第4話 メモリーをデコレーションするな

「____お兄ちゃん、痛いよ、痛いよ、、、助けてよ、、、、」


すぐそこで夏南かなが助けを呼んでるのに、、、。

なんで僕の脚は動かないんだ、、、?

そうか。そうだよ。

ねぇみんな聞いてよ、今日大会で中学生新記録出したんだ。

しかも高校生記録よりも速いんだって。

ってことはさ、僕、これまでのどんな18歳以下よりも一番速くあのトラックを一周できたんだよ。

それってさ、すごいよね!

だから、今、疲れちゃってさ。

だから、、、だから、、、脚が動かないんだ。

しょうがないよね。


しょうがないんだ、、、。


「助けて、、、、、、、、おにいちゃん!!!」


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「アシーナっ!!!」


京太郎はプールサイドに上がって駆ける。そんなに広いとは思えないプールの外周が、やけに長く見える。

 

「ぐっ!!」


滑って足首をひねったらしいが、今はそんなことどうでもいい。

何で誰も気づいてないんだ!

京太郎はボランティアの監視員を一瞥する。と、すでに異変を察していたのか、俊敏に動き出してくれていたようだった。あるいは京太郎の怒号で発見したのかもしれない。

アシーナまでの距離がぐんぐんと近づいて、再度京太郎はプールに飛び込む。


脚を吊ったことは遠目でも分かった。そもそも予兆はあったのだ。

アシーナはなぜかプールサイドに1回も上がろうとしなかった。

きっと登るときに吊りそうな予感がしたのだろう。

だから乳酸が抜けるまで水中で待ってたのだ。

それが何かの拍子か、一気にアシーナを襲った。それも多分両足だ。


 「______っ!!」


水中でアシーナと目が合う。

助けを求めるような、安堵したような、それでもお前には助けられたくないと言うような、複雑な表情だった。

暴れたためか、長い黒髪が水泳帽から溶け出して彼女を包囲するように漂い、いつもは美しいばかりの白い肌が今は綺麗というよりも死の方を連想させた。


京太郎は躊躇わず、アシーナの膝の裏と背に手を差し入れ、水面まで持ち上げる。 


「上げるぞ、せーのっ!!」


他の陸上部や監視員と協力してアシーナをプールサイドに上げた。

彼女の身体は見た目よりもずっと軽くて、本当に人魚のような質量のない存在に思えた。


「けほっげほっ、、、、、はぁはぁはぁ、、、、。」


溺れて間もなかったからか、そんなに水も飲んでおらず、意識もはっきりしているようだった。


 「両足だな」

 「、、、、、、、、、、、、うん、ごめんなさい」

 「なんだよ、しおらしくもできんじゃねーか。いつもそれでお願いしたいね」

 「、、、はぁ、、、はぁ、、、、そんなこと、、、言われたら、、、せっかくっ、、、感謝の言葉でも伝えたかったのに、、、できないじゃない、、、」

 

