第2話 聖者の告白

 西島は捜査本部の森永へ連絡を入れ、葉月が再びハングマンに拉致されたことを報告した。

「緊急配備と、各所轄署への捜索依頼をお願いします。それから──」

 要件を手短に伝えると、西島は胸ポケットにスマホを滑り込ませ、間宮を振り返る。

 間宮とは、この事件の被疑者と刑事として出会った。

 しかしその後彼には何度も助けられ、そして被疑者から友人へと変わった。

 少なくとも、西島はそう思っている。

 そんな間宮が、「どうしますか」と西島に問いかけて来た。

「これから、中目黒へ行く。悪いが──」

「一緒に行きます」

「まみ──」

「一緒に行きます。ひとりで行かせられない!」

 西島の言葉を遮り、そう言い切る間宮の表情は硬く険しい。

 とは言え、これから先は警察の仕事だ。もう、彼に迷惑をかける訳にはいかない。しかし──。

「西島さんは、僕がずっと抱えて来たうろを埋めてくれました。

 誰かを傷つけるのではないかと、ずっと人を避けて来た僕の不安を払拭してくました。

 次は僕が──、僕があなたの力になる番だ」

 間宮の強張った硬い表情が、本気なのだと、強い決意として西島にダイレクトに伝わってくる。

 西島はひとつ息をつくと、友人の二の腕を叩いて言った。

「行こう。中目黒マリア教会だ」


 *   *   *


 間宮と共に、タクシーで中目黒にある新堂の教会へ向かう。

 当初、生ごみ臭い西島に気付いたドライバーは乗車拒否をしたが、西島がIDを提示し、警察官であることを告げると、渋々自分の読んでいた新聞を広げた。

 西島は今、その上に座って中目黒へと向かっている。

 そして、夜の東京の街が窓の外を流れて行くのを横目に、これまでの事件の概要を間宮に話した。

 本来ならば一般人にこのような話をするべきではない。まして彼はついこの間まで重要参考人のひとりだったのだ。

 しかし間宮は今や西島にとって信用に足る人物であり、何よりハングマンでは決してないとの判断の上だった。

 五年前の一件以来、自身の判断に自信を持つことが出来なかった西島にとって、これは大きな変化だった。

「今回、俺がまた判断を誤ったことで久住が拉致された。奴は狂ってる。いつ久住が──」

「大丈夫です」

 黙って西島の話を聞いていた間宮は、力強くそう言った。

「狂ってるからこそ、これまでの事件同様、直ぐにどうこうしようなんてことはありません。

 ハングマンは美しい現場を作りたい筈です。だったら、人間の体に残っている排泄物は彼にとって邪魔なものでしかない。

 その猶予を利用して、彼女を救い出すんです。

 その為にも、新堂さんに事情を聞くと言う西島さんの判断は間違ってない!」

 間宮は、自信を持ってと言うと拳を出す。西島はそれに自分の拳を軽く当てた。

 すると、間宮はその手を包み込む。そして何も言わず頷いた。

 間宮の存在が有難かった。

 友人の存在が──。

「ここでいいんですか?」

 タクシーの運転手がミラー越しに二人へ視線を投げかける。

 二人は教会の直ぐ近くにある大通りで車を降りた。

 生温い風が二人の頬を撫でて行った。


 *   *   *


 教会の敷地の小径を歩く。すると、教会の大扉から出て来る人影が見えた。

「こんばんは」

 西島が声を掛けると、件の人物が振り返る。

 建物の入り口にある街灯に照らされ露わになったその人は、神父服を着た新堂だった。西島と、間宮に気付くと、一瞬驚いたような表情を見せたが、直ぐに「こんばんは」と挨拶を返してくる。

