第4話

「勝ったぞ、これでレベルが上がったり……」

 佐祐は何かを待つように動きを止めた。

「レベル?」

「ロープレの世界なら、魔物を倒したら経験値が増えるだろう?」

「あ、ああ、そうだね」

 晴夏の記憶からロープレといった言葉とその意味を慌てて探した。

「初期段階なら、レベルが上がるのは早いはずだ」

「ふむ……」晴夏の記憶では、最初の戦闘でレベルが上がったゲームが少なくない。

 シン、と静寂が続いた。ゲームのように、レベルが上がったというメッセージが現れたり、ジングルが鳴ったりすることはなかった。

「……無理みたいだな」

「うん。リズには逃げられたしね。倒したとはいいがたい」

「殺さないといけないのか?」

「ボクが知るはずないだろ」

「野原が願った異世界じゃないか」

「ここはボクが願った世界ではない!……と思う」

 仔ブタに視線を走らせた。それは面白くないらしく、背中を見せた。

「……でも、忍術、すごいんだな。火も使えるんだ」

 セフィロスは心底、感心していたから、それを素直に伝えた。

火遁かとんの術、というのは噓だ。魔法だよ」

「魔法?」

 晴夏の知識にリアルな魔法はなかった。あるのはゲームの中で使われる魔法の情報だ。

「さっきは言わなかったけど、野原が異世界に行きたいと願ったように、俺は魔法が使えるようになりたいと願ったんだ。それがさっきの魔法だ」

「そうなのか……」

 晴夏は異世界に行きたいと願い、佐祐は魔法が使えるようになりたいと願い、ボクは人間になりたいと願った。それが今の結果なのか?……セフィロスは足元にうずくまる仔ブタの背中に目をやった。小さな羽がファンタジーをリアルのものにしていた。

「ボクのブタを守ってくれてありがとう」

 セフィロスは佐祐に向かい、改めて礼を言った。

「ブブヒヒ(ありがとう)」

 仔ブタも思い出したように鳴いた。

「礼を言うことなんてない。そのブタは、俺たちにとっても貴重な食糧だ」

「エッ?」

「この世界で食料が見つからなかったら、そいつを食うしかない。逃がすんじゃないぞ」

「ああ、そういうことか……」

 こいつ、ボクを食うつもりなのか。……背筋を悪寒が走った。

「ブゥー……」

 仔ブタの晴夏が鼻で不満を表した。

 同じ気持ちなのだろう。今なら、彼女もボクの気持ちが分かるだろう。……セフィロスは入れ替わった彼女に同情した。

「何をブーブー鳴いているんだ。いずれ俺様が、魔法の炎でこんがり焼いて食ってやるからな」

 佐祐が仔ブタの頭をなでながら屈託のない笑みを浮かべた。

 ボクが食われないように、ボクは食べ物を見つけなければならない。それとも、元の世界に戻るか? 戻る? 戻れる? いや、戻ったらボクはに送られてしまうんだった。……絶望的な気持ちになってイチョウの大木を見上げた。

 神さま、ボクはどうしたらいいのでしょう?

「まずは水だ」

 それは神の声のように聞こえたが、言ったのは佐祐だった。

「エッ?」

「生きていくためには、水を確保することだ。食べ物は、その次だ」

「あ、……ああ、そうだね」

 言われてみると喉の渇きを覚え、無性に水が飲みたかった。

「リズが逃げた方に行けば街があるはずだよ」

「あんな危険な連中がうじゃうじゃいるところに行けると思うか? おちおち休んでもいられないよ」

「それはそうだね」

 正直、仔ブタの身体を危険にさらさずにすむと分かってホッとした。

「川があるか、見てみよう」

 佐祐がイチョウの木に取りついて登りだす。ジリジリと幹を上り、枝に届くと、そこからは早かった。

 セフィロスは一番下の枝にさえ手が届かない。自分には無理だと思った。

 パタパタと軽い音がして仔ブタが宙に浮いていた。音は、背中の小さな羽が風を起こす音だ。

「飛べるのか?」

 セフィロスは羨ましくて仔ブタを見上げた。自分は人間になったものの、他に目新しい能力がない。

 仔ブタの姿をした晴夏はあっという間に佐祐を追い越してイチョウの木の先端に達していた。

「ヴヴヒヴブブブ、ブヒブヒヴヒブー(川が見える、太陽の方角)」

「南に川が見えたらしい」

「野原、ブタの言葉が分かるのか?」

 佐祐の姿はイチョウの葉で見えなかったが、声がした。

「まぁ、なんとなくだけど」

「ほう……」

 佐祐は枝を上り続けた。仔ブタの言葉が信じられないのだろう。いや、野原の言葉を、かもしれない。

 しばらくの間、セフィロスは樹上を見上げていた。佐祐がどこにいるのかは分からなかった。木の葉は風に揺らいでいるが、それは彼がいる場所ではなかった。

 どれだけ時間がたっただろう? 一番下の木の枝がガサゴソと揺れ、佐祐が姿を見せた。一番下の木の枝といっても背丈の二倍ほどもあるその場所から、彼はふわりと飛び出して地面に着地した。トンと小さな音がした。

「流石、忍者だね。9.99」

 晴夏の記憶の中から着地が見事だったオリンピック競技の、鉄棒の評価を使った。

「当然だ」

 彼は得意げに応じ、上を見上げた。

「ブタ、逃げないか?」

「さあ、大丈夫だと思うよ」

 自分の肉体を置いて彼女がどこかへ行くとは思えない。

 ――ピー……――

 高い音がした瞬間、「ヴヒ!」と声がして仔ブタが落ちてきた。セフィロスは慌ててそれをキャッチ。次に見たものは巨大な鷲が迫る姿だった。

「キャツ!」

 小さな悲鳴とともに首をすくめる。頭上を大鷲がかすめて飛んだ。

「火弾!」

 佐祐が気合とともに火球を発した。それが当たり、大鷲は、ピーと鳴いて大空に飛び去った。

「リス女といい、大鷲といい、危険な世界のようだ。安全な場所を探さないといけないな」

 彼はそう言うとひざ丈ほどの草を掻き分けて南へ向かった。

「これからどうするんだい?」

 セフィロスは佐祐の背中に尋ねた。この世界で生きていくにしても、元の世界に戻るにしても、無力な自分ができることとは思えない。彼にすがるような思いだった。

「どうするって?」

「ここで生きていくのかい?」

「異世界行きを願ったのは野原だぞ」

「あ、……うん……」

 セフィロスは振り返った。仔ブタがちょこちょことついてきている。大鷲に襲われたからか、あれから飛んではいない。

「戻る方法が見つからないなら、ここで生きていくしかないだろう」

 彼の言葉は力強かった。

「うん、そうだね。ごめん、ボクのために……」

「謝るな。意外と俺、ワクワクしているんだ」

 彼は振り返り、ニカッと白い歯を見せた。それは一瞬のことだった。彼は再び歩み始める。

「どうして異世界に来たかったんだ?」

「リアルなんてクソじゃないか。汗水たらしてブ、……ブタの世話なんて……」

 晴夏の記憶を告げた。

「口が悪いな。野原、そんなだったか?」

「あ、いや。きっと動揺しているんだ。自分で臨んだこととはいえ、まさかこんな風になってしまうなんて。桃千君、これからどうすべきだと思う?」

「水を手に入れ住まいを作る。すべてはそれからだ」

 すごいな。……セフィロスには感嘆しかなかった。

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