奇妙な夫婦(1)

 時は2000年。30歳の私は出版社勤務の経験もなく、怪しげな経歴のままフリーライターで独立する。契約をしたことになっている編プロも怪しいままだ。社長が無類の女好きで、若いインターンの女が従事すると速攻カマしてくる。既婚子持ちのくせに二股三股当たり前、そのことをお互いが知って修羅場になったり、恨みを延々と綴る怨念のファックスが夜中に送られてくることもあったらしいが、それでも社長は懲りない。つまり鈍感で無神経なのだ。

 私は私で、インタビューの書き起こしやリライトが忙しく、企画を立てる余裕もアイディアもヒントもない。企画をバンバン立てる同業者には「書けないライター」も多いと聞くが、私は部屋のなかにひとり籠って地味にパソコンと睨めっこしているほうが性に合っていい。企画書籍が一本校了すると、次の企画が持ち込まれる。出版社の編集者たちに挨拶して企画を通して予算をもらうのは、ある意味調子のいい営業みたいに思えて、私のなかの何かが消耗すると思う。私には向かない。

 その代わり、私は書くことが営業だと思っている。誤字脱字はもとより、知識が曖昧な事柄は図書館へ行き、専門業者や研究者を調べ、電話して徹底的に調査する。執筆兼校正で、〆切は絶対厳守。そういう地味な評判が出版業界で生まれないかと私は期待した。そのうち、〆切まで原稿が書けなくてライターがバッくれた、トンズラしたという企画の原稿サルベージ業者みたいな役に私がなり、恋人と同時に仕事も失って不幸のどん底みたいになったのは、また別のお話。


 あるとき私は、東京の自費出版社でオファーを受けた。ああ、きみかい、悪いんだけどねえ、Y県のKにちょっと行ってきてくれないかな。二泊三日で。もちろん交通費や宿泊費はあらかじめ出すよ、と馴染みの担当編集者は言った。わかりました、で、お相手はどんなかたなんです? と私は聞いた。それがねえ、直接会ってみてくれないかなあ。ヒーリングするのかカウンセリングするのか、それもどうやってするのか、先方の手紙や電話ではよくわからないんだよ。まさかインチキってことはないだろうから、きみがその目で確かめてみてくれないか。はあ。私は曖昧な返事をした。その応答に不安を感じた編集者は言った。済まないねえ、ついでにどんな構成の本にするのか、こっちでは本当にわからないから、そのへんは現場の判断で頼むよ。取材するかたのHPはあるんでしょうか。いや、それがねえ、本を元にしてこれから制作するらしいよ。

 私は困惑した。インタビュー取材の仕事は多くこなしているが、取材する相手がどんな人物なのかまったくわからない、資料も何もないのは初めてだ。これじゃどういうふうに取材していいのかまったくわからない。ヒーリングとかカウンセリングとか編集者は言っていたが、治療でもするのだろうか。病院なら医者でいいし、鍼灸やマッサージ、はたまた整体かもしれない。西洋医学? 東洋医学? まったくもってわからない。

 まあ、行けばわかるさ。私は未来を予測して不安になる悲観主義者じゃない。むしろ楽観主義者だ。未来には絶望もないが希望もない。ただの白紙だ。会う前から相手を想像してこうだったらいいのにああだったらいいのにと先回りをするシミュレーション派は、自分自身の希望や期待を出会う対象に反映しているにすぎない。現実と妄想とのギャップは多かれ少なかれ落胆するはずである。出会い系の神髄は恋愛や結婚、セックスだけではないのだ。

 と、このようにお茶を濁しているのは、私には当時の移動の記憶がまるきりないからだ。たった二十数年前のことなのに、どういうルートで行ったか、季節はいつだったのか、春だったのか秋だったのか、まるで覚えていない。これがもし正真正銘の小説だったら、風景の心理描写を伏線にし、読者サービスをしてこそその効果は向上するだろうに、事実だから味気なくても仕方がない。

 ただ、覚えているのは、K駅で出迎えてくれた男性の、少し赤い顔である。赤いといっても酒気帯びではない。その独特の赤さはアトピー性皮膚炎の跡だろう。4WDを運転している男性は、私を助手席に乗るよう促した。髪の毛が薄いのはアトピーのせいだろうか、それとも年齢のせいだろうか。私は黙って考えた。男性も同じく黙っている。愛想のない感じが、私には合っていた。