「お出かけですか。新堂さん」

「ええ、次回のバザーで行う催し物の打ち合わせで……どうしたんです?」

 西島の汚れたワイシャツに気付いた新堂は、息を呑むと駆け寄った。

「大丈夫ですか? 怪我は?」

 言いながら西島の手足に怪我がないかを探す。

「ご心配なく。平気です」

 西島の言葉に、新堂は「ああ、良かった」と漏らすと肩の力を抜き、笑顔を見せる。

 しかし、西島の強張った表情に気付くと、その笑顔も次第に薄れていった。

「何か、あったんですか?」

「ええ。申し訳ないんですが、新堂さん。予定を変更出来ませんか? 緊急事態です」

 西島が静かに言うと、新堂は逡巡した後、お入りくださいと教会の扉を開いた。

 教会の中は、今日もフランキンセンスの匂いが漂っている。

 いつもなら、この香りを嗅ぐことで西島の昂った気持ちも自然と落ち着いていったが、今夜はその香りに気付くと同時に心臓の鼓動が跳ねあがった。

 新堂は間宮に軽く自己紹介をしてから二人に礼拝堂のベンチ椅子を勧めると、「ちょっと失礼」と断ってスマホで電話をかけ始めた。

「春野さん? すみません、新堂です」

 どうやら、今夜の会合は琴音の両親の所だったようだ。

 新堂は琴音の両親に丁寧に断を入れると通話を終え、西島たちの方へとやって来た。

「お待たせしました。えっと──」

「あなたはどっちなんですか?」

「えっ……?」

 唐突な西島の質問に、新堂は明らかに戸惑っている。西島は続けた。考える隙を与えてはいけない。

「俺の知ってる新堂文哉なのか。それとも──」

 驚く新堂に西島は言った。

 「それとも、拓哉なのか」

 途端、新堂の顔が凍り付いたように固まった。

 真っすぐに西島を見てはいるが、その視線は西島を通り越しているように見える。

「答えて下さい!」

 礼拝堂内に西島の声が反響し、新堂の顔は真っ白になった。

 唇が小さく戦慄いている。

「急に何を……。西島さん、私の兄は──」

「生きている。そうでしょう」

 新堂の言葉に被せると、西島は更に畳みかけた。

「拓哉の死亡認定は偽装だ──」

 厳かな教会の時間が止まった──。

「新堂さん」

 どさりと、新堂がベンチに腰を落とした。

 黙って西島の足元に視線を落としている。

 西島もただそんな新堂を見つめ、西島の隣では、間宮がいつでも飛び出せるよう身構えていた。

「西島さん……」

 しんと静まり返った中、新堂が気だるげに口を開いた。

 そしてゆっくりと顔を上げる。

 そこには終わりを悟った人間の、悲しみと解放があった。

 西島が取調室で何度も見た顔だ。

「私も──」

 新堂はゆっくりと話し始めた。

「兄は──兄は亡くなったのだと……思っていました」

「──あなたは、文哉さんなのですね?」

 西島は慎重に問いかける。新堂は静かに頷いた。

 しかし、本当に目の前にいるのが文哉なのか、確かめる必要がある。

 西島は質問を続けることにした。

「俺と初めて会ったのはいつだったか分かりますか?」

「五年前。教会主催の、バザーの日です」

 新堂は淀みなく答えた。

 間違いない。更に質問を重ねる。

「先日、俺がここにお邪魔した日──。琴音がいた日です。あの日、何を飲んだか、分かりますか?」

 西島は、違和感を感じた、私服姿の新堂が拓哉だと確信していた。

 つまりあの日、葉月に会ったにもかかわらず、葉月の存在を「初耳」だと言った、琴音と一緒にいた新堂が文哉だ。

「確か白ワインでした。私がお祝いだと言って戸棚から──」

 間違いない。

 西島は深く息をついた。目の前にいるのは文哉だ。

「新堂さん。もう一度お伺いします。拓哉さんは──新堂拓哉は生きているんですね?」

 西島が改めて聞く。

 新堂は力なく頷いた。

「私も亡くなったのだと思っていました。父からそう聞かされていましたし。

 しかし十五年前、突如として兄が私の前に現れたのです。

 その時、兄は血まみれでした。最初は怪我をしているのだと思った。

 でも違いました。それは──」

 新堂は苦しげに顔を歪めて言った。

 


 それは、返り血だったのです──。


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