第24話
「オーイケロケロ!」
呼ぶ声に振り返る。ホップが走ってくる。
「そんな時間かぁ」
彼の用件は見当がついた。あの不味い薬湯を飲む時間なのだ。それだって祟りなのかもしれない。
「ハーイ、行くよ!」
鍬を担いで歩き出す。トルガルが飛んで、頭にとまる。
「クライヴの奴、さっさと目覚めてくれないかな」
口では言ったものの本気ではなかった。堤の硬さを思えば、彼の消耗した体力のすごさがよく分かる。
「ブヒ」
「あなたも分かっているのよね」
「ブヒ、ブヒ」
「にしても、どうしていつも頭に乗るの? たまにはボクを乗せて運んでよ」
「ブヒ」
仔ブタがふわりと浮く。
「アッ、何するの。エッチ、スケベ、ヘンタイ」
トルガルは強引にスカートの中に潜りこみ、ジルを乗せて飛んだ。
「ヒャー、楽チンだぁ」
風を切る感覚が気持ちいい。
あっという間にホップの前を通り過ぎる。
「ほえー、勇者の愛人が飛んでるケロロ」
「ホップ、早くおいで。おいていくわよ」
その時には、二人の距離はすっかり離れていた。
「まってケロ!」
ホップは、翻るスカートの中にのぞくトルガルの丸い尻を追った。
クライヴはぐっすり寝ていた。もう三日目だ。不思議なことに、彼は寝ながらにして筋肉を厚くし、たくましくなっていった。まるで筋トレをしているようだ。
「ヴヴィヴヴェヴェヴェブブ(クライヴ、レベルアップしてる)」
「そうなのかな?」
筋肉量と勇者のレベルが比例していると考えていいのかどうか? 筋肉より魔法の種類とか、強さが大切じゃない?
「ヴブブーヴヒィヴーンブゥゥヴ―ゥヴール(ボクもジルを乗せて楽に飛べた)」
「トルガルもレベルアップしたと?」
「ブヒ」
「それじゃ、ボクは?」……残念だけれど、レベルアップしたとは思えない。僅かな土さえ思ったように掘れないのだ。
「ヴヒッ?(どうかな)」
「変わったとは思えないよ」
その時、あのひどい匂いがした。インゲンが、冷蔵庫から煎じ薬を取り出したのだ。冷たい方が、臭いが弱くなって飲みやすい。だからといって美味しくなったわけではない。
「さあ、飲むゲロ。ワシの勘が正しければ、勇者が目覚めるのは間近ゲロ」
素焼きのコップが目の前に差し出された。
「マジか!」
冗談はせめてもの抵抗だ。笑いであの不味さから逃げられるなら、どんなダジャレでも受け入れよう。
しかし、インゲンの反応は冷たかった。鋭い視線がジルを射た。
「マジゲロ」
カチン!……脳内で何かが鳴った。
〝ゲロ〟ってなんだ。……煎じ薬を飲むようになってから〝ゲロ〟が気になりだしていた。ちなみに、若者は〝ケロ〟高齢者は〝ゲロ〟と言っているようだけれど、両用するケロケロ人もいて、その境目は分からない。
「飲むわよ。飲めばいいんでしょ。クライヴ、さっさと目覚めなさい」
彼が寝る寝室を横目に鼻をつまんで冷たい薬水を飲みこむ。
「ヴエー……」
ツリーの根の味に慣れることはなかった。冷やすことで臭いが抑えられても、舌を腐らせるような味も内臓を焼くような刺激も変わらなくひどい。「トイレ、トイレ……」それでトイレに飛び込むのが必須だ。
「ヴヒヒィ……」
トルガルも同じで、薬の後に水をがぶ飲みし、床を転がりまわった後に部屋の隅で小さく丸まる。ただ仔ブタはそれで腹を下すことはなかった。
「ウォー」とクライヴが雄叫びを上げるのはお約束。ところがその日は、いつもの雄叫びと少しだけ違っていた。
「グォー!」
まるで映画の怪獣が吠えるように、彼は声を上げた。
「目覚めるゲロロ……」
「エッ!」
ジルはトイレの中でインゲンの言葉を聞いて驚いた。
クライヴが目覚める。それは
ジルがリビングダイニングに駆け込むとクライヴがいた。
「やあ、ジル」
彼が微笑んだ。
「クライヴ、……元気なの?」
「ああ、見ての通りだ」
彼はその場で四股を踏んで見せた。
「良かったぁ」
もう、あの薬を飲まなくて済む。……心底ホッとした。
「心配かけて悪かったな」
「それじゃ、薬を飲んでちょうだい。クライヴのおかげで、ボクたちが不味い薬を飲まされていたんだから」
「飲む必要はないだろう。俺はもう元気だ。病気どころか、以前より筋力がついている。見て見ろ。不思議だな」
彼が力こぶを作り、満面の笑みを浮かべた。
「それはボクたちがあの薬を飲み続けたからだよ。ねえ、インゲンさん」
「う、あ、ううんゲロ」
彼は戸惑いながら答えた。なんだか怪しい。
「それからもう一つ。クライヴが造った堤が、小川の流れを止めてしまっている。水が流れるように掘ってほしい。その筋肉なら簡単なことだよね?」
「あ、まあな。……ん?」
彼が顔をしかめた。
インゲンがツリーの根の煎じ薬を持ってきたのだ。
「なんだ、これ。臭い。臭すぎる……」
彼は鼻をつまんで顔をそむけた。
「ボクは十回も飲まされたぞ」
「ブヒ」
「ほい、飲むゲロ」
インゲンがコップを差し出した。
「これ、ゲロなのか?」
アチャー、直接言う。……両手で顔を覆い、笑いをかみ殺した。
「ゲロではないゲロ。精霊、ツリーの根のエキスゲロ」
バカにされたと感じたのだろう。インゲンの顔が曇った。
「しゃーないな。飲むぞ」
クライヴがコップを受け取り、一息に飲んだ。
ジルとトルガルは彼の反応を興味深く見守った。
彼の日に焼けた黒い顔が黄色に変わる。それから白くなり、青くなった。
「ギョェ―! 不味い、辛い、臭い、ゴミだ、ゴミ汁だ……」
彼はキッチンに走り水瓶に顔を突っ込んだ。呼吸もせず、ガブガブと水を飲んだ。それからピョンと飛び上がると、「トイレはどこだ?」とジルにつかみ掛かった。
「こっち。漏らさないでよ」
「う、うん、クッ……」
「我慢よ、我慢……」
脂汗を流す彼の手を引いてトイレに走った。
――バタン――
彼が扉の向こう側に消える。
――ブリブリブリ――
両手で耳を押さえて音を遮断する。強烈な臭いがして、鼻を押さえておくべきだったと後悔した。
胸の中から何か熱いものが湧き上がってくる。それは叫びだった。
「ウオー!」
自分が獣になったようで、少し恥ずかしい。
「ブヒー!」
リビングダイニングでは、トルガルがいつもより一オクターブ高い声を上げた。
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