奇妙な夫婦(2)
では、あなたの<過去世>を<視て>みましょう…あなたが生まれる一つ前は…フランスの軍人ですね。イスラエルの建国に関心があり、その目で現場を見ました…最期に砂漠で死んだ…あなた、気管支が悪いでしょう? はあ、気管支というより、子どものころは風邪で扁桃腺が腫れて大変でした。いまはもう平気ですが。私は心のなかで、ちょっと外れ、と小躍りした。もう大丈夫です、砂漠のような大気が乾燥した地域でも体調が崩れることはないでしょう…では、もっともっと先の、あなたの魂が初めて地球へ訪れてきたのは…ああ、あなたは諦めやすい人のようですね。
諦めやすい? 結論から先に言われても全然ぴんとこない。悪く言えば物事に飽きっぽい、良く言えば執着がない。だってあなたは、地球に初めて降りた日に、宇宙船全員の死体を見たんだから。
なんだか話がSFっぽくなってきた。私が初めて地球へ訪れたのは、宇宙船の乗組員だった。…パイロットじゃないわ、それには冒険心が足りてないもの…。私は多少ムッとしたが、冒険心とはどのような心の持ちかたなのかよく把握していなかった。しかし、私が大勢を先導するには人々がまったくついてこず、そういう人間的魅力も、人たらし能力もない。一時期、とある組織の会計や雑務をしたことがあるが、どれも人がやりたがらない仕事だった。ある意味、当たっている。
乗組員は、乗客が到着するまでの食料や医薬品、衣料品、雑貨を計算したり、温度湿度を調節したり、常に乗客の健康状態や精神状態を配慮するサービス・クルーだった。その宇宙船は、とある星の人口が過剰になり、どこか別の星に移民するため船で移動した。だが、宇宙船が地球に接近した途端、渡航する計器が地場で狂い、宇宙船は地球にどんどん近づいた。当時の地球は、いまでいうバミューダ海域のようなものである。乗組員は全員顔色が青くなった。
そのとき宇宙船は、地球へ行く以外の燃料が不足していた。もしこのまま軌道が外れても、他にどの星へも到着する燃料がない。しかたなく地球への着陸を目指すが、地球には乗客が生き延びるための成分はなかった。これでは乗客が着陸した途端に全員死んでしまう。それくらい当時の地球は、恐れられたのだ。
乗組員たちは、乗客に安楽死の判断をしてもらう。全員が、死を選んでいた。一人ずつ安楽死の薬を配布し、地球へ到着したときにはもう、乗客はみな死んでいた。
乗組員たちは死ぬわけにいかなかった。乗客の遺体を見届け、確認し、記録し、処理しなければならない。それが仕事、任務だから。
ひとり残らず土に埋めて任務が完了したとき、あなたが見上げたのは、真っ赤な夕陽だった。だから、あなたが何かを始めようとしたとき、あなたは最初から冷めている、諦めているのよ。
確かに、朝陽より夕陽のほうがよく見るし、子どものころによく見かけた、水平線を渡る二両編成の小さな汽車が遠くに走っていて、その背景には、真っ赤な夕陽が空に広がっていた。その風景を私はすぐ思い出した。夕陽は私には魅力的に映り、印象に残る。それは私が最初から諦めているわけではない。でも私は、Nの言ったことを、直接言葉でも言わず、心のなかでも否定はしなかった。
それからどうなったんでしょうか、と私は尋ねた。いくら仕事とはいえ、乗組員も乗客も同じ星の人たちだったわけで、そんなに生き延びられるはずもないと思ったから。
あなたは乗組員のなかで一番生き残りました。最後のひとりになっても、ここに自分たちがいたことを記録し、誰かに読まれるまで書き続けました。
おや? それは諦めていることにはならないのでは? Nは私をそそのかして最後まで本を完成させてやろうと思っているのでは? ま、いいや。ここで<Nが視た私の過去世のストーリー>の矛盾を突いても仕方がないし、もし、ここのログハウスや、N、Nの夫、<治療>のすべてを疑ってしまうと、そもそも本は成立しない。私の仕事の前提は、取材対象を受け入れることである。もちろん私にも矛盾点はいくつもある。愛しているのに憎んだり、気になってるのにわざと避けたり、明日死ぬために今日を生きるのだ。二つの相反する価値観、両義性は、誰の心にもあるだろう。私の<過去世>を、私を含めて誰も信じまいとかまわない。とにかくNは私の<過去世>を<視た>だけだ。そして私は淡々と記録し、処理し、編集し、出版しなければならない。これが仕事、任務だから。
