第2話 胡乱な悪魔

 ざあざあと雨が降る。

 天使は今が夏でよかったと心から思った。

 何よりもこんなゲリラ豪雨ごううに降られるとは思っていなかったのだ。着の身着のまま白い布一枚。人間に見えなくてよかったと心底思う。

 こうぜんわいせつざい、だったか。そんな罪に問われて、天使界で生涯しょうがい笑われ者になるところだった。と、言ってもすでに空の上では笑われ者だろうが。


 シャッターの下りた軒先のきさきで天使はしゃがみ込んだまま小さなくしゃみをした。


「大丈夫ですか?」


 まさか声がかけられるとは思っていなかった。

 視界が少しだけ暗がり、天使は首をもたげてその足の持ち主を見上げる。


 ゆうに百九十は超えそうな長身。しかし一番おかしいところは全身が真っ黒で夏には似つかわしくなくきっちりスーツを着込んでいた。中折なかおぼうも、傘まで黒という徹底てっていぶりだ。


 天使はその容貌ようぼうに顔をしかめて手で追い払った。


悪魔あくまが何の用だよ。さっさとどっか行け」

「やっぱり天使だったんですね。私、初めて見ました」


 悪魔は悪魔らしくない丁寧ていねいな言葉で返しながら、帽子を取る。きっちりとオールバックにセットされている髪もまったく悪魔という感じがしなかった。


 なんなんだ、こいつ。


「天使って地上では見えないんですよね? というか、どうして降りてきているんですか?」

「それはぼくが堕天使だてんし予備軍だったから。……悪いかよ」

随分ずいぶん仕事をなまけてたんですね」


 悪魔の正論は天使の心を容赦ようしゃなくしていく。

 天使は苦虫にがむしつぶすような表情のまま食って掛かった。


「好きなだけ言えよ! 言いたいだけ言い終わったらさっさとねぐらに帰れ」

「じゃあ言い終わらなさそうなので、うちまで来てくれませんか?」

「な……何言ってんのお前」


 お人好ひとよしなのか、はたまたなにかたくらんでいるのか。

 天使はきゅっと身を縮込ちぢこめる。


「何もしませんよ。雨も強くなってきたし、あと十分は止まなさそうですよ?」

「十分しか、だろ」

「家に来たらお風呂がありますけど」

「風呂入んねえし」

「でも地上の雨は汚いですよ。ほこりとか含んでるって言いますし」


 ほら立って、と悪魔は天使の腕を引っ張る。

 天使は強い力と体格差で負けた。ぐっと体が持ち上がり、果ては悪魔の腕の中に納まる。聖母が赤子を抱きかかえるときのような姿勢だった。


「ばっ、馬鹿ばかにすんな。もう三百だぞ!」

「年上なんですね。私は先日で二百です」


 れた天使の体を軽々と抱きかかえる悪魔は、服のわりに濡れることを気にしていなさそうだった。

 じたばたと手足を動かすが、大きい身なりの悪魔は腕の中で猫が嫌がる程度でしかないのだろうか。微動びどうだにせず傘を持ち直す。


「ゆ、誘拐ゆうかいだ!」

「保護です」


 そんなわけで天使は心地いい寝床ねどこと、対話のできる相手を見つけたのだった。

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