第5話 スープをスラープするな
「何よ何よ何よ何よ何よ何よっ!!!!!!!!!!!!!」
アシーナ・新城・スミスは、まるで狭い空間に閉じ込められた馬のように自室をクルクルと回っていた。
「なんでなんでなんでっ!!連絡してこないのよあいつはぁ!!!!」
そう、渡した手紙にはアシーナのメッセージアプリ、そのIDを書いておいた。
会ったところでまともにお礼なぞできないだろう、と自分に対して悲しい予想を立てていたアシーナの、彼女なりのとっておきの秘策であった。
だが、その連絡が待てど暮らせど来ない。スマホをベットに投げつけてやろうかと思ったが、すんでのところで留まった。その代わり、
「どうせ暇人の癖にっ!」
と、一人で叫んで、はたと動きを止める。
アシーナの頭に1つの妄想が想起した。
「え、、、もしかして葉乃坂さんとまだ、、、、?」
時刻は19時。
こんな時間に一緒にいるわけないわよね、とアシーナは顎に手を置いて思案する。お嬢様であるアシーナにとって、休日の19時は完全に家族と過ごす時間であり、ほとんど深夜の扱いである。そうであるからこそ、毎晩21時から予定されている「あの人」との15分間の通話は、どこかいけないことをしているようで、なお恋心を駆り立てられているのだから。
「え、ちょっとやだ、2人ってそういう、、、でも恋人だから、、、きゃあああ♡ほんとに、あんなことやそんなことも?噓でしょ、、、、?汚らわしいっっ!!変態っっ!!」
そこに居ない人物に向かって罵声を浴びせるアシーナ。
と、部屋がノックの音と同時に開き、
「アシーナさん、先ほどからどうしたの?虫でもいたかしら?」
1人の女性が心配げに顔を出す。
茶色というよりは金に近い髪を肩に流して、アシーナよりもなお細く、ランウェイを歩くモデルのような、ある種病的なまでに均整が図られたその肢体。
「い、いえっ、お姉さま!大丈夫です。うるさくしてごめんなさい」
「いいのよ、元気なのはいつものことだから。でも普段はもうちょっと遅くにだから、心配になったのよ」
いつもうるさかったのか、私。とアシーナは反省する。
だってしょうがないじゃない、金城くんが恥ずかしいぐらいに褒めてくれるから、感情が行き場を失って口から出ちゃうんだもの。でも、そういえば、今日のあいつは金城くんみたいだった、、、、わよね、、、?って、そんなわけないじゃないっ!しっかりしなさいアシーナ!ありえないありえない!
と、沸騰するように一瞬で浮かれ、また不機嫌になった少女は、少しでもそんなことを思わされた京太郎にまたムカついてきた。
「本当に大丈夫?なんか表情が浮かれたり沈んだり、、、」
「大丈夫ですお姉さま、アシーナは大丈夫!」
「そう、それならいいけど、もうすぐご飯だからねってお母様が」
「はい!分かりました!」
アシーナは階段を下りていく姉を見送って、深呼吸を1つ。
それからスマートフォンの通知を確認して、まだ来ないメッセージにまたスマホを投げつけたくなる衝動を何とか抑えた。
====================================
家族との食事中、頭にあったのは三橋京太郎というクラスメイトについてだった。
入学したとき、彼は隣の席でもなんでもなく、印象としてあったのは、よく授業中に怒られているダメ学生だということだ。
「三橋、今日も予習してこなかったのか」
「三橋君、起きてください」
「お前、何こそこそ読んでんだ、没収だぞ」
そんな先生たちの声に振り向けば、いつもへらへらと「すいやせん」と笑っている金髪にピアスの男子。授業の進行も止まるし、不快でしかない存在だった。
一言で言うなら落ちこぼれ。あるいは親のすねかじり。
ただどうしても気になってならないのは、その男が苦々しくもアシーナの憧れる存在と同じ名前だったからだ。
3月、入学式の練習で1度だけ学園に登校したとき、クラス分けが記載されたペーパーを見て心がときめいた。苗字が違う、でも年齢は同じで、ここにはスポーツ特待がある。そして、自分の母親の会社はよく陸上大会の協賛をしていたから、あり得ない話ではないと思った。
彼と初めて会話をして、一緒に走ったあの大事な日のこと。
家に帰ってすぐ、母に、
「私も陸上やりたい」
と言った。
何かを母に要求することは初めてだった。なぜなら母はいつも忙しそうだったし、父は父で年々家にいる時間が少なくなり、子供心に遠慮していたのだ。
だが、陸上がしたいというその思いに関しては、心に留めておけば身が焼けてしまいそうなほど、自らの手ではもう手懐けられないまでに熱くなっていた。
「陸上?どうして?」