Nは延々と話し続けた。わたしには神さまのバックがついている、創価学会の会員はみな死んで地獄に行く、わたしの<視る><過去世>はSF小説かとよく訊かれるが、わたしはSF小説が大好きである、SF小説の一部には、確かに真に迫ったものもある、わたしは絶対に株価の予想はしない、一度予想をしたら、そのときからわたしは誰かに狙われたから、いじめられている子は、生まれる国を間違えた、たとえば、前世は日本ではなくどこかのアジア、その子の前世の雰囲気で分かるからいじめる、ALS、筋ジス、パーキンソン病など、全身が動かせない人々がいるのは知っていますね? それらの難病に罹った人たちは、そろそろ魂の寿命である、精神病は現代の医学や科学では治せない、東大病院からわたしのところに来る患者さんはたくさんいる、学級崩壊が起こっているのはいまも昔も同じ。でもいまは不良やヤンキーの時代ではなく、ほとんどが注意欠陥多動児によって起こります、落ち着きがなく席を立ったり走ったり、時代は2000年を過ぎた、見えない戦争はもう終わった、その歪みがここへも来ているはず、急いでわたしのところへ来ないと全員ひどい目に遭うでしょう、急ぎなさい、急ぎなさい、地球ではなぜ男性が支配し女性が服従的なのか、そもそも地球での侵略法がそうなのだから仕方がない、原住民の男性は皆殺しにされ、女性は強姦されたから、地球は神さまが創った失敗作なのであり、神さまはその失敗作をクシャクシャッと丸めてポイ、と屑籠のようなところに捨てた、ところが、その地球の営みが始まったので、神さまは、始まったものは仕方がない、とサポートした。わたしだったら、地球は始末したかもしれない…。
Nは嬉々として話し続けた。私には判断がつかない支離滅裂な内容ばかりなので、本人たちの書籍原稿には省略しておいた。でも、この小説はあくまでも小説なので、載せてもいいと思う。もう20数年前のことだし、私の<過去世>は絶対に当たっていないと思うし。
もちろん、<治療>については詳細に取材したのだが、ここでは書かないことにした。シーツやバンダナを被ってみたが、私には何も感じない。まさかインチキか? と疑ったが、鈍感な私以外はみな効果があるようだ。治療費および鑑定料は1時間につき1万円。相場は決して高くない。むしろ良心的というか、金銭欲がないというか。
私の場合、取材とはいえサービス精神旺盛な<スタッフたち>に気管支の<治療>までしてもらった。取材を終えてペンションに戻り、夕食を食べ、そろそろ寝ようとしてバッグを開けると、いつものところに入れてある点鼻薬の蓋が全開で、液体が全部漏れていた。副鼻腔炎の私は、点鼻薬がないと夜、鼻が詰まって息苦しくて眠れない。恐怖でパニックになりそうだったが、その夜から数年間、点鼻薬は不要だと快調な鼻が教えてくれた。私が使用した点鼻薬は、中毒性の高い薬品だった。Nは「気管支」と言い間違えていたが、<スタッフたち>に<治療>されたのは「鼻」だった。信じても信じなくとも治るものは治るのである。
この奇妙な夫婦による本は無事に出版され、いまも私の棚にとってある。その後、直接私に「HPのコンテンツを制作してほしい」と夫からのメールがあり、HPのことはわからないので友人に相談すると、その友人が勝手に夫に電話して怒鳴られた、もうHPはやらない、と言われた。これはガードマン役の夫が判断したんだな、と私は思った。
この小説を書くにあたって、本人たちのHPはすでに消えていると確認した。もうこの内容は解禁らしい。Y県のログハウスもいまはもうない、と思う(確認したわけではないが)。実名で検索したら、「Nさん、どこにいますか?」「一時は海外に移住したと聞いたのですが、いまは日本のどこにいるのですか?」「探しています! 緊急です!」と、藁にもすがる気持ちで、現在もまだN夫婦を必死に探している人たちがいて、ちょっと怖かった。まるでオウム真理教の信者が殺到していて、組織のメンバーの数は膨大にふくれあがり、「船頭多くして舟山に登る」ごとく、オウムはさまざまな大事件を起こして消滅した。株価の予想は絶対にしないとNは言ったが、欲深い相談者たち、いや、魑魅魍魎に押されて、お人好しの<スタッフたち>がまた何かやらかしたのだろうか。こういう我執の強い人たちがいるから<神>も逃げるんだよ。わたしは『諦めやすい』性格で本当によかった。