息も絶え絶えに、しかししっかりとこちらの顔を見て。 

だから練習しすぎるなって言っただろうが、とは言えるはずもない。


 「謝る必要ねぇよ。とにかくミネラル取って日陰で休め。落ち着いたら保健室まで肩貸すから」

 「いや京くん、そこは監視員さんか陸上部さんにお任せでいいのでは?」


2人の様子を見ていためぐるが冷静で助かった。全くもってその通りだ。


「あ、あと、、、、、助けてもらって本当に申し訳ないんだけど、、、、、手、、、、、」

「手?」


そこで京太郎はアシーナの手を強く握っていることに気づいた。


 「お、おうすまん。じゃ、俺は葉乃坂と帰るから」

 「いや別にいますぐ帰らんでもいいでしょうが、照れてんのか、照れてんのかお主」


めぐるが京太郎の顔をつんつんと突く。

もう1秒たりともこの場にいるのはいたたまれなくて、頬の次は鼻の穴を突き始めためぐるの手を取ってプールから飛び出した。


 ===================================


夕暮れの教室だった。

普段過ごしている教室も、夏休みの夕方というだけでその表情を変える。

プール終わりにコンビニでお昼ご飯を買い、そのまま学校で宿題の続きをしていた。

ちょうど一息、といったところで、珍しく沈黙して真面目に勉強を続けていためぐるが、


「お主、童貞なん?」

「ちげーわ!!久しぶりに口開いたと思ったらそれかよ。お前が一番知ってるだろうが」

「ええぇ、っちょないわ~普通にセクハラ発言なんですけど~、カレーに付けるのは?」

「ナン、、、ですけど」

「ぶぶー、カチュンバルかアチャールです」

「それ言いたかっただけだろ、なぁ、絶対準備してきたやつだろそれ」

「暑いとカレー食べたくなるよね」

「背油ちゃっちゃとゲーゲンダッツはどこに行った」

「女の気持ちと食べたい物は、アイドルの顔ってね」

「秋の空な、そしてアイドルの顔は別に変わりやすいものの例えではない」

「変わるやん、定期的に。主に鼻と目頭と輪郭が」


俺の彼女の偏見がすごい。

いかにしてその偏った意見を修正しようか考えていると、廊下の方から1組の男女の声がする。

廊下に設置された個人ロッカーに何かを入れる音がして、


「あいつさぁ、まじなんなの、遅いくせにでしゃばって」

「そんなカリカリすんなよ、あいつクラスでも相当浮いてるみたいだぜ。親が理事長だから何も言えないだけで、めっちゃ嫌われてるって他の部活のやつが言ってたらしい」

「それに顔が良いからって、男子部員もへーこらへーこら。何がそんな練習態度じゃダメです、大会も近いのに、だよ。ちょっと記録伸びてきてるからって偉そうに。お前の努力じゃなくて、親からもらった向こうの血のおかげだろうが。しかもお前より全然私の方がはえーっての」

「みんな身体目当てだろ、それにハーフって珍しいし」

太志たいしも変な目でみてんじゃないでしょうね」

「ちがうちがう、俺は美知留一筋だから」

「マジでむかつくわー、嫌がらせしちゃう?」

「やめとけって、せっちゃんも理事長派だから、何言われるかわかんないぞ、、、」

「あいつさぁ、今日プールで、、、」

 

ここの廊下にロッカーがあるということは同じ1年だろう。そして多分隣のGクラス、スポーツ特待組か。教室の扉が開けられた音が黒板の向こうからする。


「な、偏見ってよくないよな」

「そうだね、京くん」


さすがにめぐるも神妙な顔を隠さなかった。

なんとなく宿題に戻る気にもならず、帰ろうかとめぐるに提案しかけたとき、教室後方の扉が開く。


「、、、あ、やっぱりここにいた」


振り返るとアシーナが立っていた。いつもきちっと着ている制服のブラウス、そのボタンを1つだけ外して、まだ汗の引き切っていないような、上気した顔だった。


「お、おう。どうした」

「教室の電気がついてるのグランドから見えたから、もしかしたらって」

「お前も読解力ないぞ」

「あ、、、、、、えっと、、、、、、そういえばちゃんとお礼してないなって」

「真面目か」


アシーナはなぜかこちらに近づいてこず、入口の前で佇立ちょりつしていた。

改めて見ると、すらっとした脚に高い腰、長くまっすぐな首と小さくて1個1個のパーツが大きい顔。

ただ、だからと言ってそれが美人ゆえの税金みたいな形でやっかまれるのは違うだろうという思いが、心の深いところでふつふつと湧いてくる。

めぐるもアシーナほどではないが美形だ。しかし、誰もがめぐるのようにうまく己の魅力を調整して社会に馴染める訳でもないし、それを強制されるいわれもない。


なんとなく気まずい雰囲気が流れる。

1つはアシーナにお礼されるという稀有な状況で、彼女も京太郎もぎこちないため。そしてもう1つは、さっきの隣のクラスの奴の陰口をアシーナも聞いていたのではないか、という懸念から。