「あの、、、走りたいから!あの人みたいに!」
「ちゃんと根拠を示して言語化しなさい、中学3年生でしょう?」
根拠と言われても、それを素直に伝えるのは憚られた。
私には、少し体は弱いもののそれ以外は完璧な、優秀すぎる姉がいる。母の跡を継ぐのは姉だ。それは間違いない事実。
ならば、今、私に投資されている諸々は、一体何のためなんだろうと思っていた。
ピアノもバレエも塾も、母の意図が全くと言っていいほど理解できなかった。
現に、母は折に触れて姉妹にこう言った。
「ルナは私の跡を継ぎなさい。アシーナは普通に生きなさい」
そう、その言葉が示す様に、私は全く期待されていない。姉がいればこの家は十分という空気が、小さいアシーナにも、いやかえって小さいからこそ、分かりすぎるほどに分かっていた。
それだけならまだ良かった。
期待していないにもかかわらず、母はアシーナに対してなぜか厳しく当たり、管理するようだった。
「今日は何を学んだのか」
「どう感じたのか」
「いかに行動したのか」
「何を思ったか」
「どういう結果になったのか」
1日の終わりに来る質問の数々、その1つ1つに答えがあるように感じて、それでいて全く的外れな答えをしている自分がしょぼんと座っている。自分がしゃべればしゃべるほど興味を失っていく母の顔。その断絶した母娘の風景が他人事として俯瞰的に感じられ、いたたまれなかった。私ばかりがいつも何かを間違い続けて生きている感じがした。
「アシーナは普通に生きなさい」
それすら真っ当にこなせない自分がいる。
まるで監獄のようだった。
答えが分かるまで、真っ当になるまで出れない、見通しのない幽閉。
劣等感ばかりがその狭い部屋に埃のように積もる。
手足を動かして何かをしようとすると、その埃が舞ってなお己を醜く汚す。
それに比べ、母と姉はいつも仲が良かった。
母は姉に対しては例の質問攻めもしなかった。きっと完璧だから聞くまでもないのだ。そして姉にだけいつも小さな笑顔を見せていて、それがアシーナには天地がひっくり返っても信じられないことだった。
劣等感と自信のなさが、アシーナをより意固地に、真面目に、余白のない人間にした。そう分かっていても、自分には最早変えようがなかった。
さらには自分のアイデンティティもまるで欠如していた。
小学校1年生までは日本、その後アメリカで6年生まで過ごし、また戻ってきた。
向こうではアジア人と差別され、努力しても努力しても認められず、日本に戻って来てからも外国人だと後ろ指を刺された。私は誰でもない、どこにも所属していないような気がして、自分とは何なのか知りたい、認めてもらいたいと、なお色々なことにがむしゃらに取り組むこととなった。そうすればするほど、周りの人間は煙たがるように離れて行った。
だからこそ、自由に、ただ速く走ることだけを目指した彼の姿が羨ましかった。何も疑わず、ただ前に、遠くに、それが正義であり、存在意義であり、唯一の真理だというように。
アシーナは夢想せずにはいられなかった。
「今日は昨日より速く走れた」
「気持ちよかった」
「もっと速くなりたい」
「今日は負けた」
「誰よりも先にゴールしたい」
そんなことばかりで頭を埋め尽くした日々が、何よりも救いだと感じた。
だからこそ、
「走りたいから走りたいの!!!」
それだけ言って、アシーナは玄関へと飛び出した。
そんなことは人生で初めてだった。
しばらく経って、母からの許しが出た。
その間、アシーナは全ての習い事を無断欠席し、学校にも行かなかった。
母に初めて打ち勝ったような気がした。
そうしてアシーナにとって嬉しいことは続いた。
どうせやるならちゃんと先生をつけろと母が言い出したのだ。
私はその時、母に己の要求を通したことで一時的に気が大きくなっていて、
「金城京太郎さんがいい!」
と言い放った。
その時の母は、アシーナがこれまで見てきたどの母親の顔よりも狼狽しているように見えた。
駄目に決まってる、同い年でしょう?という母は、かつてなく感情が表面に出ているようで、それが愉快で堪らなかった。
「絶対彼じゃないと嫌!彼をコーチにしてくれなかったら、私、お父さんのとこに行く!!」
その言葉は弾丸となって母の何かを壊したらしい。
気丈に振る舞いつつも、どこかアシーナに遠慮するような気配が見え始めた。
結果として、いろいろ自分で調べながら自主練をし、秋も超え冬に入るころ、京太郎さんとのビデオ電話での交流が始まった。
だから、きっと母が彼をこの学園に呼んだのだと思った。
一緒の部活で、トラックで練習して、試合に出ることができる!
