第4話 悪魔の告白

「とっくに出かけちゅうがかと思ったら、何をべらべらと喋りゆう、文哉」

 祭壇の横にある出入り口から現れ、ゆっくりと演台へと進むのは、新堂文哉と全く同じ神父服に同じ顔──。

 違うのは、土佐弁を話していることぐらいか。いや──それだけではない。文哉とは明らかに違う、卑陋な笑みを浮かべている。

「新堂……拓哉……」

 拓哉は西島に視線を投げかけると、口の端を吊り上げた。

「あんたをちっくと甘うみちょったな。からかいついでにあの女の罪も裁いちゃろう思うたけど、まさかこんなに早く俺に辿り着くとは思んかった」

「からかい……?」

「ホラ。冤罪事件以来、何度もここで俺に泣き言を言うき、面白うて」

「な……」

 湧き上がる怒りで、全身が震えた。

 西島はこの教会の懺悔室で、そして礼拝度で、何度となく新堂に罪を告白して来た。

 あの、私服姿に違和感を感じた時以外にも、拓哉は文哉に成りすまし、西島の告白を嘲笑っていたのだ──。

「ああ、この刑事は死んだも同然やなと思うたけど、こじゃんと元気になったもんや」

 そして拓哉は間宮に視線を移すと、不躾に指を指した。

「あんた、あいつが殺した女の子の兄貴やそうやな。

 せっかくここまで来たがやき、あいつからの又聞きで悪いけど、あの子の最後の言葉を教えちょくぜよ」

「凛の──?」


 ──お兄ちゃん、ごめんね。

 

 喉がひゅうと鳴ったかと思うと、間宮はその場に泣き崩れた。

 ぐうっと声を押し殺し、しかし、丸めた背は激しく痙攣している。

「凛……凛ッ!」

 些細な喧嘩を最後に妹と別れ、そのまま二度と会えなくなった間宮。

 仇討ちをすべく、十五年間、ただひたすらに犯人を探し回った。

 そんな彼が今、妹の懺悔をこのような形で耳にするなど──。

「貴様──!」

 西島は間宮に寄り添いながら、目の前の悪魔をねめつけた。

「俺には意味が分からんかったけど、なんか感動的やね。とりあえず敵はとっちょいたき。

 俺もこじゃんと探いたがよ? 十七から日雇いの仕事を転々としもって、頭のおかしい奴を捕まえては拷問してね。

 ようようあのクソにたどり着いた。聞けば次々と得意気に話しよったわ」

 拓哉は、どんな風にあの男を拷問して殺したか、とくと話した。

 文哉は耳を押さえ、苦悶の表情を浮かべている。

 流石の西島も、胃の中に手を突っ込まれるようで、酷く気分が悪くなった。

「自分の父親と知っていて、よくもそんな……」

「父親? 笑わせなさんな。ありゃ人間のクズや。おふくろもそう言いよった。悪魔やと」

「母親の──、奈々未さんの自殺も、お前の仕業なんだろう」

「へぇ? ようわかったな。でも、なんでそう思うが?」

 拓哉は悪びれもせずそう言う。

 そして、句点の癖から、遺書は本人の物ではないと判断出来たと言う西島に、感嘆の声を上げた。

「ほぉう。流石にそこまでは考えんかったな。

 あん時は人が来ても困るき、ババア突き落といたら、しゃんしゃんそこから出る必要もあった」

「何故彼女を……」

 西島の問いに、拓哉はフンと鼻を鳴らす。

「もう必要無うなったき。それに、あのババアも十分な悪魔やったぞ?