こういうときこそお前の出番だろうが、とめぐるの方をちらりと見て水を向ける。が、当の本人は感情の抜け落ちた顔で廊下側の壁に設置されたサブ黒板の掲示物を眺めている。

京太郎はそんな見たことのない彼女の表情になお驚いてしまって、声が出せなくなった。アシーナも、「めぐるが何かを言ってくれるだろう」と、期待していた助け船が出なくておろおろとしだす。


「あ、、、えっと、、、とにかくお礼、、、ほらこれっ!!!」


と、お前がこっちに来いという態度で何かをずいっと差し出す。

京太郎はしかたなく立ち上がて、アシーナに近づく。

その大理石を削り出したような美しい手には、綺麗に折りたたまれた手紙が握られていた。

ええぇ、これ中学生とかが授業中に回すような手紙じゃん、、。あの、男子にはどうやって折ったのか全くわからないやつ。というか今時、メッセージアプリじゃないの、と思ったが、いかんせん連絡先など交換していない。


若干古風だなと思いつつ、その手紙を受け取る。

あまり京太郎と背丈の変わらないアシーナが、今はすごく小さく見える。

顔を背け、下を向いているからかもしれない。


「何これ、お金が包まれてるとか?」

「そ、そんなわけないじゃない!家に帰ったら見てっ!じゃ!!」


と、アシーナはバレリーナばりの回転力を発揮して背を向ける。やっぱり華奢だな、とその背を見つつ、


「じゃ、じゃねぇよ」


と、京太郎はアシーナのブラウスの襟を掴む。


「ちょっ!やめてよ変態!痴漢!特殊性癖!」

「特殊性癖はどこから出た」

「部活終わりの汗と制汗剤の混じった、若干べたつく肌を指先で堪能するつもりでしょう!」

「そんなつもりはねぇ!」


京太郎が叫ぶと、ちらりとこちらを振り向くアシーナ。

髪の隙間から見えたその瞳には、うっすら涙が溜まっていた。


「お前、、、」

「な、、、なによっ、、、」

「いや、、、」

「、、、、、、」

「、、、、、、」


その沈黙が、なんとか押しとどめていたアシーナの涙に時間を思い出させた。

すっと、通いなれた道筋を通るように顎へと伝って、一粒、床に落ちる。

聞こえるはずもない、その水滴の落ちる音に弾かれたように、アシーナの唇が震える。


「っっ、、、!ハーフだから、、、ハーフだから美人で、ひいきされて、速く走れるかもしれなくて、でも私は傲慢だから、みんなに嫌われて。好かれているのは、元から持っていたもので、嫌われているのは、私が培ったもの、、、そうでしょっ!?」


アシーナの悲痛な叫びが、脳内にこだまする。

その振動が、なぜか、京太郎には心地よい波動となって、すっと心を落ち着かせた。


「俺は、、、お前が羨ましいよ」


ようやく出てきたのは、そんな言葉だった。


「なんでよっ!なんでそんなこと言うの!?私が恵まれてるからっ!?」


普通に、今の状況で聞いたらそう捉えるだろうな。

ただ、京太郎は静かに首を振って、


「俺さ、昔、砂場で遊ぶのが好きでさ」

「は????それが何?」


もうアシーナは隠そうともせず、京太郎の顔を正面から睨んだ。


「砂場の中にはさ、きらきら光ってるものがあって。それがなんなのかなぁって調べたら、石英っていう鉱石だって」


京太郎は己の幼少の頃を思い出すように天井を見上げる。


「でもさ、一緒に遊んでた女の子が、かなりませてて賢い子だったんだけど、これはお星様の涙だって、だから綺麗なんだって言うんだ。俺らが遊び終わって、家に帰って寝ている時に隠れて泣くから、空から降ってくるのを見てないだけだって」