その希望、喜び、幸福がその後どうなったかは明白だろう。
「このレイジーボーン!」
その怠惰な姿勢を見るたび、この人はあの人とは違うんだと突きつけられるようで腹が立った。
だが、そのアシーナの中での評価は、2か月ごとにある席替えの結果、徐々に変わっていった。席替えに関しては、保護者同士の関係性が複雑かつ配慮が必要なため、あまり固定しないというHクラスのみの措置だと言う。以前、教師に賄賂を渡し、懇意になりたい会社のご令嬢に己の子息を近づけようと常に同グループになるよう画策した者があったとかいないとか、、、。そんな馬鹿なやつのせいで、私はあの三橋京太郎と隣の席になった。
ある世界史の授業中のこと。
その授業は教師から配布されるプリントに穴埋めをする形で進んでいくものだった。
プリントは全て自分のファイルにまとめてある。
だが、前回の授業のとき、アシーナは先生に確認したいことがあって、プリントをファイルから外していた。それを教科書の間に挟んでいたのだが、どうにも見当たらない。
「じゃ、次の空欄は~~~」
だんだんと自分の解答する番が近づいてくる。
生憎こういうとき助けを求められるような友達はいない。
ままよ、と覚悟を決めて姿勢を正した時、
「あのさー」
「、、、、、、」
「ねぇ、アシーナさん」
「、、、、、、」
「おーい、目開けたまま寝てる?」
「あなたじゃないんだから起きてるわよ、、、。なに?授業中よ」
「アシーナさんって頭いい?」
「まぁ、このクラスの中では、多分」
「よっしゃラッキー、俺今から寝るからさ、このプリント代わりに埋めててくんない?」
「眠いってなによ、寝ちゃだめよ」
「だってさー、昨日ギャルゲーやってて、それが神ゲーの泣きゲーでさ、余韻凄すぎて眠れなくて。校歌斉唱であんなに泣いたことねぇよ、俺も寮生活してぇぇ。ってことでよろしく」
アシーナには理解不能なことをつらつらと、そう言って無造作にプリントを渡された。
また別の日。
放課後、シューズを教室のロッカーに忘れたことに、部室前になってようやく気づいた。昨日京太郎さんに指摘されたアドバイスを振り返るのに必死すぎたのだ。
しかたなく取りに戻ると、すでに教室には誰もいないようだった。皆、習い事や部活に忙しいのだろう。
そうしてロッカーの鍵を開け、シューズを取り出すと、廊下の先のトイレの方から1人の生徒が歩いてきた。
「、、、、、、ん?アシーナじゃん、部活は?」
「シューズ忘れてしまって」
「陸上部ってほぼ持ち物シューズだけじゃねぇの?それ忘れるかね?天然系美少女の枠狙ってる?」
「くやしい、その通り過ぎてあなた程度の人間に何も言い返せないのがくやしい。というか、花瓶なんて持って何してるの?」
「これ?これは
アシーナはああ、あれかと思い至る。そんな経緯で飾られていることは全く知らなかったが。
「あなたそんな委員だったっけ?」
「別に違うけど、せっかく綺麗なんだから少しでも長持ちした方がいいだろ」
「まぁ、そうね」
「そんで、新しい花が届いたときにはちょっとだけ押し花にしてせっちゃんに渡してんだよ。佐沼のお母さんにお礼で返してもらうために」
アシーナは絶句した。
誰がそこまで配慮するだろうか。あのせっちゃんがそこまで気がきくとは思えない。
アシーナは、少しだけ苛立つ自分を感じて、
「なに?普段素行悪いから、こういうのでポイント稼ごうってこと?」
その棘のある言葉に、京太郎は呆れを隠さず、
「そんなこと気にするなら最初から真面目に過ごすが?お前馬鹿なの?自分で頭良いって言ってなかったっけ?」
何も言い返せなくて、悪いことだとは分かりつつ、シューズが入った袋で彼の頭をぶん殴ってしまった。
「いでぇえええええええええええええ。おい!それ陸上のシューズだろ!トゲトゲついてないよね?頭から血出てないよね?」
そして、アシーナの京太郎に対する態度をさらに決めかねるようになった、1つの事件があった。
クラスの親睦会として、放課後みんなで学園内バーベキューをすることになった。学園の恒例行事らしく、その日は該当クラスの生徒は部活等も休みとなる。幹事はアシーナに決まっていた。
