第25話

 クライヴが目覚めた伝説の勇者一行は、インゲンの家を出てマメの集落のゲストハウスに移った。おかげで彼は、あのクソ不味い薬湯を一度飲んだだけで済んだ。

 なんて幸運の持ち主なんだ、とトルガルは言った。ジルもそう思った。

 翌日、彼はジルに代わって堤で埋まった小川を掘り返した。あの〝ドトン、クッサク〟の魔法によってだ。長い堤を作るのと違って、堤の一部を掘り返すのはとても楽そうだった。かれは指先をチョイっと曲げて「ドトン、クッサク」とささやいただけで、小川に水を取り入れるのに成功した。彼は眠っている間に、筋力が増強されただけでなく、魔力も増したようだった。

「レベルアップしたね」

 ジルの感想に「ブヒ」とトルガルが同意した。

「トルガルも予感や飛ぶ魔力が増したよね?」

 改めて問うと、「ブヒ」と仔ブタは応じた。

「ボクは……」どうだろう、と問うのをやめた。クライヴやトルガルに答えを求めたら、惨めな気持ちになるに違いない。

 小川に水をひくことに成功し、クライヴはまた村人に感謝された。次の洪水に備え、そこに水門を作ると村長のトロロが宣言した。それをもってビーンが指摘した〝災い〟はないことになった。


 三日後、クライヴの活躍を称賛し、パーティーが開かれた。トロロの集落のゲストハウス前にはステージと沢山のテーブルが設置され、様々な料理と花が彩った。数百人と思しき青人が集まってクライヴへの感謝を示し、加えて村の安全を祈っていた。

「野菜を作るだけの地味な村だと思ったけど、独特の文化があるのね」

 ジルは、ステージ上で踊る緑色の若者たちを見て微笑んだ。ステージを取り囲むように配置されたドラムや木管楽器が奏でる独特なリズムにあわせたダンスだ。マメに誘われたクライヴも、ステージ上で身体をクネクネさせている。

「勇者万歳ケロロ!」「素敵ケロ!」「愛してるケロ!」

 ステージを取り囲む女性たちから黄色い声援が飛んでいる。

「ブヒ……」

 トルガルはジルのテーブル上にいて、甘辛い野菜炒めをガツガツ頬張っていた。

「オネエサンも踊るケロ」

「ボクは止めておくわ。身体を使うのが苦手なの」

 ホップが声をかけてきたがジルは断った。

「鍬は使えるケロ?」

「それは特別。ボクが生まれたのは農園なの」

「そうだったゲロロ。ワシたちの仲間ケロ」

 いつの間にか、ホップの母、リンゴがいた。

「仲間……」

 釈然としない言葉だった。……ツリーの根の薬湯は仲間の絆を強めるという。そのためにこの数日、辛く気持ちの悪い思いをした。彼女も仲間なら、あの薬湯によって自分との絆が深まったのだろうか? そうは思えない。 では彼はどうだ?……ステージ上で身体をクネクネさせて踊るクライヴに目をやった。

 すると、否応なしに彼の隣で親しげに踊るマメが目に飛び込んでくる。彼女は普段と異なる姿をしていた。頭には鮮やかな色の木の実の髪飾り。緑と白と赤色のブラは豊かな胸を強調し、腰に巻かれたレース状の布は細い腰を、サイドスリットのスカートは引き締まった脚を魅力的に見せている。

 ズキン!……胸に痛みが走った。

 ステージ上のダンスが終わると、ホップたち子供が上がって歌をうたった。ゲロゲロいうカエルの合唱のような歌だ。

 踊り終えたクライヴとマメが隣のテーブルで何かを話している。それは知りたくもあり、知りたくもないことだった。そんな想いを吹き飛ばしたのは母親たちの声援だ。

「ホップ、素敵ケロ!」

 すぐ間近でリンゴが叫んだ。母親というのは純粋な生き物だと思った。

 ――ゲロゲロゲロ――

 ――ガツガツガツ――

 歌とトルガルが咀嚼そしゃくする音がシンクロした。

「ホップ、みんなも良かったわよ」

 母親たちの拍手に送られて子供たちがステージを降りた。

 次にステージに上がったのは村長のトロロだった。

「エッヘンゲロ……」間を取り、村人を睥睨へいげいする。「……たびたび襲う豪雨と洪水、……我々は闘い続けなければならないゲロ。……今回は伝説の英雄クライヴ殿の尽力により、被害は最小限で済んだ。そしてこれからも、クライヴ殿が村の守護神として、村を守ってくれるに違いないゲロ!」

 ――ウォー……――

 歓声が轟き、森がざわめいた。

「守護神だって……」

 フルーツの皿をなめるトルガルの尻尾を引っ張った。

「ブヒ」

「これでいいの?」

「ヴェブイブティ(当面の拠点としてはね)」

「クライヴは人間を探し出したいって言っていたけど」

「ビブ、ビブヴヴィヴヴヴーヴ(見てごらん。クライヴはまんざらでもない様子だ)」

 彼はトロロに呼ばれてステージ上にいた。マメも一緒だ。

「勇者クライヴはワシの命の恩人ケロ。彼と出会ったのは神秘の森で……」彼女はクライヴとの出会いを説明していた。そんな話が面白いのか、真剣に耳を傾ける参加者もいくらかいた。が、多くの青人はマメの話より家族や友人との雑談を優先していた。

 ジルは真面目に聞いていた。彼女のことをよく知るべきだと思っていた。

「まるで恋人気取りだ」

 フルーツジュースをグビッとあおり、あの不味い薬湯を思い出した。

「ヴェブビー?(ジェラシーかな)」

「バカ。そんなんじゃない」

 尻尾を引っ張る。

「ブヒヒ(止めて)」

 トルガルが鼻を鳴らした。

 ブタで雄の自分、セフィロスがクライヴに恋愛感情など持つものか!……考えたものの、違和感があった。今は、クライヴなしに生きていけない。夜も昼も彼と一緒にいたい、と思うのだ。

 そもそも、この身体が彼を欲している。……ジルは左手に陶器のグラスを握りながら、右手でうずく胸を抑えた。

「エッ!……」

 ふと気づいた。あの大雨の日より胸がワンサイズ、いや、もっともっと大きくなっている。制服のブラウスのボタンがはじけ飛びそうだ。

 クライヴの筋力と魔力、トルガルの直観と飛行力が増したように巨乳化したのかもしれない。……敏感で柔らかな脂肪のかたまりの奥で心臓がドクドク鳴っていた。

「ブヒッ?(どうした)」

 乳が、……なんて恥ずかしくて言えない。

 ボクは本当に人間になったのか? あの強欲で残酷な人間に。……乳の肥大化を口にできない羞恥心は、人間的な価値観に汚染された証拠かもしれない、と思った。

 ボクはブタなのか、人間なのか? 雄なのか雌なのか?

「トルガル、君はブタか、それとも人間か?」

 晴夏の気持ちを知りたくて訊いた。

「ボクは天使トルガルさ」

 仔ブタはパタパタ飛んでクライヴのもとに向かった。

 なるほど!……自分はセフィロスでも晴夏でもなく、令嬢ジルだと合点がいった。

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