第43話

 宮殿の屋根の上に突き出ている尖塔に目をやる。八角形に見えるそれには、東西南北と思われる壁にアーチ窓のようなものが付いていた。窓にはまっているのはガラスではなくルーバー雨戸のようだ。

 尖塔の窓は飾りだろうか? それとも換気装置? 単純な換気口なら、そこから潜り込めるかもしれない。……左側の尖塔から順に右に目を移す。すべて同じ形に見えたが、中央の一つだけは開放されていて金色に光るものがあった。

「鐘、かな?」

「ブヒッ?」

「真ん中の尖塔の中。何かが光っている。鐘だよね?」

「ブヒ」

「あそこから入れそうよ」

「ブヒ」

「行ける?」

「ブヒヒ(だめ)」

「どうして?」

「ヴァヴブヒブブヴィヴッ(人の目が多い)」

「なるほど……」

 ほとんどが酔っ払いとはいえ、前庭には数百を超える招待客の目があった。

「……夜まで待ったほうがいいわね」

「ブヴヴブゥ(腹減った)」

「ずっと食べ続けているじゃない。どんなお腹をしているのよ」

 ジルはトイレに入り、時間をかけてから前庭にもどった。


 収穫祭は夜まで続いていた。子供たちは夕方に帰ったが、まだ多くの招待客が美酒に酔いしれていた。楽団は少数の演奏者が入れ代わり立ち代わり、様々な音楽を奏でている。建物や庭園灯には明かりが入り、中央の尖塔内の鐘は神々しく輝いて見え、もはや、それが鐘だということを疑う余地はなかった。

「そろそろ行ってみる?」

「ブヒ」

 ジルはトイレの陰に移動するとトルガルを頭から降ろし、それまで被っていた黒い布でトルガルの白い身体を隠して跨った。

「ブーヴヒィ(飛ぶよ)」

 一言鳴いたトルガルの小さな羽が股間で震えた。

「見つからないようにね」

「ブヒ」

 トルガルは一気に行動をあげた。強大な重力にジルは悲鳴をあげそうだった。

いつのまにトルガルは、こんな力を持ったのだろう。……あっという間に二人の身体は人工的な明かりの中から飛び出して、闇夜の一部になった。

 トルガルがピタリと静止する。眼下の宮殿が箱庭のようだった。

「ブヒ」

 トルガルが落下以上の速さで急降下する。

 ヒエェェェェー!……ジルは飛び出しそうな悲鳴を必死で押し留めた。そうして気づいたときは、トルガルは宮殿の屋根に下りていた。鐘のある尖塔の真横だ。

 ――ヒーフー、ヒーフー――

 高鳴る胸を押さえて深呼吸、トルガルの背から降りた。

 屋根に四つん這いになり、尖塔に首を突っ込んで下を覗く。タイル張りの床が見えた。祈りの場でもあるのだろう。人影はない。

「行けそうね。鐘を鳴らさないように気をつけて」

 再びトルガルの背中に抱き着く。

 トルガルは「ブヒ」と応じて尖塔に潜り込む。今度は周囲を窺いながら、ふわりふわりと慎重に床まで下りた。

 建物を美しく見せるようカーテンは開かれていて、照明が点灯されている。窓に近づかないように気をつけなければならない。

「まるで泥棒ね」

 つぶやき、トルガルの背中を下りる。そうして見たのは北側の壁に掲げられた大きな木製の十字架だった。そこに実物大の銅像がはりつけにされている。

「あれは……」

 それは半裸のキリスト像ではなかった。白衣に似たものをまとっている。

「ブビブブ(人間だ)」

「うん、人間だ。これが、獣人の信仰かぁ。皇帝が話していた神、ドクターなんちゃらよ、きっと……」ふと、思いついた。「……もしかしたらだけど……」

「ブヒッ?」

「ボクたちより先に転生した人間がいるんだ。その人が科学技術を持ちこんだ……」

「ブヒ」

「だから、この国の文明はアンバランスなんだ。風力発電やバッテリー技術はあるのに、テレビや電話のような通信技術がない」

 口にすると、直感が確信に変わる。

「でもおかしい……」

 確信があっという間に崩壊した。

「ブヒッ?」

「彼が科学技術を持ちこんだ人間なら、どうして磔になっている?」

「ブヒッ?」

「分からないよね……?」

「ブヒ」

 トルガルは十字架に関心がなさそうだった。トコトコ歩いて二つあるドアの内の一つに向かった。

「どうしてこっちなの?」

「ヴォーブォリヴ(リズの臭いだ)」

「皇帝の孫娘ね。リズに接触するのは危険じゃない? クライヴもいないのよ。もし近衛兵を呼ばれたら……。トルガル、食べられちゃうよ」

 脅かすつもりはなかったが、仔ブタはあの草原での出来事を思い出したのだろう。クルリと向きを変えた。

「ヴール、ヴヒヴヒヴヒッ?(ジルは、どうするつもりなんだよ)」

「まずは、マメさんの匂いを探す。それが第一の目標。マメさんがいないなら、二番目の目標ね。ユララシアの華国のジョウホー・陸道。彼女に接触して援助を求める。人間だもの、話は通じるでしょ。……彼女がいるのは間違いないから、トルガルの優秀な嗅覚があれば、必ず見つけられる、そうでしょ?」

「ブヒ」

 ブタもおだてりゃ木に登る。……ジルは思い、セフィロスの古い意識が苦いものを覚えた。

 ドアノブを回す。

 ――ギギギギギ……――

 ドアが侵入者を告発するようにきしんだ。

「シー」

 唇に人差指をあて、ドアの代わりにトルガルに注意する。

 ジルとトルガルは礼拝堂を後にして、明るい通路に足を踏み入れた。

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