食材調達係、備品準備係、火起こし係と配役を決め、後は当日の進行だけだった。
火が使える中庭の施設にクラスの全員が集まり、バーベキュー会は順調に進んでいた、その時だった。
「おい馬鹿!」
と、どこかで男子がそう言うのが聞こえた時には、アシーナの手元に一枚のメモ紙が手渡されていた。
その手紙には、
「この後カラオケ〇〇店に集合!」
と書いてあった。
字面だけ見れば何も問題ないが、学園のルール上、自宅に帰宅する前の外出、つまり寄り道はご法度だ。コンビニ等に関しては何となく許容されている節があるが、カラオケとなれば別。
それが学園の理事長の娘であれば無論、破るわけにはいかない。
空気が凍る。
クラスメイトたちは皆下を向いて、すでに叱られた後のようだった。
先ほどまでの盛り上がりが嘘のよう。
アシーナは数秒だけ困惑した顔をしたが、すぐに自分を律する。
ここはきっちりと言わなければならないんだ、アシーナ。と、自分を鼓舞する。
「チっ」
「サイアクじゃん」
「Gクラスは行ったらしいよ」
「いいよねぇ、どこかの誰かさんみたいな仕切りたがりがいないから」
その不満げな声が、アシーナをひるませる。
こんなことはこれまで何度もあった。大丈夫、大丈夫よ。
アシーナが意を決して顔をきゅっと作ったとき、
「あの、お取組中のところ申し訳ないんだけど、、、」
と、口から焼きそばを垂らしながら、京太郎が輪の中に入ってきた。
「というか誰だよ焼きそば作ったやつ、ウスターソースちゃんと入れたか?付属の粉だけで美味くなるなんて思うなよ、企業努力に甘えるなよ、薄いんだよ」
割り箸を突き出しながら不平を言う金髪のクラスメイト。
「お前何もやってないじゃん」
「っていうからいつからいたの?教室で寝てなかった?」
「いや、さっき手紙回してた時には居た」
「うっざー」
「でもまぁ、京太郎らしいな」
「まぁなんだかんだ役に立つときあるからな、あいつ」
「で、なんだよ、京太郎。なんかあんのか?」
先ほどまで凍っていた空気が、徐々に溶けていく。
意外だったのは、彼に肯定的な評価をする人が増えていることだ。
「そうそう。カラオケなんだけどさ、知ってるか?アシーナの歌めちゃめちゃおもろいんだぜ」
京太郎が全く皆の予想していなかった発言をする。
当の本人のアシーナもまた、きょとんとして、それから、
「、、、、、、はぁぁぁぁぁ!?なんで知ってんのよ。ていうか面白いって何よ」
「お前たまに口ずさんでるの自分で気づいてないのか?英語の歌詞が出てくるたびめちゃくちゃネイティブ発音になってて笑うの堪えるの大変なんだが」
「ほんと、、、?ほんとに、、、?」
「ああ、”これが~本当の~tlue love~あなたに~会えて~so happy"みたいな。スマホのAI読み上げ機能かよって。めっちゃおもろいからみんなで拝聴しようぜ、恥ずかしいならデュエットしてやるよ」
京太郎のモノマネに、皆がクスクスとする。アシーナは自分でも顔が真っ赤になるのを感じて、
「ゼッタイ行きませんっ!カラオケなんてダメに決まってるじゃない!校則違反よ」
「学園長が良いってさ、せっちゃん付きなら」
みんなが京太郎の顔を見てまたぽかんとする。
それから人目も憚らず肉に食らいついてるせっちゃんの方に徐々に視線が集まり、
「ふん、、、もぐもぐ、、、ったくふざけてるわよ、残業代出ないのになんでガキどもの付き添いしないといけないんだ、、、」
そのせっちゃんの愚痴が、京太郎の発言を真実とした。
「いやさぁ、俺どうしてもアシーナの歌を聞きたくて、絶対盛り上がるから。手紙回ってきたときに急いで許可取りに行ったわ。勤勉だろ?」
「そんな、ありえないわ、、、」
アシーナは小さく首を振る。決済権は学園長にあるだろうが、絶対に母に確認をしているはずだ。それでOKが出るはずがない。そんなこと、ありえない、、、。
「ただ必ず親に連絡を入れて、許可が出た奴だけだってさ、頑張り給え皆の衆」
