第10話

 大ミミズがいきなり動いたため、ジルは大ミミズにまたがる形になった。思わず胴体にしがみつき、まるであばれ牛に乗ったカーボーイのようだ。

 なんてどんくさい肉体だ!……ジルは恨み嘆いた。

「臭い!」

 しがみついた胴体は粘液でぬめっているだけでなく臭い。

「キモイ!」

 声を上げたところで状況が変わるわけではなかった。

 ――ゥオーン――

 大ミミズが鳴くのを初めて聞いた。それはただの巨大なミミズではなかった。蛇が鎌首を持ち上げるように、それまで水中にあった頭部をもちあげて鳴いた。

「ヴヒ……」

 大ミミズの頭部がぶつかりそうになり、トルガルが慌てた。手足と羽をバタバタさせて急旋回。激突を避けた。

 ――オーン――

 当然ながら大ミミズの頭部に目や耳はなかった。水生昆虫に襲われて傷ついた様子もない。それは鋼鉄のような黒褐色をしていて丸い口には無数の鋭い歯があり、猫ほどの大きさのゲンゴロウに似た水生甲虫が突き刺さってもがいていた。まだ足は動いている。

 ――ヅヅゥン――

 頭部が地面に落ちると大地が揺れ、大きな音がした。

「どうやら逆だったようだ。大ミミズは襲われていたのではなく、でっかい虫を食っていたみたいだ」

 クライヴはヒョイと飛んで後退し、頭部の直撃を避けた。

 ジルは手が滑って大ミミズの胴体から落ちた。元いた側だ。立つのももどかしく手足を使って、まるでブタのように、いや赤ん坊のように這って逃げる。

 大ミミズはジルの気配を察したのか、巨体を伸縮させて彼女の後を追った。

「やだ、食われる……」

 背後に迫る巨大な口に、ジルの身体はすっかり歩き方を忘れたようだった。

「火弾!」

 クライヴは胴体や頭部めがけて火弾をいくつか撃ちこんだ。

 それは大ミミズの粘液を乾かして動きを止めるものの、一瞬のことだった。新たに沁みだす粘液で表皮は元に戻ってしまう。

「クソ!」

 木刀で叩いてみたところで、まるで自動車のタイヤを叩いているようで手応えがなかった。

 大ミミズの無数の歯が、じわじわとジルの尻に近づく。

「他の魔法は思いつかないの?」

 あれほど話してやったのに!……昨夜のことが、遠い昔のようだ。

「お前こそ、立って逃げろ。こんなノロマに追いつかれるはずがないだろう!」

「ブヒ!(そうだ)」

「分かっている。でも、腰がたたないの!」

 ジルは、四つん這いのまま懸命に逃げた。

「風切」

 クライヴが言葉と同時に手刀で切る真似をした。するとその手元から風の刃が飛んで大ミミズの表皮をサクッと切り裂いた。切り口がパックリと広がると、ピンク色の肉が見えた。

 ――ゥオーン――

 大ミミズが鳴いた。

「効いた」

 クライヴは気を良くして連発する。

「風切、風切、風切」

 いくつもの空気の刃が大ミミズを襲った。しかし、大ミミズが鳴いたり、行動を変えたりすることはなかった。どこまでもジルの後を追う。風切によって生じた切り傷も、ほどなく元通りに戻った。

「回復力が半端ないな……」

 彼は額に指をあてて思考した。

「風切」

 そうして打ち出した魔法も、やはり風切だった。

「火弾」

 風を追って火の弾が飛ぶ。

 風切がつくった傷口を火弾が焼いてジュワッと煙が上がった。

 ――ゥオーン――

 大ミミズは鳴いただけでなく、進行方向を変えた。

「ヨッシ、効いたぞ」

 クライヴは小さくガッツポーズを決めた。そして何かを思いつき、「ヨシッ」と声にした。

「クライヴ……」頑張って、とジルは祈りながら後退する。

「刀火弾」

 それは灼熱の刃だった。大ミミズを襲った風火弾は、その胴体を切り裂くと同時に体内を焼いて組織を破壊、大ミミズの優れた再生能力を阻止した。

「刀火弾、刀火弾……」

 傷口を狙って刀火弾を繰り出す。

 ――ジュワ――

 体液が蒸発する音に混じって肉の焼ける匂いが立ち上る。……のたうち逃げ惑う大ミミズ。

「刀火弾、刀火弾……」

 同じ言葉を七度発した時、大ミミズの胴体が切断された。

 二つに分かれた胴体は、まだジクジクと動いている。生きようとしているようだ。

 大ミミズの切り口から、足の欠けた水生甲虫が一匹、もぞもぞと這い出した。

「グギグググギガフギ」

 それは怪しげな声を発した。

「ブヒグブヒヒッヒ(礼には及ばないよ)」

 トルガルは彼の言葉を理解していた。

 水生甲虫は五本の足で、ぎごちなく水辺へ向かっていった。

「あの虫が礼を言ったんだね?」

 尋ねると、仔ブタが「ブヒ」と応じた。

「トルガルは虫の言葉が分かるのか?」

「そうらしいね」

「ジルはトルガルの言葉が分かる。すごいな」

「魔法が使えるクライヴのほうがすごいよ」

「俺様は英雄だからな」

 彼は口角をあげた。

 大ミミズに目をやる。頭部はピクリともしないが、心臓のある身体は動きこそ止まったものの、まだ細胞分裂を続けていた。

「まだ生きているのか?」

 彼の眉間にしわが寄った。

「ミミズは身体がちぎれても、頭側は再生できるんだよ」

「そうなのか。さすが農園の娘だ。ミミズにも詳しいな」

 クライヴはジルのハートにチクリと傷をつけ、右腕を大ミミズの口がある方の胴体に向けた。

「刀火弾!」

 声を発すると、彼の手から炎の刃が生じて宙を走る。それは大ミミズの切り口から胴体に侵入して縦に切り裂く。

 ――ジュワ――

 体液が蒸発し、肉の焼ける匂いが立ち上る。

「ヴヒーィーン(良い匂い)」

「ウン、カルビ焼の匂いだ」

「本来のミミズは、ほとんど肉がないんだけどね」

 ジルには、セフィロスとしてミミズを口に含んだ時の記憶があった。ブタは雑食だ。

「ヴゥー?(食う)」

「食べられると思う?」

 匂いは良いが、食えるとは限らない。毒があったり、寄生虫や細菌がいたりする可能もある。

「焼けた所なら、大丈夫じゃないか?」

 ジルとクライヴが検討している横で、仔ブタは大ミミズにかぶりついていた。

「トルガル、相変わらず意地汚いぞ。やっぱりブタだな」

「ブヒヴ―ブー、ブヒヴブルブルブーブー(ボクだってイヤだけど、身体が勝手に反応して食べるんだ)」

 トルガルが昨日と同じことを言った。

「まあ、トルガルが平気そうだから食べてみよう」

「だな……」

 二人は肉を引き千切って口へ運んだ。

「美味いけど、薄味だ」

「だな……。塩気が欲しいな。森に入ったら作ろう」

「塩、作れるの?」

「美味くはないが、それらしいのはつくれる」

「流石、忍者だね」

「いいや、俺は英雄だ」

 二人と一匹は大ミミズの肉で腹を満たすと、川の上流を目指した。

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