取材当時は、予約相談者たちだけではなかったと、記憶を新たにして思う。何をしにきたのかわからない取り巻き連中もいた。あわよくばNの<治療>を受けようと思っているのかもしれないし、Nの知恵を借りて自分が霊能者になる、と金の意欲だけが高い<実業家>もいた。また、黙々とノートPCを打っている男性がいたと確かに記憶しているのだが、2000年当時には、まだノートPCやモバイルは一般には普及していなかったはずである。それは私の勘違いかもしれないが、妙に気になったのは以上である。
しかし、あれから20数年もたっているのに、「私が地球へ最初に来た過去世」にどんどん固執し続けている。自殺した母も、変死した作家KやアイドルFも、2023年ロンドン市警が「自然死」と公表したシンガーソングライターSも、生前には大して興味がなかったのだが、訃報を知ってから、彼女たちが生きた形跡に興味が湧いた(アイルランド在住のSは常に精神が不安定で、ときどき自殺未遂をしたから、おそらく自殺だろう)。あるいは、生から死へと変遷していく人の気持ちを、もっと知りたいと思った。あっちの世界とこっちの世界は隔たっているのに、その狭間にこだわり続けている。野辺送り、とでもいうのだろうか、それが私の<過去世>である。あるいは私の<業>なのだと思う。
2024年6月30日追記:
今日、偶然読んだ本に衝撃を受けたので、この文章を引用する。明治維新のとき、天理教の中山みきも大本教の出口ナオも宇宙大改革のリーダーだったし、あさま山山荘事件の永田洋子も文化大革命の江青も、祭りのように熱狂的に盛り上がり、最後に残った者には、呪われた札を貼り付けられたように罰が与えられた。
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「ナオの主張では、その性意識も含めた近代そのものが『男』、日本は『女』、それも『処女』として象徴されている。日本という『処女』が外敵によって蹂躙されている。こんなことを神が許すはずがない。そう言えば、フランスの少女ジャンヌ・ダルクも、同じように訴え、フランス王国の兵士たちをふるい立たせていた。
それにしても、自分の『国』に危機が迫ったとき、どうしてそこには、『暴力としての男』と『踏みにじられた女』というイメージが必ず働くのだろう。そして、『国』を救うため、どうして『女』たちが立ち上がることになるのだろう。やはり、そこには古代からの女のシャーマン性が集団的な記憶として蘇ってくるからなのだろうか」 (津島佑子『女という経験』)
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『幸福の科学』創始者・大川隆法も、『創価学会』第3代会長・池田大作も、宗教家ではなく実業家で、成功したビジネスマン、有名人であった。宗教家といえども所詮人間、所詮男だ。金も名声も欲望も煩悩も虚栄心も野望も十分にあるし、当然寿命もある。有名な宗教家や霊能者は法外な謝礼を払われるが、<本物>では絶対にない。<本物>の霊能者は無名であり、個人の女性であり、謙虚で素朴な田舎者であり、普通の人と大して変わらない。謝礼を払ってもたいていは拒否する。正業はほかにあるらしい。あのN夫婦はどうだったのだろうか。
奇妙なN夫婦はいまも海外にいる。<本物>は危険だから潜んでいる。下手したら殺される。金の亡者はどこまでも執拗に追いかけてくる。金の匂いに敏感な連中は、何を考えているのかさっぱりわからない。N夫婦はどうやって生活しているんだろうか。私はメールを書きかけるが、送ってもどうせ返事はないだろう。私は「諦めやすい」から、しかたがない。
それに私は、電動車椅子ユーザーの身体障害者になった。仕事が多忙すぎて睡眠不足になり、脳梗塞で倒れ、片麻痺と言語障害、高次脳機能障害になった。いまの私には書くことしかできない。歩くこともできないし、喋ることすらできない。しかたなく、私は作家になることを目指した。これで10年目だ。10年も作家目指して書き続けることは、執念そのものではないだろうか。それでも私は「諦めやすい」のだろうか。
もちろん私には、作家になる情熱はない。それでも書くのだ、永遠に書き続けるのだ。私の原動力が何なのか、私の書くエネルギーはどこから来るのか、それを知りたくて、ひたすら書き続けるのだ。
その姿が、20数年前のNには見えたのだろうか。
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