京太郎がそう言うと、皆は一斉にスマホを出してメッセージなり電話をし出した。
アシーナはそそっと京太郎に近づき、
「あなた、いったい、、、」
「んぁ?ああ、俺お前のお母さんとちょっと知り合いでな、学園長脅して連絡してもらった」
「知らなかったわ、そんなこと、、、。それで?」
「ほら、特例で病院寄ったり、運動部は接骨院寄ったりするだろ?だからそもそも許可あれば行けるんだよ。まぁもっと早く言えって怒られたけどな」
「そうなの、、、」
あの母がそんな柔軟な対応をするだろうか、アシーナはまだ半信半疑だった。
「俺の見事な交渉術知らねぇだろ?営業マンだったら超優秀だね」
そこで、アシーナは母の性格をもう一度よく振り返った。
タダでこんな急な要望にゴーサインを出すことなんて絶対にない。
長年母と一緒にいた私がそう確信しているのだ。
「、、、、、、あなた、何か交換条件を出したんじゃない?」
そう、そうに違いない。
京太郎は絶対に、何かを背負わされたはずなのだ。
私は、彼に借りを作ったのだ。
「おお、さすが親子、よく分かってんね」
「それは何?言いなさい」
アシーナは怒気を孕んだ声で詰め寄った。
「えー、ちょっとアシーナさん強引~。そんなの恥ずかしくて言えな~い」
京太郎は気持ちの悪い体のくねらせ方ををして、ぴゅんっと逃げて行った。
「あなたこら!!待ちなさいよ!!」
アシーナは腕を振りまわしながら追いかけたが、「なんであんな俊敏なのよ!!普段はとろいくせにっ!!」と、全く捕まらなかった。
結局、アシーナは皆の前でその美声を披露することになった。なぜか大爆笑のコーラス付きで。
カラオケの帰り道、クラスメイトの列の最後尾だった。
「私、あなたのこと嫌いだわ」
アシーナは自分でも己がつくづく嫌な人間だと思った。ありがとうと素直に言えばいいのに、こんな言葉しか出ない。
「ごめんて、でもお前も最後の方はまぁまぁ乗り気だったじゃん」
「歌のことじゃないわよ」
「じゃぁなんのことだよ、俺なんかしたか?」
「生理的に嫌い」
「生理的に嫌い、一丁頂きましたぁー!」
京太郎は馬鹿みたいに楽しそうな声を出して微笑んで見せた。
「そして、自分も嫌い」
「どうした、珍しくナイーブだな」
「いつも偉そうに、リーダーぶって、真面目くさって、、、何にもできないのに。私がいない方がきっと楽しいクラスになるわ」
「お前はいいリーダーだと思うぞ、それに爆笑必至の歌もある」
「馬鹿にしないで、いいわけないじゃない、もっと適任の人がいるわ」
そう、あなたとか、と言いそうになって、すんでのとこで口をきゅっと結んだ。
「適任?いるわけないじゃん」
「どうしてよ」
「お前よりリーダーシップあるやつがいたとして、どうしてそいつはまだ出て来ないんだ?その時点でリーダーシップないだろ」
「私が理事長の娘で反抗できないから?」
「そんなひよった奴がなんで優秀なリーダーなんだよ、矛盾してるだろ」
屁理屈だ、と思った。
でも妙に納得もした。彼がそう言うならそうかもしれないと。
「まぁ、お前に不満があるとしたら1つだな」
「言ってみて」
京太郎はすでに暗くなり始めた空を見上げ、それからアシーナの瞳をまっすぐに捉えた。見られているアシーナの方が気恥ずかしくなるくらいに。
「もっと素直に自分を褒めろよ、よくやってるぜこんなおぼっちゃまクラスで。それに偉そうにするなら少なくとも偉そうにし続けろ、正しいと思うことは正しいと言い続けろ、自信満々に」
「もし私が間違った方向に進んでたら?」
「そんときは喧嘩だよ喧嘩、半端に自分を曲げて配慮するくらいだったら喧嘩した方が良い、当たり前だろ、アウフヘーベンだよ、ユーノー?」
まっすぐ進んで、その道が間違っていたら、もう戻ることはできない。でも、この人が隣にいてくれたら、途中で「道、間違ってんぞ馬鹿」って言ってくれるかもしれない。そう思えばこの人と喧嘩するのも悪くない、私は安心してこの扱いづらい性格を、真面目さを、意固地を通せる。
ちょっと待って、この人が隣にいてくれたら、、、?
