第16話
ジルたちは村長夫婦に礼を述べて家を出た。
外は薄暗くなっていた。灰色の空を鈍く光る風車の羽がよぎる。その小屋の戸口には蛍光灯に似た照明が灯っていた。
「村長とマメさんは意見が異なるのね」
印象を話しながら高床の階段を下りた。
「村長は帝国のいいなりケロ」
彼女が悔しそうに応じた。
「あの風車は発電用なんだね?」
薄暗い道を歩きながら、わずかな明かりに目をやって尋ねたのはクライヴだった。
「ケロ、電気は必要なものケロ」
「スマホの充電はできるかい?」
「スマホ?……それって、なにケロ?」
「これ、こういう通信機」
彼は背中からリュックを下し、スマホを取り出して見せた。相変わらず〝圏外〟の文字が浮かんでいる。
「通信機ケロ、ほえ?」
彼女は首をかしげた。この世界に通信という概念はないのかもしれない。
「基地局があれば遠くの人間と話もできるし、写真を撮ったりもできる」
彼はカメラを起動するとマメの写真を撮って見せた。
「ほえ?……ワシ、ケロ。すごいケロ。やっぱりワシは美しいケロ」
そうかな?……ジルは笑みをかみ殺す。
「で、充電なんだけど」
「ム、ム、難しいことは分からんケロォ!」
マメは奇声を上げ、首を振った。
「ワシはただの美女ケロォ! 責めないでケロォ!」
彼女が半泣きでしゃがみこんだ。
「せ、責めてるんじゃないよ」
「ワシは電気なんてぇー……ケロロ!」
「ヴヴィヴ、ヴァブヒヒブ(クライヴ、泣かすな)」
「わ、分かった。分かったから、マメさん、叫ばないで」
クライヴが両手を合わせて拝むと、スッとマメの表情が元に戻った。
「そうだケロ。チャマに訊くケロ」
彼女はポンと手を打つと何事もなかったように歩き始めた。
「チャマ、誰?」
尋ねると、マメは道を曲がった。その先にあるのは風車小屋だ。
「チャマ、風車小屋の管理人ケロ。村の中で電気に一番詳しいケロロ」
「あぁ、それは後でいいから、先に家に行かない。もう暗いし、それに足が痛くて」
思い切って告白すると、彼女が足を止めた。
「旧人は身体が弱いケロロ? 魔法も使えるのに」
「マメさん、英雄クライヴは特別だよ。それに俺たちは旧人じゃない。人間、うんと……日本人だ」
クライヴが得意げに言った。
「日本人? ナニそれケロ?」
「地球の東洋、その東端の国が日本だ」
「日本に住んでいるのが日本人、……あれ?……日本にはアメリカ人も中国人も住んでいたね」
ジルは晴夏の記憶の矛盾に戸惑った。
「細かいことはどうでもいい。とにかく、俺たちは旧人でも原始人でもないんだ。地球という異世界から来た日本人だ。そして腹がすいている」
クライヴの話に合わせたように仔ブタの腹の虫がグーっと鳴いた。
「分ったケロ。それじゃ、いったんゲストハウスへ行くケロ」
マメが歩き始める。
「でも、どうして異世界から来たケロ?」
「それは、神様の気まぐれだな」
クライヴの視線がジルに向いた。ジル自身が、異世界行きを神に願ったことになっている。
あたりは暗くなっていて、ジルもマメもクライヴの視線には気づかなかった。
「あれがゲストハウスケロ」
マメが指したのは小さなコテージだった。暗闇の中にシルエットがぽかりと浮いている。
「掃除はしてあるケロ」
彼女がドアを開けた。鍵が帰られていないところを見ると治安は良いのだろう。
マメが壁際のスイッチを押す、明かりがともり、室内がまんべんなく照らされる。そこはキッチンのあるリビングのようで、照明や冷蔵庫、エアコンといった家電は備わっていた。テレビ、電話、パソコンのようなものは見当たらない。他には木製のドアが二つ。
「あぁ、腹減った」
クライヴが床に座り込んだ。
「足が棒のようだよ」
ジルも足ふきマットの手前でスニーカーを脱いで腰を下ろした。床に大の字になって手足を伸ばすと気持ちが良かった。じんわりと足の裏から疲労が放出していくようだ。
「では、ワシが夕食を作るケロ」
マメがキッチンに立った。
――トントントン、……ジュッ――
野菜を刻む音がし、油の焦げる良い匂いがする。
――ギュルルルル――
トルガルの、クライヴの、ジルの腹の虫が鳴いた。
スープを火にかけたマメはゲストハウスをいったん出て、姉妹を連れて戻った。姉妹はよく似ていた。彼女らの手にはバケットとバナナやマンゴーに似たフルーツの入った籠があった。
「よろしく、妹のアズキケロ」
「こちらこそ、お世話になるよ」
クライヴは彼女の手を握って目じりを下げた。
「ケロロ、食事ができたケロ。召しあがれ」
バケット、野菜炒め、野菜スープといった料理がローテーブルに並んだ。
ジルは野菜スープで唇を濡らし、のどを潤すとバケットをかじった。とても美味しい。
「どうケロ? ワシ、料理は得意ケロ」
「美味いよ」「ブヒ」
クライヴとトルガルは応える時間さえも惜しそうだった。ガツガツと野菜炒めを食べ、バケットをスープで胃袋に流し込んだ。
「お腹がすいていたようケロロ?」
アズキが子供を見るように微笑む。
「大ミミズを食べただけだったからなぁ」
「大ミミズを食ったケロ?」
マメが目を丸くした。
「食べては拙かったの?」
「ゥヴ―ゥブ(美味かった)」
「マメさんたちは食べないのか? 見た目は悪いけど、美味かったぞ」
クライヴが給仕に徹する彼女に尋ねた。
「大ミミズは大地の精霊の使徒ケロ」
「わー、そうなんだ……」
大ミミズを食べた自分たちに対する反感が生まれたらどうしよう?……ジルはマメとアズキの様子を窺った。
「獣人たちも大ミミズは食べないけれど、旧人は食べるケロロ?」
「旧人はどうか知らないが、俺たち人間だって、他に食えるものがあったら食わないぞ。他に食べられるものがなかったのだ」
「きっと祟りにあうケロ」
「ヴゥヴゥヒヒヴゥ!(祟りなんていやだぁ)」
トルガルが床を転がって悶えた。
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