第19話

「ジル、行くぞ!」

 クライヴが流れに逆らって歩き出した。

「どこへ行くの?」

 泥水は重く、その中を歩くのはとても難しいと思った。

「上流を何とかしろといったのはジルだぞ」

「でも、歩いていくなんて無理よ」

「ブヒ」

「トルガルは乗っかっているだけでしょ。そうだ、飛んでよ。ボクを乗せてくれる?」

「ブヒヒヒ……」

 昨日のことで懲りたのか、仔ブタは激しく首を左右に振った。

「そうか、乗ればいいんだな」

 クライヴは流れてきた長めの流木を押さえると、それにふわりと飛び乗った。まるでサーフィンでもするようだ。

「ジル、乗れよ」

 差し伸べられた彼の手を取った。ふわりとジルは浮いて彼の背後に乗ることができた。

「これってクライヴの魔法?」

 二人が乗った流木は、まるでモーターボートのように流れに逆らって進んでいた。

「まあな。俺って、天才」

「飛べばいいじゃない。スーパーマンみたいに」

 彼が調子に乗っているので、ちょっとだけ嫌味を言った。

「やってみたけど、できなかったんだよ。魔力が足りないのかな?」

「それはないと思うよ。あれだけの水を蒸発させられたんだもの」

「すると、問題はイメージの方か……」

 話ながら流木のボートは流れくる流を華麗に回避し、白い航跡を残して勢いよく進んでいた。いくつもの集落を通り越し、ひたすら流れの上流を目指す。そんな二人を青人たちが目を丸くして見送っていた。その中には村長夫婦の姿もあった。

「スーパーマンみたいに飛ぶなんて、イメージするのは簡単だと思うけど。……まさか、知らないの。スーパーマン?」

「まさか。映画は何本も見ているよ」

「確かに、分かっていても出来ないことはあるよね」

「技術がついて来ないとか、精神的な抵抗がある、といったところかな」

「トラウマでもあるんじゃない」

「アッ!」

 流木のボートが急停止した。

「村はずれだ」

 それまでの道は深い森の前で途絶えていた。大量の水は、大木と大木の間、茨のような低木を押しつぶしてゴンゴンと流れ込んできているのだった。

 クライヴはジルとトルガルを高床式の家のデッキに降ろすと、自分は流木のボートを操って森の大木に寄せると登って行った。

「身軽で羨ましい」

 ジルは、大木を上る彼の背中を目で追っていた。大木の上から地形を読んで、水の流れを変えようとしているのだ。それは分かるが、どうやって?……具体的な方法は見当もつかない。

「ドトン、クッサク!」

 そんな声が轟いたのは、クライヴの姿が大木の木の葉の影に消えてしばらくしてからのことだった。

 ドトン? クッサク?……そんな単語はジルの知識にはなかった。オトン親父クッサ臭い、という単語ならあるのだけれど。

「アッ!」

 目に飛び込んで来たものに驚いた。水の流入が止り、水流の中から土壁が姿を見せた。彼は森の内側の地面を削り、その土を大木と大木の間に積み重ねたのだ。

「魔法って、便利だな、何でもアリだ」

「ブヒ」

 ジルとトルガルはただ感心していた。

 しかし、土壁ひとつで全てが終わったわけではなかった。水は流れを変えて、次の大木と大木の間から流れ込んでくる。

「あぁ、ダメかぁ」

「ブー」

 ジルは失望したが、クライヴは違った。

「ドトン、クッサク!」

 再び声がして、隣の大木との間に新たな土壁が築かれた。

 水の流入は止り、再度、流れが移動する。

「ドトン、クッサク!」

 クライヴは移動したのだろう。その声は隣の木の上からした。彼の大水との戦いは続いた。水の流入地点が変わる度に、彼はその場所に移動して土を掘り、壁を築いた。その度に彼の声は小さく霞んでいった。度重なる魔法の使用で、体力が削られているのに違いなかった。

「クライヴ、大丈夫かな」

 ジルは心配だった。魔力の使用が彼の肉体にどんな影響を及ぼすのか分からない。

 彼の声が十度も轟いたとき、水の流入は完全に止った。流水は、村を通らない方向に流れを変えたのだ。

「水を抑え込んでくれたのは、勇者クライヴ殿ゲロロ?」

 いつの間にやって来たのか、ジルの隣に長老トロロが立っていた。

「はい。みんなのために頑張ってくれています」

 やって来たのはトロロだけではなかった。濁流が減少したことに気づいた青人たちが、その原因を知ろうと、泥まみれの姿で集まっていた。

「伝説の勇者、万歳ケロロ」

 クライヴが濁流を止めたと知って、彼らは声を上げた。

 ところが、得意げに戻ってきそうなクライヴは戻らない。

「万歳ケロ!」「万歳ケロ!」

 歓喜の声が響く中、「ブヒッ」と鳴いてトルガルがパタパタと飛んだ。

 クライヴを捜しに行ったのだ。……ジルには分かった。自分にはできないことがトルガルにはできる。クライヴもそうだ。人間の形を手に入れたけれど、自分は相変わらずただのブタだ。……ジルの中を空虚な風が吹いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る