第9話 エッチな兄貴

 時刻は深夜の三時。


 俺は既に寝ているであろう兄貴を起こさないよう、小声で「ただいまぁ」と呟き、玄関を潜る。


 なるべく足音を立てず、靴からスリッパへ。


 通路を進み、キッチンがある大部屋へと向かう。


 今日は各自の夕食。


 デリバリーを呼ぶのも面倒だ。


 インスタントで済まそう。


 それからシャワーを浴びて、明日の仕事の準備をして、寝よ――…、


―――はぁッ…はぁ、……あぅッ…お゛…うぅッ…アッ。


 抜き足、差し足、忍び足。


 大部屋の扉の前まで来たところ。


 扉の奥から兄貴の喘ぎ声。


 俺は足を止め、とりあえずシャワーを浴びることにした。


 どうやら兄貴はまだ起きていたようだ。


 悪い子である。


 そして今は、タイミングが悪い。


 空気を読んで踵を返す。


「……やめろ、俺」


 人であれば誰しもが持っている性欲。


 こうして一緒に暮らしていれば、自家発電の機会に遭遇することだってある。


 バレないよう互いにタイミングを見てやるもの。


 しかし、兄貴は超が付くほどのドジっ子だ。


 タイミングを見るのがいつも下手。


 そしてやる場所もいつもバラバラ。


 毎回、その行為に遭遇する俺の気持ちも考えてほしいものだ。


「はぁ……風呂にでも浸かるか」


 俺は十分に時間をとろうと、シャワーではなく湯につかることにした。


== 三十分後 ==


「なんだ、かえってたのかぁー」


「……」


 風呂から上がった俺。


 とりあえず、終わっているのを確認して、大部屋へと入る。


 そしたら、恍惚とした表情を魅せる兄貴と出くわした。


 てっきりやることも終わって寝ていると思っていた俺。


 不意を突かれ、思わず胸が高鳴る。


「夕食まらかぁ?、なら、一緒に喰うかぁ」


 兄貴はいつもアレが終わると、力が抜けてか舌足らずになる。


 人が酒に酔ったかのようなそんな感じだ。


 多分だが、兄貴は過敏が過ぎるんだと思う。


 余韻がしばらく残ってしまうほどに。


 尚、本人はそのことを自覚していない。


 だから、遠慮も無しにぺちゃくちゃ喋る。


 行為をして間もない状態。


 それだけでも兄貴が何してたかが分かってしまう。

 

 いや気づけよ、って話だよな。


 でも気づけないのがウチの兄貴なんだよ。


 まったく、……はぁ。


「今日はコックな俺が作りゅなぁ」


 兄貴はそう言って、キッチンの引き戸からカップ麺を取り出した。


 料理人コックとは。


「らめ~~ん、ちゅくってワクワク~」


 専用に台の上に立ち、気分よさげにインスタント麺にお湯を入れていく兄貴。


 今更だけど、手、洗った?。


「はぁ~い、完成――」


―――ドンガラガッシャ―ンっ!!。


 完成と同時に湯が入った鍋をひっくり返し、インスタント麺を吹き飛ばす兄貴。


 わかっていましたよ。


 なんせ兄貴は超が付くほどのドジっ子だからな。


 更に今は、色々と注意力が散漫状態。


 やらないはずがない。


 ならなぜ最初に止めなかったか?。


 兄貴が進んでやりたいといった行動を俺が否定するわけがない。


 人はこういう小さなところから自信をつけるもんなんだ。


 特に兄貴には必要なことなんだよ。


 まぁ、結果は悲惨に終わったが。


 時々偶に、ドジっ子だって成功するんだ。


 弟の俺が信じてあげないでどうするよ。


「兄貴、大丈夫か?」


 盛大に躓いて顔面から行きそうになった兄貴。


 当然、俺がけがをさせる訳もなく、クッションとなる。


 俺の手の中に納まり、胸元に頭を預ける兄貴。


 何が起きたのかといった表情を浮かべながら、ゆっくりと顔を上げ、その石竹色の潤んだ瞳で俺を見上げた。


「……ご、ごぺんらたい」


「いいよ、別に、そこまで腹減ってなかったし」


「…そう?」


「うん」


 背中に回した右手が離れない。


 長く、きめ細かい白髪が雑に左手に絡みついて解けない。


 上目使いで、ほんのりと頬が朱く染まる兄貴から視線が外せない。


 鼓動が尚も高鳴る。


 無意識に距離が近づいていく。


「兄貴、退いてくれるか?」


 俺は本能を理性で圧し潰した。


「うぃ」


 離れていく兄貴。


 行為後だからか、妙に艶めかしかった。


 危うかった。


 何考えてんだ、俺。


 気持ちが悪い。


 くそッ。


「もういい時間だ、後片づけておくから寝てていいぞ」


「……うぃ」


 構ってほしそうにこっちを見てきたあと、兄貴は寝室へと向かった。


「おやすみ」


「あぁ、おやすみ」


 向かったと思ったら、トテトテと戻ってきた兄貴。


 一言、夜の挨拶を交わし、再びトテトテと足跡を立てて戻っていった。

 

 小動物みたいでカワイイと思ってしまったのはここだけの秘密だ。


「…俺も寝るか」


 片づけを終え、兄貴が隠滅し忘れたであろう意味深なティッシュも捨て、俺はベッドへと横になった。


 悶々とした夜を過ごしたのは言うまでもない。


 当然、寝付けず朝。


 俺は朝食を作り、仕事に向かう。

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