第3話 ジェラシーをファブリケーションするな
8月7日
「プールにいっきたい、プールにいっきたい、プールにいっきたい」
「おいめぐる。今日は夏休みの宿題をする予定だろ」
葉乃坂めぐるがシャーペンで机をばんばん叩きだす。
夏休みも中盤である。
三者面談が終わった後は、高校生らしく日々めぐると一緒にだらだらと過ごしていた。特に7月はアシーナがインターハイ帯同でいなかったこともあり、例のオンライン指導の機会も少なかった。まぁその分、狙い澄ましたかのようにめぐるからテレビ電話があったが、、、。
「ねぇ、メイアル―アジフレンチとアルマーダはなんとか形になりつつあるんだけど、メイアル―アジコンパッソが難しいんだよね」
「説明文が足りなさすぎるんだが」
「ええぇ、今わたしカポエイラにハマってるでしょ?」
「でしょ?って言われても初耳なんだが」
「彼女のことはちゃんと把握して欲しいんですけど、カベッサーダするよ!」
「ちなみにそれは何?」
「頭突き」
「カポエイラって頭突きあんのかよ、、、」
そんなくだらない話が9割の中で、めぐるから宿題を一緒にしようとの誘いがあった。
そして現在である。
誰もいない京太郎の家、ここには1組の高校生カップル。が、悲しいかな、だからといって京太郎とめぐるの間にラブコメ的な何かしらが起きるはずもなかった。
案の定、めぐるが幼児退行してダダを捏ねるだけだ。
京太郎はそんな彼女を部屋に置いて台所に行き、スプーンとフォークを持って戻ってきた。そして、めぐるの持つシャープペンを取り上げ、差し替える。
「プールにいっきたい、プー、、、、ル、、、、、、オムライス食っべたい、オムライス食べっべたい、デミグラスソースとケチャップ半々のオムライス食っべたい!」
「持つものに連動した欲求なのか、お前。それに一番面倒くさいオムライスを要求してんな」
冗談はそこまで、といった感じでめぐるはカトラリーをそっとテーブルに置く。
そして真剣な表情から、
「高校1年生のカップルが集まって夏休みの宿題だけやるなんておかしいでしょーよ、わたしたちのアツアツぶりに対して宿題プリントじゃ役不足だよ!」
「それを言うなら力不足ないし荷が重いとかね」
「え、、、京くん細かい、、、その細かさが将来結婚したときに家計簿つけっちゃったりなんかしちゃって良い旦那さんになっちゃったりなんかしちゃってんのね」
「ちゃっちゃちゃっちゃうるさいな」
「プールいきたーい、プール行った後に塩分補給で背油ちゃっちゃ系ラーメンたべたーい、その後お口直しにゲーゲンダッツ食べたーい、そして全身マッサージしてもらってそのまま眠りにつきたーい」
要求がどんどん加速していくな。それも高額な方に。
ぼんぼんHクラスには金銭価格がバグっている奴も多いが、その中でもめぐるは平均に近い感覚を持っていた。たまの贅沢は本人が言う通りゲーゲンダッツを食べることぐらいだろう。
ただ、金銭感覚は普通でも、ファッションセンスはぶっ飛んでいる。
髪型は丸みをおびたショートボブを若干ウルフカットにして、首筋へと襟足を沿わせている。色もわずかに抜いているようでグレーっぽい。そう、髪型はおしゃれなのだ、普通に。いや、並みの高校生よりもおしゃれと評価してもいいだろう。
ただ少し目線を下げれば、どこかで泥団子でも作ったきたかのような汚れ方をした、古着を継ぎ接ぎしたと窺える白いマーメイドワンピース。それになぜか剥製にしか見えない巨大なインコがあちこちぶら下がっている。平成ギャルのケータイみたいに。
「その服、なに?」
「えー、知らないの?これパリコレにも出てたブランドだよ、earthenware。これはその中でも人気な砂浴シリーズ」
「アースン?さよく?」
「めっちゃ高かったんだから、これ。一着一着丁寧にホンモノの泥で汚して、、、」
丁寧に汚すとは何だ。しかしこの服のどこに高い要素が、、、。いや高い要素は分からんでもないが、価格相応の価値がどこにあるかの方が分からない。
京太郎がそうして興味深げにじろじろ服を見ていると、
「あ、京くん今、エッチなこと考えたでしょ」
「どういう論理でだよ。胸なんて見てねぇからな、それどころじゃない特筆すべき点が多すぎる」
