第34話

 クライヴの手がハッチの取手を握った。

「固いな……」

 鍵がかかっているはずはなかった。村の扉はトイレのドアでさえ鍵がない。平和だからだ。たとえ鍵があったとしても、梯子を撤去したハッチにそれをかける必要はないだろう。彼の二の腕の筋肉がグワッと膨らむ。

 ゴトッとひとつ音がしたかと思うと、それからはスムーズにハッチは開いた。

 それは正に〝天使の梯子〟と思われた。神々しい光が黄金の柱のようにハッチから伸びた。それを上るようにクライヴを乗せたトルガルの姿がハッチの向こう側へと消えた。ジルはただ、その姿を呆然と見つめていた。

「なぜゲロロ?」

「勇者さま、助けてケロ!」

 それは聞き覚えのあるトロロとマメの声だった。

 屋根の上に二人はいたのか?……釈然としない。

「勇者殿、口出しは無用ゲロ。これはワシらが村の問題ゲロ」

 ハッチからこぼれる光にまとわりついて声が落ちてくる。

「そう言われてもなぁ。これは監禁だぞ。俺たちの世界なら犯罪だ」

「俺たちの世界……?」

「あぁ、伝説の世界だ」

 もう、何をやっているのよ。早くマメを助けなさいよ!……ハッチの向こう側のやり取りに、ジルはイライラしていた。

「トルガル、来て!」

「ブヒ」

 トルガルが天使の梯子を下りてくる。

「ボクを乗せて」

 ジルは仔ブタをつかまえると、自転車にでも乗るようにまたがった。

 トルガルが身をよじった。

「……グーブ(行くよ)」

 腰に圧力があったかと思うと、グーンと宙に浮いた。天使の梯子に沿って上昇した先は外ではなかった。機械室の屋根裏に当たる場所だ。屋根裏といっても強化ガラスの天窓のあるペントハウスのような空間だった。ここなら光合成もできるだろう。

 奥まった場所にマメがいて、彼女を抱きかかえるようにトロロがしがみついている。その手には切っ先の鋭い曲刀があった。そのためだろう、ハッチの傍らでクライヴが動けずにいた。

「村長、マメを解放しろ。さもないと……」

 クライヴの指先に小さな火の玉が浮かんだ。

「クライヴ止めて。風車小屋が燃えてしまう」

 ジルは慌てて止めた。彼なら手加減できるだろうけれど、万が一ということがある。第一、村には警察というものがない。一時的に村長を倒したところで拘束できない。事実上、彼はこの村の独裁者なのだ。力でマメから引き離したところで、根本的な解決にはならない。

「ジル……さん、ゲロロ。お主なら分かろうゲロ。いかに英雄でも、村の政治に口を出すのはルール違反ゲロ」

 ジルは少し考えて口を開いた。

「トロロ村長、マメさんは帝国への貢物。傷つけてしまっては、自分が困ることになりますよ」

「それは……。しかし、代わりはいくらでもいる。アズキでも、ハタノのところのカブラでも……」

 彼は女性の名前をいくつかあげた。

「もし、ボクたちが村の人たちに話したらどうなるでしょう。村長がマメさんを傷つけたと……。村長は、村長でいられるでしょうか?」

「ワシを脅すつもりゲロ?」

「いいえ。忠告です」

 ゲゲゲ……。トロロは不気味な声を上げて笑った。

「何があろうとワシが村長ゲロ。ワシ以外に村長が勤まるものはおらんゲロロ。ワシにはアメリア帝国がついているゲロ」

 そういうことか、とジルは納得した。

「村長という立場は失わないかもしれない。でも、村民があなたを見る眼は変わると思いますよ」

 話ながらジリジリと距離を詰めた。

「村の者は働き者ゲロ。働くと、政治など面倒になるものゲロ。七十五日もあれば、悪いうわさなど消えてなくなるゲロロ」

 彼の強がる声に力はなかった。彼なりに、村人の冷めた視線を想像したのに違いなかった。

「そうなんだぁ。でも、マメさんには傷つけない方がいいわ。クライヴが風車小屋を壊してしまわないように、……ね」

 トロロをジッと見つめると、彼は力なく曲刀を下ろした。

「ケロロ!」

 彼の手を逃げ出したマメがジルの胸に飛び込んでくる。体格の良く似た二人だ。二つの胸がぶつかってムニュっと反発した。

「ヤダァ」「ケロロ」

 それで彼女のブラを借りたことを思い出した。

「これ借りてます」

「ケロ?」

「アズキさんに頼んで」

「ケロ……」マメが微笑んだ。

「さあ、行こう。ダイーズたちが心配している」

 クライヴが梯子を下ろした。ジルとマメが先に下り、トロロが最後に下りた。

「今回のこと、ボクたちの口からは話さないから……」

 そう告げて、トロロと別れた。


 ジルたちはマメを連れてマメの集落に向かった。歩きながら、風車小屋に閉じ込められるまでの経緯を訪ねた。彼女は村長を訪ね、献上品の管理者の役目を降りたいと申し出たそうだ。トロロは、それが出来るかどうかはテストの結果次第だと告げて、あの風車小屋の最上階へマメを誘ったのだ。彼は、そこが自分を見つめなおす運命の部屋だと説明し、しばらくそこで過ごすよう告げると自分は帰った。光と水はあって、彼女の健康が損なわれるようなことはなかった。

 そこにいることで何かが変わることはない、と彼女は思った。騙された。ただ、日時を稼ぐためだけに監禁されたと察したが、梯子は外されていて逃げ出すことはできなかった。助けを求める声は、発電機の唸りに妨げられた。

 運命の部屋の効果はあったようだ。一晩、二晩と夜を過ごし、孤独が身に染みた。この村に生まれた以上、美女はアメリア帝国に贈られるという宿命を漠然と受け入れていた。

 その日の朝、トロロがやってきて「運命を悟ったか?」と尋ねた。彼はアメリア帝国におもむけば、楽しい暮らしができるとも語った。

「楽しい暮らしというものがどういうものか、ワシには分からなくなったケロ……」彼女は空を見上げた。「……その時、勇者クライヴが現れて、ワシの楽しい暮らしは、勇者クライヴと共にあると理解したケロ」

「それって……」

 愛ね、と言うところ、何故か恥ずかしくて言えなかった。いや、もしかしたら嫉妬なのかもしれなかった。自分の恋愛感情より先に彼女のそれを認めたくはないと、無意識が自分を騙したのかもしれない。

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