私は何を考えているんだろう。
「自分」というものがない、自信がない。だから前に進むしかないのに、その道が合っているとも思えない、でも当然にして止まることも出来ない。そんな不安定な道程に彼を必要としている自分がいる?たった2ヵ月、出会ったばかりの、不真面目な少年を?
ありえない、ありえない。
アシーナは飴をコーヒーで飲み込むような荒業で京太郎を睨みつけ、
「偉そうにし続けて良いのね?じゃあ言わせて頂くけど、授業中寝るな、遅刻するな、忘れ物するな、黒染めしろ、ピアス外せ、頑張ってる人の足を引っ張るな」
「おお、俺はたった今、魔王を生み出してしまったのかもしれない、、、だってぇ、無駄な頑張りしてるやつ見ると、なんかイジワルしたくなっちゃうんだもーん」
まぁ、、、彼が直接的に誰かの足を引っ張ってるのは見たことがない。強いて言えば腐ったリンゴ的な存在止まりだ。それも大いに問題ではあるが。
====================================
アシーナは、長い回想を経てふふっと笑った。
「アシーナ、今日プールでおぼれかけたんですってね」
母の言葉ではっとする。現実が帳を下す様に見慣れた食卓が目の前に現れた。
ゆるんだ顔を引き締めて、かぼちゃの冷製スープを口に運ぶ。
「はい。足を吊ってしまって」
「それで、京太郎君に助けてもらったのね」
「なんでそのことを?」
「来道先生に聞いたのよ」
まぁ、家族に報告するのは当たり前か、とアシーナはさらりと流す。
が、先ほどまで思い返していた記憶が唐突にひっかかった。
普段母とは余計な会話をしないために、まだそのことについて聞いていなかったのだ。
「そういえば、お母様は三橋京太郎と知り合いなんですか?」
その言葉に、なぜかぴくりと反応したのは姉のルナだった。
アシーナから見ても端正で芸術作品としか思えない姉の顔が、少しだけ緊張を見せたような気がした。お姉様の知り合いなのか?と、アシーナは当たりをつける。
「ええ、そうよ。京太郎君のお父様が経営していた病院で、よくルナのことを見てもらってたのよ、日本にいるときは」
「そうなんですか」
あいつの父親病院経営者だったのか、とアシーナは合点した。
まさに"ぼんぼん"だ。イメージ的にはぴったりね。
それなら、後聞くべきことは1つだ。
「お母さま覚えてらっしゃるからしら、6月頃、私たちのクラスのカラオケ大会を認めてくれたでしょう?」
「ええ、そうね。勝手に行かれるよりは良いわ」
「それで、三橋京太郎には何を要求したのですか?」
娘の真剣な眼差しを、母は軽くいなして、
「要求?1学生にそんなことしないわよ」
「じゃぁ何でお認めに?」
アシーナは食い下がる、そんな訳はないのだ。
ゼッタイに裏があるに決まってる。
すると、母は唐突に笑った。
__あの母が、普通に笑ったのだ。
狐につままれたように、アシーナは体が固まった。
「カラオケに行くことを認めてくれたら、面白いものを見せてあげますよって言って来たのよ、あの子。私にそんなことを言う人は周りにいないから、面白くなってしまって、それで乗っかってしまったの。私が面白がることなんてそうそうないから。そしたら、あの後、これが送られてきたのよ」
母は話しながら食卓を立ち、ソファからスマホを持ってきた。
そして何回か操作した後、軽快な音楽が流れだす。
”これが~本当の~tlue love~あなたに~会えて~so happy"
"面白すぎるんだがっ、、、、!"
