初夜

第5話

 佐祐と仔ブタが見たという川には、なかなかたどり着かなかった。ギラギラ光る太陽のもと、セフィロスののどはカラカラだった。仔ブタも同じようだ。肌をピンク色にし、鼻で荒い息をしていた。佐祐はといえば、鍛錬の成果でもあるのだろう。すました顔で歩いている。

 一時間も歩くと幅三メートルほどの流れにぶつかった。水は澄んでいて川底の小石や水草がはっきり見えた。魚や虫のようなものはいない。

「水だ。これで一安心だね」

 セフィロスは膝を折り、水をすくった。それを口に入れようとすると、「待て」と佐祐が制した。両手の中から水がこぼれる。

「どうして?」

 セフィロスは彼に向かって口を尖らせた。

「川に魚がいない。毒性があるのかもしれない」

「ゲッ……」

 意外な答えに、セフィロスは感動していた。佐祐は、いや、忍者はすごい!

「ブヒッ!(何よ)」

 突然、佐祐に抱えられて仔ブタが声を上げた。

 彼は、仔ブタの顔を流れに突っ込んだ。

「ヴ……」水に沈んだ仔ブタの周囲から泡が浮く。四本の脚は助けを求めるように宙をけり、丸っこい肉体は左右に揺れた。

「どういうつもりだ?」

 彼は気が狂ったのだろうか?……セフィロスは彼を止めるべきかどうか迷った。自分の身体が溺死してしまうかもしれない。

「テストだ」

 彼はそう応じると仔ブタを流れから持ち上げた。

 ――ゲェ、ゲェ――

 仔ブタは水を吐き、激しくせき込んだ。その様子を彼は真顔で観察している。

 ボクの肉体は助かるだろうか? 助からなかった場合、ボクの中の晴夏の魂はどうなるのだろう?……セフィロスはドキドキ鳴る晴夏の胸を抑えた。

「ブヒッ、ブ、ブ、ブヒブヒヴヴヒ、ブブブー(な、なんてことするのよ)」

「オッ、問題なさそうだな」

 佐祐が笑った。

「ブゥブゥブヒッヒ(死んだらどうするのよ)」

「怒ってるよ」

「そうか、悪い」

 そう言うと佐祐はかがんで水を汲んだ。

「ヴヒ‥‥‥」

 仔ブタは草むらでまん丸になる。水はたらふく飲んだようだ。

「ボクも……」

 セフィロスは仔ブタを見ないようにして水を汲んで飲んだ。冷たいものが体内を下っていく。

「……美味い」

 自然に声が漏れた。

 その時だ。 何処からともなく声がした。

「私を食べて」「私を食べて」「私はおいしいよ」

「誰?」

「何だ?」

 セフィロスと佐祐は頭をあげ、声の方に目をやった。それは流れの向こう側、深い葦の茂みの中から聞こえてくる。

「私を食べて」

「誰だ?」

 佐祐が尋ねた。

「私は美味しいイロカボチャ」

「イロカボチャ?」

 彼の視線がセフィロスに向いた。

 カボチャは知っている。晴夏の記憶にそれはあった。

「食べられるのかな?」

「カボチャがしゃべるか?」

「異世界だから、可能性はある」

 記憶によれば、異世界では何でも〝アリ〟なのだ。

「ヴーヴ(アリだね)」

 さっきまで拗ねていた仔ブタが隣にいた。

「行ってみよう」

 ――ジャブ――

 佐祐が右足を流れに沈めた。スニーカーやGパンが濡れるのもかまわないようだった。

 セフィロスは彼の後を追った。スカートが濡れないように、少し裾を持ち上げた。

 ――ジャブジャブ、ジャブジャブ――

 川は浅く、二人の膝を濡らすことはなかった。

 ――ブヒ――

 仔ブタは犬かきでセフィロスを追った。

「私を食べて」

 相変わらず、草むらから声がしていた。

「ああ、食ってやるよ」

 そう応じながら、佐祐は岸に上がった。背中に差していた木刀を抜いて、戦う準備を始めていた。

 桃千君、警戒しすぎだよ。……彼の背中に無音の声をかけた。岸に上がると靴の中の水がぐにゅぐにゅいって気持ち悪い。

 彼が草むらを掻き分ける。その先は公園の砂場ほどのちょっとした空間だった。

「アッ……」

 目の前に緑と黄色、赤色のカボチャの実があった。

 赤色の実が丸い目をぱちくりさせ、「私を食べて」と言い、黄色の実が「私は美味しいよ」と言った。緑色の実は違った。「私は不味いから食べないで」と訴えた。

 三つの実をつないだ太い蔓が波打ち、実が跳ねるように踊り、言葉を発した。

「私を食べて」

「私は美味しいよ」

「私は不味いから食べないで」

「カボチャがしゃべっている」

 思わずつぶやくと、「違う!」と黄色の実が言った。

「私はイロカボチャ、おいしいイロカボチャ!」

「そ、そうなんだ。ごめん」

 思わず謝った。

「分ればよろしい」

 黄色の実は満足げだ。

「ヴヒッ!!!」

 仔ブタが絶叫した。

 振り返ったセフィロスと佐祐が見たものは、カボチャの蔓に巻き付かれて動けなくなった仔ブタだった。

「こいつ!」

 佐祐が木刀で殴りかかった。それを、仔ブタに巻き付いた蔓はしなやかに受け流し、木刀は空を切った。

「エイッ!」「トウ!」

 佐祐は攻撃を繰り返す。

 しかし、すべての攻撃を蔓がかわした。ともすれば仔ブタを盾にしてそれを防いだ。

 セフィロスは立ちすくみ、ただ彼の戦いを見守ることしかできなかった。

「アハハハハ」「エヘヘヘヘ」「イヒヒヒヒ」

 三つのカボチャの実は笑った。

「仔ブタは柔らかくておいしそうだぁ」

 赤い実が言った。

「そっちのお嬢ちゃんも柔らかそうだ。特にオッパイがぁ」

 緑の実が下卑た笑みを浮かべた。

「お兄ちゃんはダメだぁ。筋肉が固そうだぁ‥‥‥」黄色の実が嘆くように言う。「……だから、殺しちゃいなぁ!」

「そうだそうだ」

「それがいい」

 赤と緑の実が呼応した。

「ヨーシ、首をねじ切ってやろう!」

 声とともに、何処からともなく別の蔓が伸びてきて佐祐に襲い掛かった。一本は彼の頭を、別のものは腹を、もう一つは足を狙った。そしてもう一本、それはセフィロスに巻き付き、柔らかい胸を絞り上げた。意外と巨乳だ。

「エッ。やめろぉ」

「ブヒヒィ!」

 セフィロスと仔ブタは宙に持ち上げられた。下を見れば、蔓の根元は実と別なところにあり、血を塗ったような深紅の巨大な花が、道路のマンホールのような大きな口を開けていた。口には黒色と白色の牙が並んでいて、セフィロスが落ちてくるのを待っているようだ。開け閉めする口からは、シャキシャキと上下の牙の当たる音がする。

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