第39話

「この辺りでは見ない顔だな」

 ジルの前に現れたのは、ゲームや映画で描かれるサタンのような獣人だった。頭は大きな角のあるヤギで、身体は黒いマントで覆われている。

「エッ、アッ……」

 上手く声が出ない。頭にトルガルを乗せたジルは、仔ブタの上から大きな黒布をすっぽりかぶっていた。そうやってブタ人間を装ったのだ。口には細い竹筒をくわえ、穴の先をトルガルの胸元に出して会話する計画だった。

「女、名前は?」

 ヤギ男が尋ねた。

 エッ、どうしよう!……姿を偽装することばかり考えていて、名前を決めていなかった。

「……ト……」

 トルガルと言いかけて止めた。分離した時、呼び分けしにくくなる。

 頭の上ではトルガルが口をパクパクさせていた。ジルが〝ト〟で言葉を切ったために、金魚が空気を求めているような状態になってしまった。

「ト?」

 ヤギ男が首をかしげた。

 急いで答えなければ!……焦って考えると、どうしてもブタにイメージが引っ張られる。

「……トン……」

 ヤバイ、言っちゃった。……吐いた言葉を無かったことにできるのは政治家だけだ。普通の人なら責任を認め、謝罪しなければならない。もしくは、上手い言い訳を並べるかだ。

「トン?」

 トンベリはどうだろう?……ゲームに登場する魅力的なモンスター、晴夏のお気に入りだ。

 さすがにモンスターはダメか。……トンベリはあきらめた。

「どうした? 自分の名前も言えないのか? まさかお前、指名手配犯か?」

 彼はマントを翻し、中から分厚いファイルを取り出した。それをパラパラめくっていく。ファイルされているのは指名手配犯の写真で賞金額が大きく記されていた。

 寄りにもよってヤバイ奴と出会ったわ。賞金稼ぎじゃない!……ジルは慌てて名前を告げた。

「……トンジルです」

「トン汁?」

「はい、トンジル、ブヒ……」

〝ブヒ〟は、トルガルが言った。

「……それじゃ、急いでいるので……」

 ぼろが出る前にその場を離れようとすると「待て」と止められた。

 カァー、どうしよう?……恐る恐る振り返る。

「ファイルを見終わるまででいい。待て。……どうも俺の頭は記憶力が悪くていかん。ブタ女のトンジルだな……」

 彼はそう言ってファイルを真剣にめくっていた。

 アメリア帝国に無断侵入したけれど、今日のことだ。さすがに指名手配はされていないだろう。……安堵した時、ポンと記憶が蘇った。クライヴがリス人間のジルの洋服を火弾で焼いた事件だ。

 彼女、皇帝の娘だとかなんとか言っていたなぁ。そっちで指名手配されているかも。……緊張で身体がこわばった。

 ――タン――

 ヤギ男がファイルを閉じた。

「すまなかった。俺の早とちりだった。行っていいぞ。最近、悪党が多い。気を付けて行け」

「あ、はい」

 なんだ、意外といい奴じゃない。……ヤギ男に別れを告げ、トルガルを乗せたままの姿で公園を後にした。

「危なかったわね」

「ブヒ」

「ばれたらどうなったかしら?」

 小声で話しながら町の中心部を目指す。その時になってやっと、リズの服を焼いたのはクライヴで、トルガルや自分が指名手配されていることはないだろうと思った。万が一されているとしても、ブタの顔が簡単に区別できるとは思えない。

「ブヒッ?(さあ)」

「でも、この格好でやっていけると分かったのは良かったわ。色々な意味でね」

 ジルはこれからのことを楽観した。

「ブブヒッ?(それはどうかな)」

「どういうこと?」

「ヴッブヴヴィヒッ、ヴブヴッカ(彼、自分のことをバカだと言った)」

「それでボクらの合体に気づかなかった?」

「ブヒ」

「そうね。しばらく、細心の注意を払って行こうね」

 ブタも馬鹿ではなかった。そんな小さな感動を覚えた。

 ジルは黒布の合わせ目から外を覗き、目立たないように歩いた。しばらく人影はなかったが、一時間もするとあちらこちらから獣人たちが現れた。バスや電車のようなものは見えないが、時折、小さな電気自動車が走り過ぎていった。

 獣人たちは職場や学校へ向かっているようだ。徒歩圏内にそれらはあるのだろう。大人の多くの顔に暗い影が張り付いている。

「この世界の住人も、みんな憂鬱そうね」

「ブヒ」

「青人はこんな人たちに搾取さくしゅされているんだ」

「ブヒヒヴッブズッヒー(でもあの人たちは幸せそうだった)」

「何が幸せかなんて、分からないものね」

「ブヒ」

 その時だ。オオカミ人間の子供がクンクン鼻を鳴らしてジルの周囲をぐるぐる回った。

「な、何よ、オオカミ少年?」

「変な臭い」

 振り切ろうとして急ぐと、足元を歩く少年にぶつかり、転びそうになる。

「煩いわね。あっちへ行って」

「オネエサン、美味しそうだね」

「ば、バカなことを言わないで。まだ子供でしょ」

 応じてから、オオカミ少年が言うのは〝肉〟のことだと思い至った。童話の昔から、狼はブタを食べようとするものだ。

「フン!」

 少年は鼻を鳴らすと、それまで以上の速さでトンジルの周囲をグルグル駆け巡った。

「学校に遅れるわよ。行くのでしょ」

 トンジルは他の子供たちが向かっている方角を指した。

「行かないやい」

「どうして?」

「つまらないからさ」

「勉強が?」

「学校さ」

 もしかしたら、いじめられている?……獣人の世界でもそんなことがあるのかと嫌な思いを覚えながら、オオカミ少年の身体や持ち物に目を走らせた。

 ジルの考えを理解できないトルガルは、あられもない方角を見ている。

「なんだ? なに見てるんだよ」

 オオカミ少年はトルガルの視線を追って通りを走る自動車に目をやった。

「どこでもない……」ジルは言葉に力を込めた。オオカミ少年にいじめを受けている形跡は見られなかった。「……どうして学校に行きたくないの?」

「今日は秋の収穫祭なんだ」

「お祭りね。楽しそうじゃない」

 彼が応じてくれたのが嬉しい。

 トルガルが、ウンウンと首を振った。

「変な奴だな。自分で言って、自分でうなずいてら」

「まぁ、細かいことは置いておき……」

「そうかな? 細かくはないと思うけど」

 オオカミ少年がトンジルの周囲を一周した。

「どうして収穫祭に行きたくないのよ?」

「収穫祭は宮殿で開くんだ。皇帝がいるから友達と話しも出来ないし、ずっとしていないといけないんだ」

「宮殿!」

 ジルの頭の中で、ポンとアイディアの花が咲いた。

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