 かれこれ二〇分くらいで事務所に到着した。この事務所はログハウス風であり、新築のようである。扉を開けると、なかの広間ではいろいろな人たちがいた。大きなテーブルいっぱいに広げた画用紙にクレヨンやボールペンでグルグル絵を描いている人々、色とりどりのグルグル絵をシーツやバンダナにプリントし、それらを肩や頭に被っている人々。

 これが<治療>? 私は不思議に思った。そして、ようこそいらっしゃいました、と穏やかな笑顔で迎えてくれる人がいた。質素で小柄な女性がNであり、さっきの赤ら顔の男性はNの夫である。お疲れになっていませんか、とNは聞いた。いえ、大丈夫だと思います。私は正直に答えた。では、さっそくお話しましょう、こちらへ。Nが広間から個室のような相談室に私を促し、私とNは事務所机に対して向かい合わせに座り、Nの夫がドアの近くに座った。

 この人はね、わたしのガードマン役なの。こういう仕事はいろいろ危険だから。と笑ってNは言ったが、私はそもそも「こういう仕事」がよくわからないので、ぴんとこない。具体的な危険もまったくわからないので黙って頷いた。話を聞くうちに、いずれわかってくるだろうと思っていた。後で聞くと、Nは夫にガードマン役になるよう、重度のアトピー性皮膚炎を<治療>し、夫は「冷淡というか傲慢というか、お前は本当に<神>なんだよな」と愚痴混じりの皮肉を言った。

 前にも書いたが、この取材旅行は二泊三日。時間は短いので、これで本一冊作るのが逆にハードな仕事だった。道中を眺めていたが、このログハウスの他には何もない。気分転換や休憩に駅へ行こうにも私には移動手段がない。電話でタクシーは呼べるが、タクシーの電話番号を知らないし、そもそもK駅にはバスやタクシーはなかったはずである。雪隠詰めにされた私は、とにかくNにインタビューするしかない。仮に集中が途切れたら、頼みの綱はテープレコーダーだった。でも、私は何を聞けばいいんだろうか。

 あの、出版社の担当編集に言われて、どういう本に構成すればいいのか私にもよくわからないので、詳しくお聞かせください。と私は言った。ああ、わたしたちもどういう本にすればいいのかさっぱりわかりません。とNは笑った。心のなかで私は、えっ、と言った。とりあえず、この取材は体験取材として、仕事のすべてを見せ、お話しします。何から話せばいいんでしょうか。とにかく、私がなぜこんな山奥で仕事をしてきたか、その経緯を話しましょう。

 二〇代のとき、Nは突然<天の声>を聴いたという。「これまでの自由なお前はもう終わりだ。これからは他人を救いなさい」。同時に、見知らぬ人たちがNを訪ねて続々とやってきた。曰く、「息子が病気で困っている」「経営している会社が倒産した。もうダメだ、助けてほしい」「体調が悪くてしかたがない。病院で検査しても何の異常もないから治療できない。でも自分はほとんど寝たきりで働けない」。Nは<天の声>で、訪れる人々を次々と受け入れ、親身に相談した。なかには相談の合間に<治療>が完了する人もいれば、何度も何度も通って<治療>を受けにくる人もいる。<症状>はすべて違うのだ。

 困っている人たちがわたしに相談をしてきて、わたしは<スタッフたち>と呼んでいるけど、わたしとお話している最中に、その<スタッフたち>が勝手に相談者を<治療>するんです。本当にサービス精神旺盛で(笑)。え、占い? わたしがやっているのは占いではありません。占いなら相談者に未来の生きかたについてアドバイスしますけど、わたしは相談と同時に<スタッフたち>が<治療>します。だからわたしは何もしません。ただ<視る>だけ。<治療>は<スタッフたち>が勝手にやっている。ほら、あなたもいま、<治療>しています。

 へっ、と思ったが、<治療>といっても別に私は相談者じゃないし、仕事がうまくいかないとか体調が悪いとかの自覚症状もない。ただ取材にきただけである。悩みごともなければ困ったこともないし、鈍感なので霊感もない。超常現象は信じても疑ってもいない。あれば面白いんだけどな。

 気がつくと、Nの黒目が動き出した。黒目が水平に移動している。こんな人を昔、テレビで見たような気がする。あの、あれだ、『月はどっちに出ている』の崔洋一監督だ。あの人は常時黒目が移動していたが、Nは動くときと動かないときがある。自分でコントロールしているんだろうか。

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