「違くて。この泥が、ほら、綺麗なものほど汚したい的な性癖の、スカ、、、」
「それ以上言うなよ、本当に」
もう無視しよう。
ただでさえ気温が高いのに、頭が沸騰している奴までいやがる。
「ねぇ無視しないでぇ、じゃぁプールに行くか、乳首当てゲームどっちかしようよ」
「よしプールに行くぞ」
「わーい、やったぁ」
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京太郎の家を出て、向かう先は学園のプールである。
「なんで学園のプールなの。せっかくおニューの水着買ったのにぃ」
「俺はスク水派なんだよ、というか端からプール行く気まんまんだったんかい」
「スク水派だって?うそこけー、プール無料だからだろ、無料開放だからだろ!知ってるもん、京くんが隠してるエロ本にはいつもきわきわ水着のあねさんばっか載ってるんだから」
「俺は電子で読む派だ」
「はいぼろだしましたー、京太郎・京太郎・三橋京太郎、電子書籍でエロ本読んでる最先端ITエロ男爵の私に清き一票を!」
「それは穢れた一票だし、そんなこと世間様に大手ふって
隣に並んで歩くと、葉乃坂めぐるは一段と小さい。
京太郎は今年身長が179センチになったが、めぐるは145あるかどうかも怪しい。
ただその身長に反比例して、要所要所はナイスバディである。
確かにこれならスク水じゃない方がよかったかもしれない、などと思っていると、
「えっへーー、えへへへへ」
「なんだその気持ち悪い笑いは」
「今、わたしのぼよよいーんぶぅおぉんぶぅおぉんのこと考えてたでしょう」
「は、はぁ、、、、?全然考えてねーし、ば、ばっかじゃねーの」
焦りすぎて思春期男子中学生のような間抜けたリアクションをしてしまった。
むしろその擬音で胸部のことだと分かってしまった自分にも恐れおののいている。
「もう、京くんのエッチ・ウォッチ・いまなんじ?」
「11時だな」
「お、それじゃあいいもの見れるかもよ?」
「いいものってなんだよ?」
その言葉の真意は、学園のプールに着いて分かった。
「で、なんであんたがいるわけ、この変態」
「プールに遊びに来ただけで変態扱いとは、女尊男卑も来るとこまできたな」
スクール水着を身にまとったアシーナ・新城・スミスがそこにいた。
「違うわ、私は明確に、確固として、特例的にあなただけを蔑んでいるの」
「え、そっちの方がひどくない?てかなんでお前もいんの」
「今日は二部練だもの。朝練が終わって、今プールでリカバリー中。他の部員もいるわ」
京太郎がプールサイドで準備体操をしていたところを、水の中から餌でも貰いに来たアシカのように、のそりと顔だけを出したアシーナ。確かに奥のレーンには女子陸上部の面々がいた。
「京くんごめーん、待ったー?え、このセリフ彼女っぽくない?やば、プロパー彼女じゃん」
「おい、プールサイドは走るな」
「おっといけね、そやった」
今度はなぜか忍び足になる葉乃坂。
陸上部に友達でもいたのか、そちらに手を振りながら向かってくる。
「そろーり、そろーり、、、、ね、良いもの見れたでしょ」
「良いものってどれだ、このアシカのアッシーナのことか」
「お前の目は節穴かー!アシカなんてもんじゃない、人魚!アシーナ姫のご尊体に決まってるじゃないか」
「ねぇ誰がアシカだって?土下座の芸でも仕込んであげようかしら、このレイジーボーン」
京太郎はどれどれ、とアシーナの白い肩や首筋を見る。
「な、なによっ!そんなじろじろ見て、国宝じゃないわよ」
「うーん、健康的過ぎて全くエロくない。それに自分の身体を国宝だと思っているこことにドン引いてます」
「おい、視姦したうえ失礼なこと言ったな、貴様」
「視姦とか、そういう言葉は知ってんのね、お前」
アシカのアッシーナ、もといアシーナ姫がお怒りである。やめて、ぱちゃぱちゃ水かけてくるの、やめて。あれかしら、心停止を防ぐために冷水に慣らさせてくれているのかしら。優しいのね。
「まぁ逆に彼女の前で、えっろー、とか言われても困るけどねぇ」
「困るとか言ってるやつの行動じゃないんだが、葉乃坂」