 無垢な俺を捕まえては閉じ込めて、散々折檻した。それも体力的に逆転するまでやったけどな」


 ──あの母ちゃんも変やった。

 校長らがギャーギャー言うがを、ボケーっと聞いちょったもん。幽霊みたいな顔やったぜよ。


 高知県のカフェ店主で拓哉の同級生、鈴木から聞いた話が思い起こされる。

 あの頃既に、拓哉と奈々未の立場は逆転していたのだろう。

 奈々未は拓哉を恐ろしいと思うようになり、そして言われるがままになっていたに違いない。所謂『学習性無力感』というやつだ。

「なぜ、死亡認定を受ける必要があった」

「は? おんしはバカかえ? 死んじょったら捕まらんが、生きちょったら捕まるろう」

 西島は唖然とした。

 そんな事で……。だが、そのために遠回りしたのも確かだ。

「女は──」

 拓哉はフランキンセンスの入った香炉と祭壇の蝋燭に次々火を点けながら続けた。

「嘘つきで、身勝手で、ヒステリー。おまけに身の程知らずで穢らわしい。

 そのくせ自分には価値があると思うちょる。

 知っちゅうか?」

 拓哉は吐瀉物でも見つけたかのように、顔を歪めた。

「おまんら、あのババアも、変態野郎に理由もなく襲われたと思っちゅうやろ。

 そうやないぞ。狙われたのにはちゃあんと理由があった。

 ババアも売女やった。仕事を獲るために、散々枕営業を繰り返しちょった娼婦じゃ。

 誰にも相談出来んかったがやない。自分のやっとった事を知られたないき、せんかったんじゃ!」

 そこまで言うと、拓哉はふうと息をつき小さく肩を竦めた。

「やき、審判にかけて自分の罪をようよう教えてやったぜよ」

 売女──。

 ハングマンによる連続殺人の被害者も、倫理的、性的に乱れた女性だった。

 つまり──。

「ここ最近の連続殺人も……」

 西島の問いに、拓哉は眉間に皺を寄せると、「信じられん」と言った。

「おまんらアホか。ちゃんと分かるように有罪やと書いといたやろ? 被告人の素性も分かるように、身元が分かるものを置いちょいたし、本人にも罪状を言うて宣告した。

 おまんらは死刑に処すと」

 ふわりと、フランキンセンスの香りが広がる。

 しかし西島の心は落ち着くことなく、身体中の血が沸騰し始めた。

「テメェは……自分の穢れを棚に上げて何を寝ごと言ってやがんだ!」

 礼拝堂に西島の絶叫が反響する。

 拓哉は、はぁはぁと肩を上下させる西島を見遣るとその目に怒りを湛えた。

「俺が怪物になったのは……俺のせいじゃないき」

「なんだと……?」

「俺と文哉の何が違う?

 一卵性双生児は、一つの卵に二つの精子が結合するんやないき。

 卵も精子も一つ。それがあとで二つに分かれるんやぞ?

 一つの林檎を割ったように──全く同じや!」

「拓哉……」

 文哉は呆然と立ち尽くし、自分の片割れを見ている。

 しかし拓哉はそんな文哉に目もくれず、ふと背後の壁にかかる、大きなキリスト像を睨んだ。

「そんでも、俺だけを怪物に仕立てた──」

「拓哉! やめなさい!」

「こいつの目が、節穴だからじゃ!」

 文哉の制止を振り切り、拓哉は手にしたフランキンセンスの香炉を振り回した。

 立ち上がる文哉と間宮。香の匂いをまき散らしながら回る香炉──。

 西島の目に、全てがスローモーションとなって映る。

 

 ガシャン。

 

 派手な音を立て、香炉は祭壇のマリア像や火のついた蝋燭をなぎ倒していく。

 蝋燭の炎は、祭壇の上のシルクの掛け物に引火した。

 チリチリとあらゆるものが炎に包まれ、そして倒れてゆく。

 そして香炉は、その中にあった聖油の瓶を破壊した。


 ボウッ──。

 

 「危ない!」

 文哉が叫ぶ。

 一気に祭壇が激しく燃え上がった。

 それは、瞬く間に壁を伝い、壁面のキリストを火炙りにしているかのようだ。

 古い木造の教会は火の回りが驚くほど速かった。瞬く間にその場を煙と熱で覆いつくしていく。

「っは……くるし……」

 間宮と文哉が、煙を吸って咳をし始めた。

 赤い炎は生き物のように動き、頭上からはパンパンと乾いた音を立てて割れたステンドグラスが降り注ぐ。

 その中を、ナイフを手にした拓哉が、火の玉と化した香炉を振り回しながら、ゆっくりと進み出て来た。

 油断してはならない。

 西島はシャツの裾で口を覆い、拓哉を注視した。

「おんしも、しゃんしゃん殺いちょけばよかった」

 そう言う拓哉の周囲で渦を巻く炎は、まるで地獄の業火だ。

 

 こいつは……教会に現れた悪魔だ……。


 西島は間宮を背に庇った。しかし次の瞬間。

「うわっ!」

 めりめりと音を立て、焼けた壁と天井の梁が崩れ落ちた。埃と黒煙が舞い上がる。想像以上に火の回りが早い。

 西島は焦った。

 これではいつ焼け落ちるか分からない。

「間宮、新堂さんを連れて逃げろ! 崩れるかもしれない!」

「でも! 久住さんの居場所を聞き出さないと!」

「クソッ!」

 西島は舌打ちした。

 葉月の居場所を知っているのは拓哉だけだ。とはいえ、拓哉が易々と話すとも思えない。

 最早拓哉には人の言葉すら通じるとは思えなかった。

 狂ったように香炉を振り回し、花瓶を倒し、聖書を炎の中に投げ込んでいる。

 西島は文哉を振り返った。

「新堂さん! 俺の相棒が──久住が奴に拉致されてる! 心当たりありませんか! 狭い──狭い場所です!」

 文哉は口をぱくぱくとさせていたが、西島が再度「新堂さん!」と叫ぶと、はっとしたように西島を見た。

「ひょ、ひょっとしたら……」

 文哉の脳裏に浮かんだのは、幼い頃、拓哉が小動物を殺すたびに、母がお仕置きと称して閉じ込めた場所だった。

「教会の裏手に、地下倉庫の入り口があります!」

 それを聞いた西島も思い当たった。

 初めて新堂に会った時、一緒にバザーのテントを運んだ倉庫だ。

「そこに──そこにいるかもしれません!」

「後ろ!」

 西島は間宮の声に振り返った。

 そこには、ナイフを振りかざす拓哉がいた。


 

「死ね! 文哉ァァァァ!」


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