4つ。


 身体障害、知的障害、精神障害、発達障害だ。


 私が大嫌いな言葉の一つに『』という言葉がある。


 皆さんが、障害者と聞いてイメージするのは、どんなものだろうか?


 先にも述べた通り、社会に悪影響を与える『障害しょうがい』をもつ『もの』というイメージを持たれる方も多いのではなかろうか?


 実際には、違うと断言できる。


 なぜか?


 当事者だからだ。


 障害者とは、日常生活を営む上で、にぶつかり易いなのだ。


 私が約20年の間、精神障害を抱えながら、障害のある当時者と関わって生きてきた中で培った持論の一つに、「障害を持ちたくて持つ者は一人もいない」という物がある。

 誰もが障害のない暮らしに憧れるが、障害は外部からやってきて持たざるを得ない状態に陥る。


 私のもつ障害のイメージは、強制的に背負わされる重荷だ。


 10kgくらいの荷物を背負いながら日常生活を送ることを想像してみて欲しい。


 当然、中には、それに耐えられ、苦にしない強い人もいるだろう。そして、それに耐えられず腰やヒザなどを痛め、普段できていたことが出来なくなる弱い人もいるはずだ。


 私は、そういう重荷を強制的に背負わされ、それに耐えられなかった人々を障害を持つ当事者と呼ぶ。


 障害は、様々な形で人々の行く手を阻む。


 自動車を例に話してみよう。


 運転される方は承知だろうが、自動車には様々な部品が使われている。しかし、日常で運転をしていて、その部品たちに注意が向くことは少ないだろう。


 シフトレバーをドライブに入れ、アクセルを踏めば進み、ブレーキを踏めば止まり、ハンドルを切れば曲がる。大体の人はそれらの動作が正常に行えていれば、問題なく自動車が動いていると認識していることだろう。


 車に少し詳しい方は、適切な走行距離や期間でオイル交換などを行い、メンテナンスを怠らない。そうすることで長く、安全にその車を使用できることを知っているからだ。


 また、道交法では、自分が運転する車両の整備(確認)は、運転者が責任を持って行わなければならないことと定義されている。


 たまに、ブレーキランプの切れた車両を街で見かける。


 たかがブレーキランプとお思いかもしれないが、自分の車がブレーキをかけていることを後続車にきちんと伝えられなければ、それはすなわち事故につながる。しかし、ブレーキランプが切れていることに気付けない人は多い。


 それは、なぜか?


 見えないからだ。


 自分がブレーキを踏んでいるときにブレーキランプが点灯しているかどうかが分からないから、気付けない。気付けないから問題を放置してしまう。


 このように、見えない部分の問題を正しく認識することは、非常に困難であり、放置されてしまう傾向にある。


 この問題の解決方法を一つを例に挙げるならば、スピードメーターにブレーキランプにちゃんと通電されていないことを明示できれば、そういった整備不良が減ることだろう。


 障害についても似た側面を持つ。人は、見えないもの、認識できないものについては、そもそも障害と思わず、スルーしてしまうものなのだ。

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