第48話

「マメ、無事でよかった」

マメの姿に、クライヴの反応は早かった。彼は手を差し伸べてトルガルの背中からマメを下した。

「クライヴ、ありがとうケロ」

 彼女はジルなどそこにいないような雰囲気で彼にハグした。暗闇の中、彼女の薄緑色の身体も仄白ほのじろく見えた。肩から腰まで肌を隠すものは何もない。

「マメさん、ここに着いてから、何かされなかった?」

 背中に問いかけると、彼女は小さく首を振った。

 何かされたのに違いない。……確信したものの、それ以上、追求しようとは思わなかった。彼女の心はひどく傷ついている。今、そこをえぐるようなことはしたくなかった。

「クライヴ、さっさと逃げ出すわよ」

「オウ、それがいい」

 クライヴが応じても、容易にマメは離れなかった。

「トルガル、クライヴとマメさんをいっしょに運べる?」

「ブヒヒ(むり)」

 仔ブタが首を振った。

「ボクとマメさんなら、どう?」

「ブヒ(いける)」

 トルガルはそう応じたけれど、ジルは考え込んだ。トルガルがジルとマメの重量を運べるとしても、小さな仔ブタの身体に二人が跨るのは無理だ。

 ――カツ、カツ、カツ――

 軍靴の音が近づいてくる。

「クライヴ、兵隊を陽動して。ボクとマメさんは塀の外までトルガルに運んでもらう。あなたは、あの木の上で……」ジルは、月光に浮かぶ黒い木の影を指した。「……トルガルの迎えを待って」

「ヨッシ」

 彼はすがるマメを引きはがすと、脱兎のごとく近づく足音に向かって走った。

 彼を見送るマメの唇が震えていた。ジルは、彼女の裸の背中に黒い布をかけて背中を向けた。

「マメさんは、ボクにおぶさってちょうだい」

「……はいケロ」

 消え入りそうな返事がする。冷えた彼女の胸の圧力を背中に感じた。

 黒布の両端を胸元できつく結んだ。

「これで安定するわ。トルガル」

 仔ブタを呼んで足を開く。その間にトルガルが潜り込んだ。仔ブタの体毛が太ももの内側に触れると、チクチクとむず痒い。マメを背負っているので、身体が後ろに引っ張られるようだ。

「グーブ(行くよ)」

「待って。位置が悪い」

 ジルは仔ブタを前に、自分の下腹部がその尻に当たる場所にずらし、身体を前傾させた。マメが腰の上に乗る態勢になり、重心が安定する。

「耳、つかむわよ」

「ブヒ」

 馬の手綱を握るように、仔ブタの両耳を握った。

「グーブ(行くよ)」

「オッケー」

 下腹部に強い圧力を覚える。身体がグーンと宙に浮いていた。

「ヴォヴィ(重い)」

 仔ブタは呻いた。ところがスピードは増した。地面が遠ざかり、宿舎の二階の窓が目に留まる。

 窓の明かりの中に外を見る女性の姿があった。彼女の視線が追い付かないほどの速さで仔ブタは上昇し、あっという間に屋根を超え、塀を隠す針葉樹の天辺ほどの高さに達していた。

「ブーヒー」

 仔ブタは息を切らしながら針葉樹を超え、塀を超えた。

「人気のないところに降ろして」

 握った耳にささやく。

「ブヒ」

 仔ブタは鼻をクンクン鳴らし、獣人がいないのを確認しながら降下した。そこは宮殿のある町と反対側、道はあるものの周囲は木々が茂る林だった。

 ジルはマメを大木の幹の裏側に隠し、トルガルにクライヴを迎えに行くように頼んだ。

「ブヒ!」

 疲れの色も見せず仔ブタは飛び去った。

「マメさん、大丈夫?」

 ジルは尋ねた。彼女は黒布をまとい、しゃがみこんで震えていた。

「ジルさん、ありがとうケロ。また会えて、嬉しいケロロ」

 彼女は見捨てられなかったことを、そんな風に表現した。

「マメさんが姿を消したのが分かったら、騒ぎになるかしら?」

 獣人たちがクロロ村へ捜索の手を広げるかどうか、それが気になった。

「施設に収監されて分かりました。私はただの家畜なのケロ。大事にはならないと思うケロ」

 彼女の見解は、ジルの判断と同じだった。獣人たちは収容所内を捜索することはあっても、村まで捜しに行くことはないだろう。姿を消したのがジルだという認識さえないかもしれない。そう考えたのはマメの肩に火傷やけどの跡を見たからだ。

「ひどいことをされたのね……」

 ジルは火傷に目を凝らした。それは焼き印で、YM770783Zと読めた。そんな文字に心当たりがある。紙幣に振られた番号だ。獣人にとって彼女は、〝マメ・ミドリ〟ではなく〝YM770783Z〟という家畜に過ぎないのだ。

「……痛む?」

「大丈夫ケロ」

 彼女は小さく首を振った。

 ジベレリン処理のことを確認したかったけれど我慢した。新たな不安を彼女に与えたくない。

「さて、どうやって村に戻ろうかな」

 トルガルに乗れば一日と少しでつける距離だ。しかし、三人は乗れない。二人だって、短距離を飛ぶのが精いっぱいだったのだから。

「歩くしかないか……」

 飛行船の速度が時速二十キロだとして、徒歩の五倍か。森の中の獣道を歩くとしたら、直線距離の倍はあるだろう。ざっと、十日の道のりか。獣や虫はクライヴが退治するとして、問題は食料だな。そんなことなら、トルガルに三往復してもらった方が早いかも。連続五日か六日か、飛べるかな?……そんなことを考えていると、マメが素足なのに気づいた。

「……その前に、靴と洋服を手に入れないとだね」

 施設に戻ったらあるのだろうけれど、今更戻るリスクは犯せないと思った。

 脱出時、どうして裸で出てきちゃったのよ。……せっかちなマメとトルガルが恨めしく思った。

「すみませんケロ。私のために、……ケロ」

 彼女に気持ちを読まれたような気がして息が止まった。

「……い。いいのよ。友達じゃない」

 その時、近くにトルガルが下りた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る