葉乃坂はもうまったく京太郎になぞ興味がないという感じで、腕に巻くタイプの浮き輪を両腕にそれぞれ4、5個づつ着けていた。
「赤ちゃんの腕みたいになってんぞ」
「だってこれないと溺れちゃうんだもん」
「そういえば葉乃坂は泳げなかったな」
「あ、また葉乃坂呼び!ルール違反です。休日または2人きりのときはめぐると呼ぶルールのはずです。シンビンで10分間退場です」
「ラグビーかよ、というか2人きりじゃないからいいだろ」
そうなのだ。学校では葉乃坂呼び、2人のときはめぐる呼び、というのが付き合うときに決めたルールだった。別に付き合っていることがバレるのがいやなのではないが、自ら広めるようなことも違うというのが京太郎の考えだ。
だが、ここで思わぬ助っ人が参加した。
「でも、その理屈はおかしいわ。2人きりかつ休日の際は、というルールであればそうだけど、2人きりもしくは休日の際、であれば葉乃坂さんが正しいもの」
え、なにこいつ。急に数学の授業みたいなこと言い出したよ。しかもなんか熱入ってるし。
「やっぱり、名前って特別だもの、、、呼ばれたら嬉しいし、キュンってするし、大すきぃってなって、私の名前を背中に彫って欲しいってなるから、、、」
おうおう、急に乙女モード入っちゃったよ。それ家だけのモードじゃないん?そして愛が重い。
「アシーナちゃん分かってるぅ!なになに、好きな人いるんか?いるんかえ?」
「ええ、、、、まぁ、、、、、人並みには」
「どんな人どんな人」
「えっとね、、、少しキザっぽいセリフを言うんだけど、それがストレートでぐっとくるし、何より優しいし、声なんてもうフェロモンそのものが振動して伝わってきてるのかってぐらいセクシーだし、アトラクティブでファッシネイティブな、、、、」
後半はもう何を言ってるのか分からん。ただなぜか葉乃坂はうんうんと頷いている。
「いいねいいね、乙女だねぇ。でもうちの京くんだって負けてないよ」
「葉乃坂さん、大変申し訳ないけど、この男とあの人では雲泥の差、月とすっぽん、神と便所コオロギ、、、待って、違う、神と便所ゴミだわ。でも、やっぱりそれだと相対的に比べることで同じ土俵にいると勘違いされるの嫌だから、そのままにゴミよ」
本当に申し訳ないこと言ってるわこの人、本人の彼女目の前にして。
それからどうにも聞いたことのない類語が混ざっている気がしますよ?神と便所ゴミってナニ?便所ゴミ単体でも知らない言葉。お家帰って広辞苑調べたら出てくるかしら。デリカシーを税関に置いてきたのね、この子。
それから何故か照れ照れとしたアシーナとは一時別れて、葉乃坂と遊ぶことにした。
「じゃぁ、水の中でしりとりして、どっちが先に間違ったか選手権しよう」
「なんだその意味不明な、、、」
「わたしからね、よーいスタート」
「人の話を聞けよ」
しょうがないから潜るしかない。
(えっと、おっけ。しりとりのり、だな。じゃぁ「りす」)
(あー多分「スイカ」だな、じゃぁ「カメ」)
と、まだ2回ほどしかキャッチボールしてないのに、葉乃坂が浮上した。
京太郎も慌てて水面に顔を出す。
「おい、早くねぇか」
「だって京くん間違ってるもん」
「いや、そうなのか?最初は"しりとり"、だろ」
「うん、で、"リス"って言ったんだよね」
「そう、でめぐるが"スイカ"って」
「言ってない言ってない。"スヒラ"って言った、それなのに京ちゃん"カメ"って」
「お前は馬鹿なのか馬鹿だろう馬鹿ですよね、スヒラってなによ、なんでそもそも難易度高いのに普通のしりとりでも待った入るようなこと言っちゃう?」
「えー、インドのマディヤ・プラデーシュ州にある都市ですが?」
「都市ですが、じゃねぇよ。解説されても分からんわ。インド人でも知らない可能性あるわ」
「もう京くんうるさーい、アシーナちゃん!アシーナちゃん!」
部活中のアシーナを遠慮なく呼び出して、めぐるが水中しりとりを持ちかける。
驚きつつ向かってくるアシーナが一見、喜々としているように見えるのは、あれか、あんまり友達がいないから誘われてちょっと嬉しいのか。
「よしじゃぁ3人でやろう。わたし、京くん、アシーナちゃんの順ね」
「了解」
「分かったわ」
