第49話
「お待たせ」
意気揚々とクライヴがトルガルの背中から降りた。
「お帰りなさい」
真っ先に応じたのは隠れていた幹の陰から飛び出したマメだった。
すっかり好きになってしまったようね。……胸にもやもやするものを覚えながら二人に向かって声を掛けた。
「クロロ村に戻るにはマメさんの靴や食料がいると思うの」
「それはそうだな。俺が調達してこよう」
「魔法で出せる?」
「まさか。街で……」
「店を襲う?」
「だな」
そう応じるクライヴに向けたマメの眼差しは不安げなものだった。それにクライヴは気づいていない。
「クライヴ、あなたは英雄なの。強盗やコソ泥のようなまねは止めてよね」
ジルは釘をさすように言った。
「じゃあ、どうするっていうんだよ」
「ボクに考えがある。良いことをして、それを調達しよう」
「ん?」
クライヴが首を傾げた。
「二人はその木の陰で待っていて。ボクとトルガルは一旦、宮殿に戻ってくる。トルガル、乗せて」
「ブヒ」
ジルのスカートの中に仔ブタがするりと滑り込む。その息はすっかりあっていて、合図もなく、ジルはふわりと夜空に舞った。
「ブヒブヒヴブー?(どうするつもり)」
「賞金稼ぎよ。とにかく、ジョウホー・陸道のところに戻って」
「ブヒ」
天使トルガルは翼の動きを速めて速度を上げる。ジルはその振動に心躍らせていた。
宮殿の窓の多くには、まだ明かりが灯っていた。ジョウホー・陸道の部屋も同じだ。
「どこへ行っていたの。逃げたのかと思って、心配していたのよ」
心配していたというわりには、彼女は白い寝間着に着替えていた。
「火柱が見えたので、見物に。……大変なことになっていましたね」
本人に向かって、逃げたって言う。……呆れながら答えた。
「悪党が暴れているようね。自由化が進み、首都でさえ治安が悪くなったと皇帝がぼやいていたわ。近々憲法を改正し、引き締めを図るらしい。国民の移動エリアや自由行動の時間帯に制限を設けると話していた」
「そうですか。そう言えば、街はずれの公園で大きなヤギ顔の賞金稼ぎに会いました。今はああした者たちに治安維持を頼っているのですね」
憲法って、本来なら権力者側を規制するもののはず。それで国民を縛るの?……疑問を覚えながら、素知らぬ顔で応じた。
「毒を以て毒を制す。賞金稼ぎも強盗団も、似たような連中なのよ。賞金首がいなくなったら、賞金稼ぎが悪さをするようになる。とはいえ、まだまだ賞金首は増えそうね。今晩出た悪党は爆弾まで使うようだから、一筋縄ではいかなそうよ。それで皇帝は近衛兵を派遣した。おかげで、マメという青人を見つけるのに時間がかかりそうだ」
「それは困りました……」ジルは困惑してみせた。「……そうだ!」
ポンと手を打ち、閃いたふりをした。
「ボ……私たちも、その悪党たちをつかまえて、首都の治安改善に協力しましょう。そうしたら、ボ……私の願いも早く叶うというものです」
「天使の手を煩わせなくても……」
仔ブタの身を案じたのだろう。ジョウホー・陸道の顔が曇った。
「いえ、いえ。ぼんやりしていては時間の無駄。善は急げ、ですよね。天使トルガルさま?」
「ブヒ」
「夜が明けたら、賞金首のファイルをいただき、街へ繰り出しましょう」
「そ、そうか……」
ジルは勢いでジョウホー・陸道を押し切った。
「では、部屋の片隅をお借りして、仮眠させていただきたいと思います」
「……う、うむ」
ジルとトルガルがライティングデスクの横で丸くなると、ジョウホー・陸道はベッドに横になった。すでに朝は近い。二人と一匹はあっという間に深い眠りの中に沈みこんだ。
――ギギギギギ……――
ドアのきしむ音でジルは目覚めた。すでに太陽は高い位置にあって、影は短かった。
「目覚めたか……」
ジョウホー・陸道の冷めた声がした。彼女は青色のチャイナドレスに着替え、メイクもばっちり決めていた。
「あ、おはようございます」
「もう、昼だ。良く寝るものだな」
クロロ村から寝ずに飛んだので、とは言えないので、「ここのところよく眠れなくって、……エヘヘ」と笑って誤魔化した。
「すまないが、天使を皇帝に合わせるわけにはいかない。横取りされてしまうからな……」
彼女は正直だった。
「……食事を用意させた。食べるといい」
彼女が指した小さなテーブルに食事が並んでいた。その横で、トルガルが大きなゲップをした。
「天使トルガルは、もう二人分食べた」
彼女が笑みを浮かべた。
ああ、トルガルなら匂いで目覚めるわね。……寝起きのぼんやりした頭で考えた。
「悪党退治の件だが、ポリスクラブというオフィスが管理しているそうだ。〝ジル&トルガル〟という名で登録しておいた。賞金首のファイルはデスクにある」
「エッ……」
ジルは腰を伸ばし、ライティングデスクの上に目をやった。ファイルと賞金首狩り許可証が並んでいた。
ラッキー! 気が利くわね、ジョウホー・陸道。……飛びついて抱きしめたいところだったけれど、それは控えた。高貴な彼女は、そうしたことを嫌がるだろう。
彼女に礼を述べて食事を始めると気づいた。林の中にクライヴとマメを残して来たことに。彼らも腹をすかしているだろう。
彼らのことを案じても、ジルの食欲がなくなるわけではなかった。スープの皿まで舐めるようにいただいた。
「ごちそうだまでした」
食材と調理師と、ジョウホー・陸道を念頭に礼を言った。
「夕食までには帰るのよ。無茶をして天使に怪我をさせないようにね」
まるでお母さんね。……ジョウホー・陸道の声を背中で聞きながら、仔ブタに乗って二階の窓から飛び出した。小脇に懸賞首のファイルを抱えて。
「お母さんかぁ……」
頭に人間とブタの母親の顔が重なって浮かんだ。どちらにしても懐かしい。
「今頃、心配しているだろうなぁ」
「ブヒ」
ぐらりと揺れてジルは落ちそうになった。慌ててトルガルの首にすがりつくと、懸賞首のファイルが落ちていく。
「アッ!」
引力で自由落下するファイル……。
ギュン、と仔ブタはスピードを上げた。
落ちていたファイルが目の前にある。ジルは、ハッシとそれをつかんだ。
「ヨッシ」
声にすると、仔ブタは水平飛行に戻る。
「こら、ぼんやりしないで」
一瞬の恐怖を思い出して叱った。
「ブヒヒヒヒ……」
トルガルの抗議の声には力がなかった。まだ母親のことを考えているのかもしれない。まだ仔ブタなのだから……。
ジルとトルガルは賞金首を探すことなく、あの林に向かった。
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