第23話
翌日になってもクライヴは目覚めなかった。相変わらず時計のような規則正しい寝息を漏らし、ジルたちがクソ味の薬湯を飲むと雄叫びを上げた。目は覚めないけれど頬の肉はすっかり元に戻っていた。
ジルはといえば、薬湯を飲むほかにはすることがないので畑仕事を手伝った。流れ込んだ流木を集め、傷んだナスの枝や麦を撤去するのだ。畑仕事ができないトルガルは、ヴヒヴヒ鼻を鳴らし、トリュフに似たキノコを掘り集めて青人を喜ばせた。
「クライヴのようなケースは、よくあるのですか?」
朝食時にインゲンに尋ねると「いいやゲロ」と彼は応じた。ツリーの根を使うことも滅多にないという。
「この根を得られるのは、ビーンだけゲロロ」
彼は深刻な顔で言った。集めた根はアメリア帝国に贈られ、代わりに靴や家電、農機具といった工業製品を受け取っているという。
「貴重品なのね」
その貴重品を得る能力を持つビーンも貴重な存在に違いない。だから村長のトロロは、マメたちに彼を探しに行かせたのだろう。
「もちろん、農作物も村の献上品ゲロ」
インゲンは付け足しのように言った。
「帝国とは良好な関係なの?」
トロロに尋ねようと考えていた質問を、目の前の老人にぶつけた。
「ワシたちが逆らわない限り、関係は良好ゲロ」
「ここの若者たちは、帝国に支配されていると感じているようだけど。それで、伝説の勇者……」ジルは寝室に目を向けた。「……クライヴの力が必要だと考えているようね」
「そう考えているのは、一部の者ゲロ。多くの者は、アメリア帝国に逆らおうなどと考えてはいないゲロ」
「毎年、美女を送り出しているのでしょ?」
「知っているのかゲロ……」
彼が寂しげな表情を作る。
「今度はマメ・ミドリさんが……」
「それは未定ゲロ」
「そうなんだ……」
インゲンがあまりにも悲しそうな顔をするので、それ以上は訊けなかった。
「……畑仕事に行くわ」
そう告げて、家を出た。
「問題発生ケロ。やっぱりお前たちは災いを持ち込んだケロ」
畑仕事をするジルに向かってビーンが指摘したのは、クライヴが眠りついて三日後のことだった。
「どういうことよ?」
「見るケロ」
女の子のような顔の彼が指したのは、道に沿って走る小川だった。すっかり干上がっている。
「あぁ……、ゲロゲロ」
エンドウが頭を抱えた。
農園育ちの晴夏の記憶にも、それを説明できる情報はなかった。
「どういうこと?」
「簡単なことケロ。あんたの勇者が水を止めてしまったケロロ」
ビーンが上流を指した。クライヴの造った堤が小川を埋めたようだ。
「それなら堰を掘ればいいじゃない。簡単なことよ」
子どもなんかにバカにされたくない。強気に言い返した。
「なら、オネエサンが掘るケロ」
ビーンが
「おい、おいゲロロ。ビーンとはいえ、伝説の勇者さまの愛人に向かって失礼ゲロ」
エンドウが二人の仲を取り持とうとする。
ジルはビーンをにらんだ。彼は魔力を持っていると聞いた。ならばあの日、その魔力で村を救えばよかったではないか。それをせずに他人を責めるのか。やっぱり子供だ。
「水を止めたのは、伝説の勇者御一行様ケロ。さあ、責任を取るケロ」
彼にエンドウの言葉は届かないようだった。
「……わ、分かったわよ」
ジルは鍬を受け取ると小川の上流目指して歩いた。その姿をエンドウが呆然と見送っている。
「ブヒッ」
飛んできたトルガルが頭に乗った。鼻の頭が泥で汚れている。
「もう、あいつ、何様なのよ」
「ブヒヒッ(しらない)」
「エッ、トルガル、どうしてここに? キノコを探していたんじゃないの?」
「ヴヒヴーヒッブー(呼ばれた気がしたんだ)」
「そうなの……」
トルガルのインスピレーションが研ぎ澄まされたのだろうか? それもツリーの薬湯の影響? ちょっとうらやましい。……感情をギュッと理性の裏側に押し込んで足を速めた。
堤があるのは隣の集落で、三十分ほどで目的の場所に着いた。そばで見ると、堤は記憶にあったより高い。それでも腰ほどだから、掘れるだろうと思った。
村人が不思議そうに近づいてくる。
「勇者のお供の方、何かケロケロ?」
いつからお供になった!……鍬を握る手に力が入る。
「小川に水をひくのよ」
「ウァ、お手伝いするケロ」
彼は喜び、ポンと手を打った。
「ありがとう。でも、ボク一人で大丈夫。あなたは自分の仕事を」
「そうケロかぁ。では、ケロケロ」
彼が離れていく。
ジルは水のない小川の中に足場を決めて鍬を振り上げた。頭の上にいてぶつかったトルガルがころりと落ちた。「ブヒヒー」
農作業はよく手伝わされた。鍬の使い方には自信がある。
掘るのは小川の延長線上。簡単なことだ。……一点を決めて鍬を振り下ろす。
――ザクッ!――
「ヨシッ」鍬がくい込んだ場所は思い通りだった。しかしそれは畑を耕すのとはわけが違った。堤の土は、石が混じっているうえにとても締まっている。まるでアスファルト道路を掘っているようだ。
――ザクッ!――
――ザクッ!――
――ザクッ!――
黙々と鍬を振るう。堤は固く、容易に掘り進まなかった。クライヴが堤を造った時間の倍の時間、鍬を振るっても、掘れたのは十数センチといったところだった。魔法の偉大さが身に染みた。
「クライヴのバカ。こんなに固くして……」
手を止め、流れる汗を腕で拭った。薬湯の効果か、思ったほど疲労は感じなかったけれど、手のひらに大きなマメができていた。
「手袋が欲しいなぁ」
そう口にして村のケロケロ人たちが何でも素手でやっていることに思い至った。彼らの肌は人間より丈夫なのだろう。だから、あんな肛門まで痛む薬湯が平気で作れるのだ。
「トルガル、あなたの魔力で水路を掘ってよ」
後ろで作業を見ている仔ブタに言った。
「ブヒヒ(いや)」
「いや、じゃなくて、できないのでしょ?」
「ブヒ(うん)」
仔ブタは意外と素直だった。
――ザクッ!――
改めて鍬を振るう。
「今思いついたんだけど……」
「ヴヒッ?(なあに)」
「大ミミズを食べたから祟られるって……」
「ブヒ」
「大雨とか洪水とか……」
――ザクッ!――
「……こんな土堀りとか……」
――ザクッ!――
「祟りかも」
――ザクッ!――
「ブヒヒ?(まさか)」
「だって、こんなにしんどいんだもの……」
鍬を下ろし、ホッと溜息をついた。
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