せーので潜る。そして京太郎はすぐに浮かびあがった。
「もう何、京くん、つまんないんだけど」
「つまんないとかじゃないんだけど、なんだって?何をたらたら長くしゃべってんの?」
「今のはジャン=シルヴァン・バイイって言ったのよね?」
「そう!アシーナちゃん正解、ほらぁ簡単でしょ」
「簡単でしょ、じゃねぇよ、誰だよそれ、誰だよってか人名か?」
「初代パリ市長よ、そんなのも分からないのね、日々を無駄に過ごしてみんなの酸素と気力と愛と勇気と希望を浪費しているからよ」
「これ俺がおかしいの?君たち〇大王なの?そして俺はそんな逆ベクトルアソパソマソ的な存在なの?」
そんなこんなでプール遊びはいまいち盛り上がりに欠けたのだった。
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「結局さ、策を弄さず、こうやって海洋ゴミのように漂うのがプールのベストだよね」
「積極的に策を弄した奴が言うな」
水面に浮いためぐるを、川面の花びらが回るようにくるくると回転させてやる。
めぐるは大の字になって、花びらどころかアメンボのようだった。
でも、まぁ、確かにめぐるの言う通りだ。こうして陽に浴していると、それだけで身体が健康的になったような錯覚に陥る。
「ねぇ、京くん」
「おーなんだー、眠くなったか?」
「氷山の一角って言葉あるよね?」
「あるな」
「見て」
「何を」
「氷山の一角ならぬ、おっぱいの一角、いや二角」
「下ネタってな、時折挟むからいいんだ、言い続けると嫌われるぞ」
「、、、、、、、、、、。」
「、、、、、、、、、、。」
「ねぇ京くん」
「何だ、下ネタ以外で頼むぞ」
「京くんさー、草食動物を目指してるんでしょ?」
「は?」
こいつはまた訳の分からんことを。
「頑張って獲物ばっか追ってたら、前しか見えなくなっちゃいましたぁ、は嫌なんでしょ?肉食ガオー動物にはなりたくありませんって」
京太郎は、めぐるのこういうところが苦手なようで、それでいて怖くもあった。
ふわふわしていて、突飛で、それでいて唐突に核心に迫るような言動。
それは彼女がいつも、常に、どこで「刺す」か考え続けているということの証左だ。
間違いなく、たまたま今になって鋭い感性が働いて思いついたのではない。
「俺の人生の葛藤と苦悩をそんな簡単でファンシーな二項対立にまとめてくれるなよ」
「__皆が云う苦悩とは、所詮、その小さな脳みそで理解できる範囲内の事象でしかない。人間の本当の苦悩とは、理解の埒外に存在するからこそ真に恐ろしいのだ」
「誰の名言?初代パリ市長?」
「葉乃坂めぐるからたった今堕胎した名言」
「せめて誕生させてくれよ」
京太郎のツッコミに、めぐるはいつものにぱーっとした笑顔ではなく、少しだけニヒルに笑んで、
「一匹のライオンは、家族のためにご飯を獲ろうと必死になっていたら、いつの間にかその守るべき家族が襲われてました。だから、その気高いライオンは必死に獲物を追うのを止めました。追走の本能を押し殺して、食べたい肉も食べずに、栄養にならならい草ばかりを食べて、そうしてその痩身の一家は団結してゆるやかな死にむかっていきました、ハッピーハッピー」
太陽に焦がされ、今まさに消えゆくような淡い存在感で漂うめぐるが滔々と語る。
「お前、シリアス似合わねぇな」
「存在がファンタジーでラブリーだからね。、、、でもさ、わたしはね、この物語は本当にハッピーだと思ってるよ。だけどさ、きっとわたしたちには理解できない、もっともーーと上のところで、きっとこれは苦悩なんだよ」
「そりゃ苦悩だろ、死んでんだから」
「違うよー、本人たちはハッピーだもん」
「結局何が言いたいんだお前」
「うーんとね、わたしはまだ京くんの後ろの方にいるんだなーってことと、それから京くん、さっきから彼女のいる前で他の女の子のこと見すぎだなーって」
確かにめぐるの言う通りだった。
だが、それはめぐるの邪推した理由とは全く違っていた。
__その時、京太郎の遠く視路の先で予測していた事態は起こった。
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