第3話

「あれは?」

 セフィロスは見た。草原の端に、林を出てきた小さな影がある。つばの広い真っ白な帽子をかぶり、白いシャツに赤いロングスカート。肩から小さなバッグを下げている。

 スキルやアイテムをくれる神かもしれない。……セフィロスの期待が膨らんだ。同時に、家畜としての警戒心が危険だとささやいていた。目に映る人物の姿は、あまりにも景色から浮いて見えたのだ。

「人だ。行ってみよう」

 忍者の末裔、佐祐の動きは早かった。さっと走り出す。

「神さまかもしれないな」

 セフィロスは彼を追った。「ブヒ!」……仔ブタも、また追った。

 白い帽子の女性もこちらに気づいて近づいてくる。

「なんだかおかしいぞ」

 彼女の目鼻立ちが見えた時、佐祐が言った。

「人ではない」

 遠目には人間の女性だったけれど、近づくと顔は人間のものではないと分かった。

「顔はネズミだ?」

 二人と一匹は半獣半人の前で足を止めた。

「むかっ! リスよ! この可愛らしさが分からないの?」

 帽子の横に突き出した耳がクルクル動き、クリクリとした目が輝いた。

 彼女の背丈はちょうど晴夏と同じくらいで、佐祐よりは頭一つ分小さい。白いシャツは豊かな胸で張り裂けそうだ。

 ゴクンと喉を鳴らした佐祐の視線は彼女の胸に釘付けだった。

 どうやら言葉は通じるらしい。……セフィロスは安堵した。

「ブヒッッ、ブヒーヴゥブブー(やっぱり、ここは異世界)」

 仔ブタの声が喜んでいた。

「可愛らしい?」

 佐祐が疑問を口にし、意見を求めるように晴夏の顔をしたセフィロスに向いた。

「ヴヒ、ブヴヒー(私の方が可愛いわ)」

 セフィロスは仔ブタの話を無視、佐祐に応じる。

「可愛いというには大きいかな」

「黙れ、ブタ。……私はリス人間のリズ。こんなところで人間に会ったのは初めてだよ」

 リズは、仔ブタの言葉が理解できるようだった。

「リズさん、あなたは女神なのかい?」

 セフィロスは率直に尋ねた。

「そうだ、スキルとかアイテムをくれる神様だろう?」

 佐祐がダメを押す。

「神?……まさかぁ、私はリズ、アメリア帝国皇帝の孫娘よ」

「それって、すごいのか?」

「すごいに決まっているだろう。この世界の三分の一は、おじいちゃんのものなんだから」

「この世界は、リス人間のものなのかい?」

 佐祐が率直に訊いた。

 セフィロスは、そんなはずがないと思っていた。彼女は、こんなところで人間に会ったのは初めてだ、と言ったのだから。

「いいや。いろいろな人間がいるよ。オオカミ人間とかネコ人間とか、ニワトリ人間とか、アオ人間とか」

「アホ人間?」

「アオだ。肌が緑色をした植物人間だ」

 それならアオ人間ではなくミドリ人間ではないか?……セフィロスは思った。

「俺たちみたいな普通の人間は?」

 佐祐が尋ねた。

「俺たち?……いるよ。どこかにね。とても普通とは言い難いが」

 リズが鼻で笑った。

「こんなところで人間に会ったのは初めてだと言ったよね。前に会ったのはどこだい?」

 異世界に飛び込んで冒険者を気取るにしても、頼りになる人間のいる場所は知っておくべきだろう。

「知りたいのかい?」

「ああ、頼む。教えてくれ。そこに行きたいんだ」

 佐祐も同じ気持ちなのだろう。リズに頼んだ。

「フーン‥‥‥」リズは仔ブタに目をやった。「……そのブタはお前たちのペットか?」

「いいや、家畜だよ」

 セフィロスは冷たく応じた。なぜなら、晴夏と父親が話していたのをその日の朝聞いたのだ。もう少し大きくなったら、してハムにすると……。それで農園を脱走した。

「そうか。なら、私が食べてもいいな」

 リズが仔ブタに手を伸ばす。彼女の小さな口が左右に大きく裂けて、およそリスらしくない鋭い牙が、何本もむき出しになっていた。

「ブヒヒィ!(助けて)」

 仔ブタは驚いてセフィロスの陰に隠れた。

「やめろ!」

 佐祐がリズの手を払いのけた。

「家畜は食うためにあるのだろう?」

「そいつは野原の家の家畜だ。初対面のあんたが食うのはおかしいだろう」

「フン、この世界では、情報には対価がいる。人間の居所が知りたいのなら、そのブタを食わせなさい」

「おまえ、肉食なのか?」

 佐祐が驚いていた。

「何でも食うよ。人間だって……」

 彼に向いたリズの牙が煌めく。

 セフィロスは、思わず佐祐の後ろに隠れた。佐祐が腰に差していた木刀を構える。

「……無駄な抵抗はするな。体は大きくても、お前は私には適わない」

 言うや否や、彼女が動いた。赤いスカートが傘のように開いたかと思うと、中から白い足が伸びて佐祐の腕から木刀を蹴り飛ばした。それはクルクル舞って十メートルも離れた場所に落ちた。

 佐祐が数歩後退して距離を取る。

「いてぇな……」

 手首を抑え、表情を歪めた。

「言っただろう。私は獣人、強いのよ。ただの人間が適うことはないの」

 リズは得意気だった。

 しかし、佐祐は落ち着いたものだ。

「それはどうかな」

 怪しげな笑みを浮かべると、リズに向かって左腕を伸ばす。そして、その掌を向けた。

「火弾!」

 言葉が終わると彼の掌から火の玉が飛んでリズの胸を直撃、彼女は数メートル後方へはじけ飛んだ。

「……ゥグッ……」

 火弾が当たった場所を抑えたリズ。そこから火が燃え上がり、シャツを焼いた。彼女は慌てて胸を隠す。

「このエロ変態人間がぁ‥‥‥」

 その瞳に、先ほどの自信は見られない。

 忍術、恐るべし!……セフィロスは目を丸くした。

「手加減してやった。お望みとあれば、丸焼きにしてやるが、どうする?」

 佐祐が言葉で威圧する。

「お、覚えてろ!」

 リズは捨て台詞を残し、脱兎のごとく森の中へ駆け消えた。

「ヴヒヴヒヒブー(ざまあみろ)」

 仔ブタが笑った。

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