「何?初恋の話?」

「初恋?まぁ、そうかもな」


京太郎は苦笑して、アシーナの頭にぽんっと手を置く。

彼女はそれを振り払うべきかどうか思案して、結局フリーズした。

許しが出たことにして、そのさらさらした髪とともに撫でる。


「頑張って輝こうとしてる、そんなやつにしか流せない綺麗な涙があんだよ。それを誰も知らない。そして、いろいろ考えて悩んでぐちゃぐちゃになっちまった複雑な心だけが、そんなめんどくさいやつだけが、外から入ってくるいろんな物を反射させて光ることができるんだ。俺にはお前がいつも光って見えるよ、だから突っかかりたくなるんだ。俺はただの、何も弾かない砂粒だから」

「なっ、、、、、、なにを、、、言ってるのか、、、全然分からないわ、、、」

「だから、別にお前のルーツとか、才能とか、そんなんがお前の魅力じゃないってこと。お前はお前であれば、それだけで十分輝いてるよ」


京太郎は照れ臭いを通り越して自ら異臭がするような気がして、


「な、なーんてな!泣いてるお前珍しいから1枚写真撮って良い?そしてこれから何かお前に嫌味を言われるたびクラスのやつに拡散していい?」

「馬鹿、、、ダメに決まってるでしょ、、、」


アシーナは力なく笑って、頭に置かれた京太郎の手をぱっと弾いた。


「じゃ、じゃぁ家に帰ったら見てよ!今日はありがと!また!」


脱兎のごとく教室から出ていくアシーナの背中。


「何よ何よ何よ、レイジーボーンのくせに、生意気!」


そんな声が聞こえたような気がする。


===================================


「わたし、これから京くんのこと、星の涙って渾名にして良い?」

「呼びづらいだろうが」

「ねぇ星の涙、彼女を蚊帳の外にしてキザなセリフで他の女の子を口説いたことに対する反省の弁はまだ?ねぇ星の涙さん」

「記憶にございません」

「でたぁ、さすが政治家の息子」

「それについては偏見ではなく事実だから否定できねぇ」


まだぎりぎり明るい帰路だった。

電柱の灯りがいまかいまかと光るのを待って帯電していくように錯覚する。


「というか、お前が何も話さないからああなったんだろうが」


そう、むしろ沈黙でもってめぐるが京太郎にけしかけたように感じ始めていた。


「あぁ、、、まぁ、、、めぐるちゃんには正直よく分からない悩みだったからねぇ。他人にどう思われようが、キュートでハートフルなめぐるには関係ありませーんって」

「お前は強いな、尊敬するわ」

「尊敬ってどれくらい?タイ人のお坊さんに対するそれぐらい?」

「いや程度が分からん。なんだお前、今日は国際色豊かだな」

「世界を股にかけてしょんべんかけるような女だからね」

「だから下ネタやめろって、、、」


家が近くなって、めぐると分かれる時分となる。


「じゃぁまた連絡するねぇ!今度はがっつりデートで頼むよ!」

「宿題したいって言ったのお前なんだけどな、まぁ分かったよ」




片手を挙げながら遠ざかっていく京太郎の姿を見送って、葉乃坂めぐるは自分の家へと歩き出す。

街頭がちちちと点滅して光り、夜が波濤のように押し寄せてくるような予感、己の存在が力なく海に身を任せた小舟になったような孤独と不安。

塩素の匂いが抜けない体といつもと違う倦怠感が、めぐるの気持ちをどこか遠くに運ぶようにして、


「わたし、ああいう子苦手だよ、京くん。夜にだって泣けない子もいるんだよ、どんなに泣こうとしたって。だから、だから、ずるいよああいう子は」


めぐるは唇を強く噛みしめ、血の味を感じる。

ただそれすら、己が己に対してした演技のように思えて、すっと感情が引いていく。


「京くんだけは、京くんだけは、私の全部を、、、」


通りに見えたコンビニの人工的な明かりが、めぐるには星の光よりも親しみやすいように感じて、理性が照らされたようだった。


「ま、いっか。わたしにシリアスは似合わないしねぇ。ゲーゲンダッツ買お、スリランカアンブルティヤル味あるかなぁ」


光に吸い寄せられて爆ぜる羽虫のように、めぐるはコンビニへと入っていった。





 

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