潜入

第36話

 秋の夜長、村人は道沿いに篝火かがりびをたいていた。アメリア帝国の使いが、その火を目標にやってくるのだ、とアズキが教えてくれた。

「空からくるのか?」

 クライヴが空を見上げた。

 満月が浮かんでいる。それが約三十日で満ち欠けすることを、ジルはマメに聞いていた。青人は、月の満ち欠けを見て作物の種まきや収穫の目安にしているという。そして獣人たちがやってくるのも、いつも満月の夜だという。

 彼らがゲストハウスに泊まるというので、ジルたちはゲストハウスを出て風車小屋の二階に移った。荷物などないから、ゲストハウスを出るのは簡単なことだったが、獣人のために今までいた場所を開けるというのは面白くなかった。それに風車小屋の二階はとてもうるさくて寝苦しかった。

「地球の月と同じねぇ」

 久しぶりに前の世界を思い出し、切なくなった。泣きそうだ。

「ブヒ」

「ウサギはもちをついていないけどな」

「ええ、模様は全然違う」

 月の白さが村長の家にあった白いドレスと重なった。

「マメ姉さんケロロ……」

 アズキの声が震えていた。

 そこにマメはいない。帝国の使者のトップを迎えるために村長の家に行っているのだ。

 自分は過去を想い、アズキは未来を想っているのだ。……ジルは、郷愁から覚めた。

 マメはあの白いドレスを着ているのだろう。……ジルはドレスを身に着けたたおやかなマメを思い描き、少しでもアズキに寄り添おうと思った。

「この世界に迷い込んで、半月ほどかな?……もう、そんなことを考えるのも忘れていた」

 クライヴが言った。

「ブヒ」

「色々あったからね」

 その時だ。月を黒い影が遮った。コウモリや鳥ではない。もっと大きなものだ。

「何だ?」

 クライヴとジルは目を細めた。

 巨大な飛行船だった。それが音もなく飛んでいる。ゴンドラ部分に数個、オレンジ色の光が並んでいる。

「アメリア帝国の輸送船ゲロ」

 隣に立ったダイーズが憎々しげに言った。

 飛行船は一隻だけではなかった。編隊をなしたそれは星空に黒々とした模様を描いていた。

 やがてそれらは編隊を解いて止まった。各集落の上に一せき。村長の集落の上には二隻。

 一旦、静止した飛行船が高度を下げる。

「アッ、着陸する……」

「錨を下すゲロ。それから乗組員が下りてくるゲロ」

 ダイーズが説明した。

「今晩は宴会かい? 準備はしていなかったみたいだけど」

「奴ら肉食だから、植物だけの食事は欲しないゲロ。ここでは寝泊まりするだけ。そして明日、荷下ろしと荷積みゲロ」

「意外とさっぱりしているのね」

 てっきり、帝国の獣人は過剰な接待を要求してくるものだと考えていた。

「奴らから見ればここは美食も娯楽もない非文明国ゲロ。ワシらと言葉を交わすのも汚らわしいと考えているゲロ」

「それなのにアメリア・ドリーム、……帝国に行こうと誘ってくるの?」

 尋ねると、ダイーズの顔がゆがんだ。

「本当のことは分からないゲロ。おそらく奴らは、ワシらを珍獣のように思っているゲロ。それで帝国へ連れ帰り、慰みものにしているに違いないゲロロ」

「なるほどなぁ……」

 クライヴが見上げた。ガスの入ったエンベロープ(気嚢)は長大で、その末端が目の前にある。先端はゲストハウスの屋根に接触したように見えた。ゴンドラの底は地表スレスレだ。

 エンベロープの前後から四つの黒い錨が下りてくる。ジルはそれを見守った。ウインチの鈍い音が闇夜に流れた。

 ――ズン――

 大地がわずかに揺れ、秋の虫が鳴きやんだ。

 前部の錨二つはゲストハウスに面する道に下りた。後部の二つは村人が日々耕し続けている畑に深く沈んだ。

 ゴンドラ側面のハッチが開き、梯子がのびる。

 どんな獣人が来たのか?……ゴクンとジルののどが鳴った。

 ゴンドラ内部の光が淡く広がっていた。それを背に、二人の獣人が飛び降りた。彼らの足はイモを掘り出したばかりの畑に沈み、靴が汚れたことに「チッ」と舌打ちした。一人は鷹の顔で、もう一人は鳩の顔をしていた。

 村の代表者が駆け寄り、彼らをゲストハウスへ案内して行った。

 獣人たちがゲストハウス内に消えた後になって初めて、クライヴが口を開いた。それまでは闇そのもののように気配を消していたのだ。

「鷹と鳩の組み合わせとは気が利いているなぁ」

「面白いことを言うね」

 ジルはクスッと笑った。隣では意味の分からないダイーズがキョトンとしていた。

「さて、俺は準備に入るよ」

 クライヴはトロロに借りた曲刀を手に、緊張の表情を作った。

 忍者の末裔とはいえ、実際に潜入行為を行うのは初めてなのだ。緊張するのは当然だろう。……ジルは無謀ともいえる計画を立てたことに、今更ながら責任の重さを感じた。それが顔に出ていた。

「ジル、顔が怖いぞ」

 クライヴが同じ緊張下にあるジルをからかった。そうやって自分の緊張をほぐそうとしているようだ。

「エッ、そう?」

「ああ。……まあ、怒った顔も可愛いけどな」

「やめてよ。こんな時に……」

 思わず苦笑する。

「そうだ。それでいい。……心配するな。こう見えても俺はワクワクしているんだ」

「そうなの?……」彼の言葉を素直に聞いてほっとする。「……でも、無茶はしないでね」

「安心しろ。俺は英雄クライヴだ。ジルの方こそ気をつけろよ。体術も魔法も使えないんだからな」

「大丈夫よ。トルガルと一緒だから」

「ブヒ」

 少し成長した仔ブタがジルの頭の上で鳴いた。

「トルガル、獣人に食われないように気をつけろよ」

「ブヒ」

「それじゃ、ダイーズ。行こうか」

「ワシのためにすまないゲロ」

「あんたのためじゃない。マメのために俺はやるんだ」

 彼はダイーズを促し、共に闇の中へ向かった。

「大丈夫よね」

 作戦を思い、自らを励ました。

「ブヒッ?(さあ)」

 クライヴの姿が闇にのまれた。

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