"なんで英語のときだけ声低いんだよ"
"アシーナさんやばすぎ"
"ダメだ、腹いてぇ、息できねぇ"
"AIだ、AIが歌ってるっくくくっっ"
「あなた、歌ヘタね、ヘタというか、ふふっ」
なんであいつと連絡先交換してるのかとか、母がこんなに笑ってるとか、そんなことよりも、京太郎から見た自分の母と、自分から見える母が、こんなにも違うのかと思った。このカラオケの様子を見たら、母が笑うと、あの人は本気で思っていたのか。
私は、母を勘違いしている?
いやいや、そんなことはない、あるはずない。母はいつだって優秀な姉を優先していて、私には全く価値を認めていないのだ。いつも冷たく質問してくるばかり。
でも、もしかしたら、また私が何かを間違っているのだろうか。
そんなことを思わせてくる京太郎に、目の前で笑っている母にもまして、また一層腹が立ってきた。
アシーナはがちゃがちゃと残りのご飯を平らげ、
「ご馳走様でしたっ!」
と部屋に戻った。
スマホを確認すれば、まだ彼からの連絡はない。アシーナは今度こそスマホを思いっきりベッドへと叩きつけた。
====================================
「おい、IDからの友達申請許可してねぇじゃねぇかあいつ、ドジっ子かよ」
京太郎は自室で途方にくれる。
メモ紙にはあきらかにメッセージアプリのIDと思しき文字の羅列があったが、向こう側の許可がない。
詰めが甘いと言うかなんというか。
そうこうしていると、いつもの時間になったので、PCのミーティングアプリを立ち上げる。
「、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、こんにちわ」
今日は黒いゴスロリ服に、ネコのぬいぐるみを抱えたアシーナが映っていた。
が、その表情がいつもと全く違う。
「ど、どうしたのかな?アシーナさん、具合悪い?今日はやめとこうか?」
なんとなく嫌な気配がしてそう提案する。
「いえ、、、、、、、、、、、、ただ、、、、、、、、、、、どうやったら周囲に気づかれず1人の人間をこの世からリタイアさせられるかなって考えてました」
こわいこわいこわいこわい。
絶対怒ってるよこれ、「三橋京太郎」から連絡こなくて。
自分のせいだからね、それ、自分のせい。
「本当にどうしたのかなぁ?アシーナさんにはそんなおっかない顔、似合わないよ?もっとほら、いつものかわいい顔に戻って欲しいな?」
ゲロきんもぉぉぉぉぉぉぉぉ。
気持ち悪い気持ち悪い。
でも仕方ない、少しでもこの「金城京太郎」がもう1人の自分のために彼女の気持ちを上向かせなければ。
「か、、、、、、かわいい?」
「かわいいかわいい」
「誰よりも?」
「うんうん、日本一」
「、、、、、、え、世界一じゃなくて?」
空気が一瞬にして絶対零度だよ。会話の選択肢を間違ったら即ゲームオーバーどころかゲーム本体が壊れそう。
「何を言ってるんだよぉ、世界一に決まってるじゃないですかぁ」
「そ、、、、、、そうですよね。かわいい、かわいい、、、えへへへへへへ」
よし、いいぞ金城!お前はナイスガイだ。
そう、演じるのだ!この世に一体何人存在するのだろうかというNo1ホストの内の1人に!
「にゃーん、にゃーん♡かわいいかわいいアシーナちゃんですよ?」
「あら、猫さんアシーナちゃんが登場したぞぉ?」
「にゃぁ~~ん♡なでなでしてぇ♡」
「このぉ、かわいいやつめ、食べちゃうぞぉ?」
うん。
No1ホストじゃなくても、全てのホストは尊敬されるべき存在だ。
これは人間の出来る仕事ではない。少なくとも羞恥という感情がある人間には。
アシーナは画面に向けて
まぁ向こうからは見えていないんだが、なんか空気感で察知しそうなので一応。
それにしてもこの豹変ぶり、何かの病気じゃないといいんだけど、、、。
そうしていつものように練習動画に対してアドバイスをして、最後。
「そういえばさ、この間知ったんだけど」
「うんうん、な~に?金城くん♡」
「メッセージアプリってさ、IDでの申請を許可するみたいな設定ONにしないと、友達申請来ないんだってね、人から言われて気づいたよ」
「、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、そうなんだぁ♡もう金城くんのドジっ子♡」
ドジっ子はお前だよ、とはもちろん言わない。
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